去年の6月に書いた日記に、最近マイミクになってくれた学生時代のサークル仲間、もっちゃんが、子供のころ自分もそう思っていた、とコメントを入れてくれたもので、ある大学教授にカンファレンスで講演をいただくことになって、その教授の専門分野に関連するワードとしてたどり着いた「クオリア」について書いたものです。
ちなみに右の写真は本題とは何の関係もない「クリオネ」。なんか「クオリア」と言葉的にイメージ近いでしょ。ダジャレにもなってないんですけどね。写真に困るネタだったもんでね。そんでは、以下転載します。
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関係ないけど、今週もいろんなことを憶えた中で、直接仕事とは関わりないんだけど、「クオリア」という言葉が印象的だった。 ちょっと概念的には難しいんだけど、無理に訳せば「主観的知覚」つまりまぁ普通に「感じる」ことを言う言葉みたい なんだけど...
Aさんが赤い色を赤と感じている。Bさんも同様に「赤」だと言っている。だけど、Bさんはもしかしたら、その赤い色が、Aさんのクオリア的に言えば緑色に見えてるかも知れない。
でも、Bさんの世界の中ではそれが赤であるということで成立してしまっていて、特に問題は起こらない。どう見えて いるかは誰にも証明のしようがない。
これってぼくも昔から時々考えてきたことで、たとえばぼくが人間だと思って見ているものは、他の人がぼくの脳ミソを 覗くことができたら、恐ろしくグロテスクな化け物なのかも 知れないとか。
自分だけ実はぜんぜん違う感じ方をしていたとしても、それを
共通の言葉で表現しちゃってるから、実は違うかどうかは、
誰にもわからないんだよね。本当にぼくだけ違う感じ方をして
いるんだとしたら、すごく恐ろしくて寂しい話だなぁ、って
ことをよく考えてた。
で、この「クオリア」というワードは、そのことを哲学的に語る術語ではなくて、あくまで科学的に、大脳生理学的に 語るときに使う言葉なんだと。
なるほろねー、と思って、今週イチ印象に残りましたとさ。
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もっちゃんはこの日記を読んで、「ギミー・ヘブン」という2004年製作の映画を思い出したそうで、今日はこのDVDを借りてきて観てみた。若き日の宮崎あおいと江口洋介が、特殊なものの感じ方をする「共感覚」(クオリアのひとつの形態らしい)の持ち主で、っていうサスペンス。
もっちゃん自身も映画としてはイマイチだと言っていたけど、まぁ、彼女の言葉を借りると「日本映画にありがちなとんがった自己満足ビシバシ」ってのが確かになぁ、って感じでした。ただ思ったほど自己陶酔というか入り込んじゃったようなものではなくてちゃんとストーリーはあり、ガーベラの雨が降る場面とか、印象的なシーンがけっこうある映画でした。
驚き!
こんなブログもお書きになっていらしたのですね!しかもゲストでとうじょうしちゃってるし…。
さっそくDVDみてくださったのね。
前にも書いたけれど映画として云々はともかく着眼点というかアイディアは面白いので私としては非常に”惜しい!残念!”な作品。でも、”ガーベラの雨のシーン”はいいでしょう!!
Tacovoさんがやはりそこを取り上げてくれて凄く嬉しいです。
ちゃんと半額で借りましたか?
投稿情報: もっちゃん | 2008/04/10 01:10
許可なくお名前を出し、かつ引用までしてすんません。
ちゃんと半額で借りましたぜ。
投稿情報: Tacovo | 2008/04/10 10:33