「占い」ってのも不思議な代物だよね。新宿の母みたいな占い師から、朝のテレビ番組で流されるようなものまで、世間にはゴマンと占いに類するものが存在する。それってつまり、それだけニーズがあって、聞きたい、知りたいって人がいるからじゃないですか。
冷静に考えれば、競馬の予想にしろ為替や株の相場にしろ、今の科学水準で、完全な未来予想なんてないわけで。そんな中でも天気予報を筆頭に、競馬や相場なら、まだ観測結果や馬の実力、その時の経済状況なんかが、何らかの根拠として存在するので、そこに過去の事例とか素人には知り得ない情報力で、専門家の入り込む余地があるのは理解できるんだけど、手のしわとか名前の画数とか生まれた日付とか、そんなものにはどう考えても全く何の根拠もないはずで。
血液型と性格っていうのも、素人考えでは体の中の話なので、なにがしか関係がありそうな気もしてしまうけど、科学的には相関関係は証明されていないとのこと。そりゃそうだよね。血液型を決めている血液型物質って、「ヒトの赤血球の表面に発現している一群の抗原の総称である。(中略)その実体は、特定の抗原構造をもった糖脂質や糖タンパク質である」(GlycoForumサイトより引用)ってことだけど、これよりも、血液の中のたとえば脂質の量とか、血圧とか、そう言う他のものの方が、よっぽど性格に与える影響ありそうな気がしませんか?
だからと言ってぼくは別に占いを否定するつもりはないし、それどころか過去さんざん利用してきたような気がする。血液型の類型とか、星座による相性とか、そういう基礎知識は、女子との会話のとっかりとしてはすごく有効だからね。(お、"Tacovo"で脳内メーカー初めてやってみたけど、こりゃまたなかなか面白いですな)
占いで自分の属する"いて座"や"O型"がよさげな内容だったりすると、なんとなく嬉しくなるし、ランキングものなんかでたとえば"いて座"が下位にいたりすると、なんでだよー、って思ったりする。それだけの心理的効果を与えられるから、成り立っている業界だよね。そういう意味では他にはない奇特なものとも言える。
もっともらしい--いやいや、否定的な意味で使ってるわけじゃなくてね、言葉を換えれば「説得力のある」かなぁ?--分析ができる占い師は、ホホーッ、って感心、歓迎され、広く受け入れられたりする。そういう意味では、ビジネス界で一般的に見られる現象の集約なのかもしれない。いやいや、面白いよね。
でもこないだ「CDTV」のエンドロールで流れる星座占いを観ていて思ったんだけど、そりゃ確かにたまたま同じ時期に生まれた人が、まったく同じ性格だったり、同じ運命だったりするはずがないんだけど、たとえば同じ星座生まれのカップルが、テレビでその星座の占い見てて、「おれたちの運命がいつも同じなんて、あるはずないじゃんな?」(あるいは、「わたしたちの運命がいつも同じなんて、あるはずないじゃないねぇ」)って会話があったとしたら、それってなかなか艶な状況ですな、と。
だってそれってすごく悲しいセリフ?逆に相手の気持ちを確かめる手ズル?どちらとも取れますよね。
男が女に、のケースと、女が男に、のケースで違うかなぁ?男か女かではなくて、2人の関係だったり、強い性格の方が言うか弱い性格の方が言うかで違うのかもしれないけど。強い性格の方が言ったとしたら、それは別れの宣言。弱い性格の方が言ったとしたら、それは相手の気持ちを探る手ヅル、みたいな。
いやいや、このセリフで別れの宣言なんてケース、稀か。てことは手ズルだな。そう思うと、こんなあからさまな手ズルは、相当若くないとやらないよね。大人のセリフじゃないな。恥ずかしい限りで。
ということで、こんな会話をするカップルは精神的に幼いってことか?結論は。あれ?意外とつまらない結論だなぁ。
いずれにせよ、そんな状況が生まれる可能性があること自体が、このまったく科学的には何の根拠もない「占い」ってものが、相当な真実性を帯びているってことの証左だよね。
さてさて、写真に困る記事だこと。どころかカテゴリーにも困るな。「雑感」ってカテゴリー作るか。
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