FB友の皆さま、毎年たくさんのメッセージありがとうございます。今年は久々に誕生日が週末ってことで、こちらでまとめてお礼--記事内容的にお礼にはならないかも知れませんが--申し上げる失礼をお許しくださいませ。
ちなみに、このブログを初めてもう9年5ヶ月になるんだけど、基本書くことにしてる土曜日、初期は書いていた日曜日も併せて、週末が誕生日に当たったのは、2011年1回しかない。
どうでもいい薀蓄、っつーかあたり前のことだけど、以前前の会社でそう言ったら意外に感心されたんで書いておくと、同じ日付の曜日って、原則1年に1つずつ進むじゃん?去年の11月26日が火曜日なら、今年は水曜日、って具合に。そりゃそうだ。365÷7=52あまり1(小学校3年のころは52・・・1なんて書いてましたね。懐かしや)だからね。
うるう年だと2つ進むから、例えば10年前の今日は何曜日?って考えるときは、その間にうるう年(西暦が4で割り切れる年)が何回あるか考えて、2回なら10+2で12曜日進んでるから、今年が土曜なら10年前は月曜ってことになる。1月・2月はうるう年の翌年に2つ進むので注意が必要なのだけど。
11月26日の場合、土曜日だった2011年の次の年がうるう年だったために、9年間で日曜は一度もなく、今回の土曜がやっと2回目になったってことで。ホントどうでもよくて申し訳ないんですけど。
んで、その2011年は、カミさんと埼玉の下左寄りの有間渓谷ってとこと、その近くの鳥居観音ってとこに、紅葉を観に行った。その時に50の大台に乗ったってことは、あたり前だけど今年でゾロ目の55歳だ。四捨五入して60だ。アラフィフも過ぎて、アラシク?アラカンって言うの?もはや明確な呼称もない領域に突入してしまった。
しかし誕生日前に雪が降るってのは、すっごいことだねぇ。54年ぶりってあれだけ連呼してたので調べてみたら、昭和37年の初雪は11月22日だそうで。つまりぼくがまだ1歳になる前に降ったってことなんだけども、その頃ぼくは北九州にいたので、その東京の初雪は体験していない。もっとも北九州は日本海側なので、東京よりはよっぽど雪は降る地域だったから、誕生日前の雪ってのもあったのかもね。
冬物のジャケットとかコートのほとんどをクリーニング屋に預けてしまっていたので、こりゃヤバいなぁと思っていた23日、勤労感謝の日の昼ごろ、ラッキーにもクリーニング屋から連絡が来たので、さっそく取りに行って、24日は寒さ対策万全で望むことができた。
さて、去年はなんとか憶えててくれて、朝Lineでメッセをくれたカミさんだけども、その前年を初め、近年はますます、その昔もたびたび、ぼくの誕生日を忘れ、日付が変わってからおずおずと、あのぉ~、昨日誕生日だったんですけど、って申告すると、あーそうだったそうだったと豪快に笑い飛ばしてくれたりするという、ブレない男らしさだ。
数字憶えるのって超苦手なのよね、って言うんだけども、うちの両親の誕生日について、毎年ぼくがリマインダをやってよき嫁アピールに貢献させていただいていることは、まだ理解できないでもないとしても、自分の配偶者の誕生日だよ?そうそう憶えられないものでもないと思うんだけどなぁ。同じような境遇にある方、いらっしゃいますか?
Googleさんだって誕生日にはこんな検索画面出してくれるのにね~。こんな個別サービス、昔からやってたっけ?
そんなことで、3日の文化の日に長野に紅葉を観に行った時に、今年は土曜日なんだ、って話になって、んじゃ晩飯を外で食うことにして予約してよ、そうすりゃ忘れないから、って言われてね。
う~む、なんか違う気がするんだけど、来年で30年になる結婚生活の中、そんなとこにこだわったところで何の益もないことは重々学習してるので、はいわかりましたと、近所のイタリアンで、東上線沿線では食べログの点が比較的高いのに行ったことがなかった、「すわん」という店を予約した。
ちなみに予約するよ、って話を今週の月曜日にしたときに、カミさんが一瞬何の話だっけ?って顔をしたのを、ぼくは見逃していない。忘れないように予約してよ、と言っておきながら、そう言ったという事実も、もちろん今週土曜が誕生日だってことも、きれいに忘れているという、さすがツワモノだ。
「すわん」は、この辺では高得点とは言え3.3点だから、まぁそんなに取り立てて言うほどの店でもないんだけど、牛肉のトマト煮込みってのは美味かったな。しかしカミさんが酒を飲まないからってのもあるけど、2人でたらふく食って5,000円ちょっとってのは、コストパフォーマンスいいよね。
毎年FBには書いてるけど、誕生日だからといって別にこれといった感慨があるわけでもないんだけども、一応頭は大丈夫だったんで安心はしたものの、一時はどうなるかと思った先週の弱った親父を見るにつけ、子育ても終わってあとは残った人生どう過ごしていくかって考えたときに、小さなことでもやりたいこと、楽しいと思えることは、全部とは言わないけども、なるべくやって行きたいと思うね。
もはや、いつポックリ行くかわからないからね。その前に無理のない範囲で、なるべく気軽にやれることはやっといて、あーまだいっぱいやり残したことあるのに、とかあんまり思わないような生き方がいいなぁ。
「すわん」で飯を食いながら、ずっとシングルでいる人って、今はまだいいかも知れないけど、10年後、20年後が不安じゃないのかなぁ、って言ったら、今更他人と一緒に暮らそうっていうハードルも相当高いんじゃないの?これで子供も独立して、どっちか--っつーか彼女の中では圧倒的にぼくが先に死ぬことになってるんだけど--先に死んじゃったら、状況としては我々だってあまり変わらないじゃない、と言われた。
でもまぁ仮に遠くに住んでたとしても、ウチの子供たちだってそんなに冷たくはないんじゃないの?いやいや、私の(すっかり決めつけ)面倒を見るためにわざわざ時間割いたり生活を犠牲にして欲しくはないなぁ、とかってやり取りがあって、最終的には帰り道、要は二人でなるべく長く暮らして、あまり時間差なくサクッと死ぬことだね、って結論になった。
お互い言いたいことは言って、やりたいことも--モノによって相手が興味ありそうなら一緒に--やって、気兼ねや気づまりなく暮らせているってことは、極めて日常的で、地味だし際立った何かがあるわけでもないし、愛だ恋だとは別だったとしても、大変に幸せなことなんだなと、改めて感じた55歳の誕生日でした。
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