3日目は息子が10時ごろに来るというので、この旅で初めてゆっくり起きた。
息子は平日はバンコクから2時間ほどの田舎にある工場で働いているが、週末はバンコクに出てきて、英語のスクールに通っているという。英語研修の名目で、バンコクのホテルの宿泊代は会社が持ってくれるそうで、さすが歴史ある重厚長大メーカーだ。
とはいえそのホテルは、日本人のタイ赴任者が住居が決まるまで一次滞在するため、各日本企業の御用達になっている星3つのホテルで、それほど贅沢をさせてくれるわけではない。場所は我々の泊まっているホテルのある、路上高架鉄道BTSのアソーク駅から2つのトンロー駅のそばにあり、そのトンロー駅と、1つ隣のプロンポン駅のあたりは、日本人が多く住む地域になっているらしい。
ホテルに隣接するターミナル21のような大型のショッピングモールでも、1,000バーツ(3,000円強)以上の買い物でないとクレジットカードが使えないなど、意外に現金を使う機会が多かったため、少しタイバーツが乏しくなってきたので、息子が来る前に両替をしておこうと思って、アソーク駅にある両替所に向かったら、この街は両替所は至るところにあるのだけど、営業時間はそのボックスに勤める人に任されているためけっこういい加減で、朝10時前だと開いているところがない。夕方もけっこう早く閉まってしまうという。
仕方ないのでそのまま駅の改札で息子と落ち合い、いったん部屋に戻って、3人で出かけることにした。まずはタクシーで王宮の隣にある有名なお寺、ワット・ポーに向かう。バンコク市内では、ここと、三島由紀夫の「暁の寺」の舞台になったワット・アルンが代表的な寺院なのだけど、今ワット・アルンは改修工事中で、入れはするけど足場なんかが組んであってよく観ることができないらしい。
こんなに良心的な運ちゃんは珍しいと息子が言うタクシーは、距離にして6~7kmほど乗ってわずか110バーツ(約350円)、しかも息子が細かいのがないと言うと、だったらある分だけでいいよ、と言ってくれるのだけど、申し訳ないので、ぼくの財布に数枚だけ残っていた20バーツ札で支払を済ませる。
ワット・ポーは、バンコクでもっとも古い寺院で、前日に行ったアユタヤの遺跡の建造物が、ああなるほど、往時はこうだったのね、という美しい建物、仏塔、仏像に満ちていた。敬虔な南伝仏教の国であるタイでは、まず仏像は基本金色、仏塔も極彩色が施されている。仏像は日本のもののいわゆる「アルカイックスマイル」とはちょっと違っていて、薄目を開け目玉がちゃんと見えていて、口元も割とはっきり口角を上げ笑っているものが多い。
アユタヤにもいくつか見られた寝姿の涅槃仏だけど、この寺のものは特に有名で、全長49mという巨大さ、しかも全身金色、足の裏には螺鈿細工が施され、これには圧倒される。
ワット・ポーを出て、王宮の正面入口の方に歩いていくと、途中、昨年10月に亡くなったプミポン国王を悼んで、いまだに多くの人が、喪服を着て参拝に来ていて、そういう追悼者専用の入口と思しき場所が、まず人でごった返している。ぼくらが行った前週末には、天皇陛下が追悼に訪れたそうだけど、もう半年近く経つのに、アユタヤでもバンコク市内でも、どこに行っても、喪章を掲げたり、国王の遺影を飾ったりしているところが数多くあり、すごく尊崇されていた方なんだということがよくわかる。
2日前にクルーズで川から観て、カミさんもぜひあそこに実際に行ってみたいと言っていた王宮は、神聖な場所だけに、Tシャツに膝丈ズボンと言ういい加減な格好をしていた息子が門をくぐろうとして止められ、そういう人たち専用と思われる店で、長ズボンを買わされた。宮殿--今は迎賓館等として使っているらしい--とその左方に、王室の守護寺として併設されたタイで最も格式の高いワット・プラケオがあり、入場料は破格の500バーツ(約1,600円・タイ人は無料)。だけどここはその価値は十分にあったな~。
とにかくどの建物も荘厳で、色とりどりの屋根をはじめ色使いも大変に美しく、もう圧倒されるばかりなのですよ。確かに、ここに来ずにバンコクは語れない、というのがわかる。紺色の屋根の本堂の中にはご本尊であるエメラルド仏--実際には翡翠でできているとのこと--が祭られており、仏様自体は高さ66cmと小さいのだけど、大きな祭壇の上に鎮座していて、多くの方がその前で正座して手を合わせ、また頭を地に着けている。この仏様は年3回衣替えをするそうだが、それは王族にしか許されていないと言う。
あと、日本で言う仁王様にあたる、門番の位置にいるのが、ヤック・モックと呼ばれる鬼神で、これはインド神話に由来するものらしいけど、これがカッコいいんだよね。仁王様もいろんな表情があってすばらしいんだけど、この鬼神たちもまた、他の仏像にあまり表情がない中、なかなか個性的だし、やっぱこの色とりどりの姿がいいよね。この鬼神たち、バンコクの入口であるスワムナープ空港でも、睨みをきかせていたな。
王宮を出てすぐ前にあったSUBWAYで簡単な昼食にし、ワット・ポーの裏手にある船着場から、チャオプラヤ川を下る定期船に乗る。クルーズで乗ったような立派な船ではなく、地元の人が足として使っているあまりきれいとはいえない、 150人ほどが乗れる屋根つき1階建ての船だ。この船で事件が起こる。
手荷物はウェストポーチにもなるショルダーバッグに入れ、首から斜めがけにして、常に体の右前にあるように注意していたんだけど、この船はかなり混雑していて通路もほとんど立ち客で埋まっていたので、船尾側の乗降口に近い右舷側にもたれかかるような形で乗っていた。そのため体と舷側の間に挟まれたバッグが体の右側にすり抜けた状態になった束の間に、その前にバッグの上のチャックの開け閉めなんかをしたときに目立っていたのか、2日前に買った札入れ型の大ぶりの財布が、チャックを開けられみごと掏られてしまった!
いかん!と気づいたときには時既に遅し。しょうがないので予定していたタクシンの船着場で降りてすぐ、国際電話でカード会社に電話し、カードを止めてもらう。日本で使っていた財布はホテルの金庫にしまい、この財布にはこの一番よく使うカードのほかは、日本円で5,000円と、王宮に入る前に両替したタイバーツが残り多分1,600バーツほど、計1万円程度だけだったので、ちょっと高い勉強代だったとあきらめるしかないか。
だけど旅行保険に入っていたので、帰国してから確認したんだけど、旅行保険って、カバンとかカメラとか時計とか、そういうものは対象でも、現金は補償してくれないのね。ま、そりゃそうか。言い値でもらうことになっちゃうし。財布自体はわずか100バーツ(300円強)だから、補償してもらう手続きのめんどくささに到底見合わない。それよりこの国際電話だけで計算すると3,500円ほどかかってるんだけどこれももちろん対象外だ。ま、カード使われてなかったから、よしとしよう。
それから気を取り直して、タクシンを通るBTSのシーロム線に乗り、ナショナルスタジアム駅まで行く。この駅の目の前には、息子お勧めのショッピングセンター、「マーブンクロンセンター」がある。ここは駅から行くと手前側に東急デパートがあり、奥は各階ごとに明確に別れてはいないものの、ファッション系とか貴金属系とかを扱う小さな店がずらっと並び、4Fはスマホや電化製品を扱う店で、まるで秋葉原のラジオデパートみたいな感じだ。フロアは広大で、テナント数は約2,500あるというからすごい。
こういうとこはぼくもカミさんも大好物でね。娘へのお土産も自分のも含めて、Tシャツやらワンピースやら、欲しかった金色の像の置物とか、ガンガン購入。Tシャツは全部で十数枚買ったんじゃないかな。1枚200バーツ(700円弱)くらいだから、それほど大した出費にならないのが嬉しい。それから東急デパートで、会社や実家へのお土産用のチョコレートやドライフルーツを買い、持ちきれなくなったので、NaRaYaというバンコク発祥のブランドカバン屋さんで、これらを入れる布製バッグを買う。
大荷物になったのでいったんホテルに戻り、それから息子が会社に人に連れてってもらってなかなかよかったと言う、トンロー駅から歩いて10分ほどの、「タリンプリン」というタイ料理の一軒家レストランへ。ここは各サイトでも味、値段、雰囲気の3拍子が揃っているとなかなか評判がよいところで、残念ながら息子お勧めの鶏肉のカレーは品切れだったけど、タイ風の春巻と、何が入ってたか忘れたチャーハン、あとマンゴーフロストは美味しかったなぁ。
3人でたらふく食べて、酒はそんなでもないけどビール何本か飲んで、6,000円弱だからリーズナブルだよね。ここでは、詳しくは書けないけど、去年の暮れから付き合い始めたという息子の新しい彼女の話をけっこう聴いた。奴は誰に似たのか、なかなか甲斐性がある。
トンロー駅で息子と別れ、ホテルに戻る。これでこの旅もほぼ終わり・・・と思いきや・・・。なんと帰国の日の早朝、今度は強烈な腹痛がぁぁぁ。汚い話で恐縮ですが、それから11時半に代理店手配の迎えが来るまで、てか最後は飛行機の中で、計6回ほどトイレに行く羽目になった。ほとんど同じものを食べていたカミさんはなんともなかったから、いったい何が当たったんだろう?生ものと言えば、SUBWAYでトッピングに挟んだキャベツくらいのはずなんだけどなぁ。それだってカミさんも食べてたし。
ぼくの常備薬正露丸で何とか治まったけど、最終日午前中、隣の「ターミナル21」でショップを冷やかそうかと言ってたのが、途中で1人部屋に戻ることになった。その間カミさんはまた追加でスカーフを何枚か買ってたみたいなんで、彼女にとっては邪魔者がいなくてかえってよかったのかもだけど。しかしタイでは希少な、シャワートイレ完備のホテルに泊まってよかった。
てことで飛行機が飛ぶのがちょっと遅れたけど、11時半ごろには羽田に帰ってまいりました。「ドクター・ストレンジ」がもうちょいで終わる、ってとこで着陸しちゃったのがちょっと悔やまれる。しかし首都高、日曜深夜に工事するなよな。ちょっとした渋滞にはまって、家に着いたのは1時半ごろ。お疲れ様でした。
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