ウチには多分他人様の家よりは電波時計が多い。別に自分はそんなにパンクチュアルな人間でもないくせに、ここ何年か、新しく買う時計はみな電波時計だ。
そもそもぼくは、時計って大好きで、でもそれはロレックスとかカルティエとかの高級ブランドが好きなわけでも、「大きな古時計」みたいなアンティークが好きなわけでもなくて、ただコンパクトなくせに、機能性の高いモノってのが好きなだけ。だから携帯とかPDAとかデジカメみたいなものも好きなんだけど、時計ってのは多機能って言う以前に、時を刻むって言うのが使命なわけで、こちらから何かアクションを起こさなくても、黙々とそのメインの使命を果たしているところがエラい。
アンティークの時計も素敵だとは思うし、インテリアとしての美しさを愛でる気持もすごくよく理解できる。別に厳密に正しい時刻を表示できなくたって、十分に役に立つしね。でもその本来の使命を、極めて正確に果たす電波時計は、カッコイイと思うし、素晴らしい発明だと思っちゃうんですよ。しかも安い。絶対狂わないというプレミアムつきなのに、目覚まし型だとせいぜい2,000円台くらいで、普通の目覚ましと価格差はない。
てことで、さっき家中にある電波時計の数を数えてみたら、15個もあった。多くが目覚まし時計の形の置時計なんだけど、腕時計がカミさんの使ってるのも入れて3つ、掛け時計が1つ、スタジオのやや大型の置時計が1つ。とりあえず全部写真を撮ってみた。
こないだ風呂用の吸盤で窓に貼りつける式の防水電波時計ってのを発見して、嬉しくなって買ってきちゃった[左写真左下]んだけど、風呂の中でまで時間に追われることないじゃん、っていう人の気持ちはよーくわかります。別に時間に追われていたいわけではなくて、ふと時刻を知りたくなった時に、どこにいても正確な時刻がわかるってことが嬉しいんですよ。たとえばサッカーの生中継の直前に風呂に入ってるとして、あと何分で出なきゃみたいなね。あれ?これって時間に追われてるか。
朝も2台の目覚ましは両方とも電波時計[右写真下]なので、ぴったり同じ時間に鳴る。それなら1台の大きな音が出る時計にすりゃいいじゃん、って言うご意見もごもっとも。でもね、いざとなったら、アラーム時刻をきっちり1分ずらしてセットとかってこともできるわけじゃん。やったことないけど。
最近はHDレコーダーとか携帯とか、正確な時刻を刻む機器も多くなってきて、電波時計の存在意義も薄れつつあるけど、HDレコーダーの時間表示はいちいち覗き込まないといけないし、家の中にいる時に常に携帯を持ってるわけじゃないし、う~ん、なんかいろいろ理屈こねてるけど、でもやっぱ好きなんだな、時計が、またとりわけ正確な電波時計が。
例えば、ちょっと自分の中で近い感覚で言うと...いくら論理を構築しても、実際の場面では臨機応変に対応するしかない、っていうのはわかるけど、でもぼくはまず徹底的に論理を構築しときたい。理屈屋に対してそういうことを言うのは、論理を構築できる能力あるいは根性がない人で、それでも世の中渡って行けるんだけど、それはある意味敗北だという感覚があって、それと似てるかな。時計が厳密に正確な時を刻むということが好きなのって。
もっとも、理屈だけ言ってて実現力が伴わないって言うのが最悪で、そういう人も多いのは事実だから、その意味ではそういう批判をする人の言ってることは正しいんだけどね。でも事前に論理を構築することと、実現の段になってできるできないってのは、全然別の話で、そこんとこごっちゃにして批判しないでほしいんだよね。
時計の話から理屈屋の話へと、妙な飛躍をした電波時計好きの独り言でした。
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