12月に入ると一斉に、近所や娘をバレエの練習に送りに行く道すがらの家々に、電飾が灯る。去年は、みんなクリスチャンでもないのに、この節操のないちゃっかり祭り気分っていかがなもの?って書いたけど、そんなことを言いながら嫌いでない我が家でも今日、ツリーを出して、実は出しっぱなしになっている外の電飾を整え、灯を入れた。
ここ何年かは、ツリー本体--って言ってももちろん本物ではなくパイプと針金と細く切ったビニールでできたまがいものですが--や電飾機器を出すのはぼくの役目、ツリーに飾りつけをするのは娘の役目になっている。飾り付けの途中で帰ってきた息子はさすがに気づいたけど、終わってから帰ったカミさんに至っては、暗くなって電飾のスイッチを入れるまで気づきもせず、「スルーかよ!」と娘に突っ込まれていた。
しかし、なんだか衣替えみたいに、12月に入ったら一斉に、っていうのもなんだか気持悪くない?これって世界の他の国でもそうなのかな?なんかすごく日本人らしいって思っちゃうんだけど。
だいたい衣替えだって、何も一斉に日を決めてすることないじゃん?って思ってるんだけど。まぁ学校の制服は統一感ってあるだろうから、日を決めるのも仕方ないと思うんだけど、例えば12月に入ったらコートとか、寒くても4月ならコートは着ないとか、季節感って言うけど、寒ければ厚着すればいいし、厚ければ薄着すればいいじゃん、ってぼくは思っちゃうんだけどね。
高速の渋滞なんかでも、インターやジャンクションの分かれ道の手前で、右の車線はすいすい走ってるのに、長蛇の列を作ってたりする。もちろん割り込みはよくないとは思うけど、関越の上りの所沢の出口とか、首都高の環状線から5号線への分岐とか、別れ道側が2車線あったとしても、なんだか左1車線に、律儀に何Kmも並んで待っている。いつも降りるインターなら知ってるでしょ?そのくらい。
ああいうのって、日本人らしいよね。マジメというか、愚直と言うか。なんだか知らない者同士が集まると、妙にお行儀よくなっちゃうのね。スポーツ観戦とかで興奮する場合は別として。それが一方で個人個人になると、前に書いたみたいに電車の中の傘の扱いとか、集団でも知ってる者同士だと、コンパ帰りの学生や若手社会人みたいに、傍若無人に変身したりする。
いや、あの並んでる人たちは、そういう傍若無人の一部の人間とは別の人たちなのかな?いやいや、そんなことないよね。そういう小市民家族でも、いざ電車に乗ると、子供たちが靴も脱がずに電車のシートで膝立ちで窓の外を見てても、シートの上で土足であばれたりしても、靴を脱がせる気もないバカ親が率いていたりするはずだよね。
なんかああいうの見てると情けなくなって来るよね。ちゃんとしろよ。妙なところでじゃなくて、ちゃんとすべきところで。
と、いやいや、電飾が一斉に始まることで、余計なことまで想起してしまったな。ちょいと話を戻すけど...
有楽町の東京国際フォーラムでは残念ながら3年程前に終わってしまった電飾の祭典、東京ミレナリオだけど、最近はあっちこっちで、木々を彩る電飾が観られるようになって、なかなかいいよね。昨日は新宿の南口でJRの線路を挟んで行われている、新宿サザンライツの中を通った。
青色発光ダイオードの発明は、BlueRay DisKとかそういう技術的な進歩のみならず、こういう芸術に属するような分野にも、大きな影響を与えたよね。青や白の光が、すごくきれいになった。
あれを発明した中村修二さんは、所属会社と裁判して、最後は8億数千万円もらうことで和解したみたいだけど、まぁそんだけもらえば一生かなりの生活水準で生きていけるとは言うものの、もうちょっともらっても不思議ないと思うなぁ。あれだけ世の中を変える発明だったんだからさ。いまや家電系量販店で売れ筋は、BlueRay Disk RecorderとミニノートPC(Net Book)だけだって言うし。青色発光ダイオードがなかったら、もっと景気が沈滞してたと思うよ。
いやしかし電飾はきれいだよね。今年はカメラがいいから、去年よりは多少マシな写真になったぞ。新宿サザンライツの写真は携帯で撮ったんで、かなり手ぶれしちゃったんだけどね。
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