今日はかなり酔っ払っている。サッカー日本代表の天王山があるというのに、つい11時まで酒を飲んでしまった。なにせ3時から飲んでいるから、結構来ている。
3時から飲むと言えば、そう、久々の高校時代のクラス会が行われたってわけで。
わが母校、都立青山高校は、今は知らないけど、30年前の当時は、都立高校は学校群制度というのを敷いていて、新宿、渋谷、世田谷などを学区域とした第2学区の中では、戸山高校と組み合わされたおかげで、けっこうな進学校だった。
進学校にもかかわらず、ぼくらが在学したさらに十数年前には、学生運動のメッカだったりもして、そういう自由な気風あふれる、今にして思えば本当にいい学校だった。
当時この高校では、1学年目と2学年目はクラスの番号が変わるだけでクラス替えはなく、3年になると理系と文系に分かれると言う制度だったので、3年のときのクラスよりも、1,2年のときのクラスの結束が固く、たとえばうちのクラスは、2年1組だったために、「もとイチ」と呼ばれ、3年のときのクラスは「いま三」とか「いま六」とか呼ばれて、誰かの話をするときは、「ほらあのもと八、いま六の○○君」みたいな言い方をするのが慣わしになっていた。
我らがもと1は、卒業以来定期的に、ほぼ5年ごとにクラス会を行ってきており、前回の時はたまたまあの新潟大地震の日で、そうか、あれからもう5年経ったんだね。歳を取るごとに5年がどんどん短くなっていくよね。
ぼくらの担任だった英語のN先生は、今年80歳になるそうだけどまったくお元気で、相変わらず話が長いのだけど、それもまた懐かしい。
今の高校生では信じられないと思うけど、当時、ぼくらは文化祭とかなんとか、そういう行事があるたびに、渋谷に繰り出して飲んでいた。酒は飲むはタバコは吸うは、酔いつぶれてぶっ倒れた友人の巨体をタクシーに押し込み、他の友人の家まで搬送して、あまりの重さにしばらく路上に放置した、と言った類の思い出がたくさんある。
なにせ外苑前の駅から神宮球場のほうに歩いて徒歩5分ほどと言う都会の真ん中に学校があったので、ちょっと甘い先生--例えば音楽のカバさん--の授業では、出席を取ったあと、窓から屋根を伝って抜け出し、近くの喫茶店でインベーダーゲームをやっているなんてのが日常茶飯事だった。
5年ごとに集まると、話題はほぼ前回も話したような内容なんだけど、やっぱり懐かしいし、笑えるし、今日だけは老人のごとく思い出話ばかりをしてもOKの免罪符を手に入れたかのように、話に花が咲く。
都立なので当然共学で、ぼくが当時舎弟のようにアゴで使われ、しょっちゅう説教されていたM女史との関係は、30年経とうと久々に会おうとまったく変わることがない。当時彼氏彼女の関係だった組み合わせもいたりするけど、そんな緊張感は、回を重ねてくるごとにだんだん薄れてくる。
今日は三次会まで行ったんだけど、三次会の場所は30年以上前からいまだにあって、当時のぼくらの--というかぼくらの中でもぼくが所属していた不良系の--行きつけだった道玄坂のBYG(ビグ)というパブに久々に行った。
あんまりこんな話を長々としても面白くないだろうからそろそろ終わりますが、やっぱそういう輝く時間があったってことは、素晴らしいことだなぁ、と、至極まっとうな感想を持ったぼくでした。
次回はちょっとスパンを短くして2年後にしようってことで、幹事を仰せ付かってしまったので、まぁがんばりますわ。
そろそろ電車が和光市に着くな。
サッカーはどうなっているのだろう?前半終りギリギリに間に合うかな?
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