あー恥ずかしい。
すっかり勘違いしたり、思い込みで使ってしまっていて、後で気づいて赤面する思いをした言葉ってない?
「ステレオタイプ」。この言葉、実はすっかり、音響の"ステレオ"=左右2つのスピーカーから違う音を出すことで、音に臨場感を与える--の意味から、「AかBかどっちか、本来多様性があるものを二者択一にモデル化してしまう、AでなければBって決めつける考え方」っていう意味だと勝手に思い込んでいた。
ところが違うんですねぇ。音響のステレオはstereophonicの略語で、この場合のstereoは「立体的な」という意味で、19世紀半ばには、「ステレオ写真」という立体写真技術が発明されて、欧米では一時ブームを呼んだりしたらしい。
一方で「ステレオタイプ」のstereoは、スペルは同じだけど全然別の語源で、活版印刷で活字を組んで並べて作る鉛版(ステロ版)のことを言い、これを輪転機にかけることで大量印刷が可能となった。
正確に言うと、活字を1つ1つ拾って並べ、図版などを入れて整えてできるのが原版。活版印刷も初期はこの原版でそのまま印刷していたんだけど、中後期に入ると、何度も繰り返し印刷できるように、この原版から「紙型」というものを作り、これに鉛地金を流しこんで凸状の薄い鉛板を作るようになったもの、これを鉛版というのだそうだ。(冒頭の写真です--こちらのサイト「塩ブックス」から拝借しました。問題があったらご連絡ください)
現在ではほとんど使われていない技術だけど、ここから転じて、判で押したように同じ考えや態度や見方が、多くの人に浸透している状態を言うようになったんだそうで。
まぁ決めつけること、一元的な見方をすること、っていう意味では大きな差はないから、過去ぼくから「ステレオタイプ」って言葉を聞いた人も、使い方が間違ってるとは思わなかったかもしれない。そういう意味では一応セーフではあるんだけどさ。
同様の勘違いが一般化しつつある日本語も多い。よく言われるのが「情けは人のためならず」とか「気がおけない仲間」などの表現だ。
その時代時代のものの考え方の傾向とか、言葉遣いのくせみたいなものが影響してそういうことになるんだろうねぇ、これは。
例えば「情けは人の...」であれば、「誰かに情けをかけてあげることは必ずしもよろしくない、世の中競争社会で厳しいんだから、時には他人に厳しくしてそのことも教えてあげなくちゃ」みたいな、多分ここ何十年かに特徴的なものの考え方、高度成長時代独特の感性から来ちゃってる気がする。
実際には高度成長時代も今も変わらないビジネス社会の常識は、人脈をいかに持ってるかだったりして、それってその相手方にいかに情けをかけてもらえるようにするか、ってことに他ならない。
情けをかけてもらうためには、自分も折に触れて情けをかけてあげることで、人間関係を築いていく。これが人脈を作る、ってことで、つまり「情けは人の...」の本来の意味であるところの、「他人に情けをかける(便宜を図る)ことは、回り回って自分のためになるんだから」っていう意味を、まさに地で行っていることになる。これって皮肉な話だよね。
「気がおけない」の方は、「置く」という言葉が、「持っている」の逆、つまり「ボールを持つ」っていう比喩に代表されるような、「自分の責任である」という意味にもつながる緊張状態から解放される、というイメージを与えられてしまった結果、「おけない」=緊張状態が持続している、というニュアンスを持ってしまったんだろうね。あるいは「筆を置く」みたいな表現にあるような、「動作をやめる」というのも、やはり緊張状態から解放される、という意味に通じるじゃん?
あと、「信を置く」みたいな表現もあって、「おけない」と言うと、どちらかというと人間関係の中で前向きな意味を持つ言葉の否定、というイメージもある。
さらに、この「おけない」が曲者で、普通に聞くとこれは「おくことができない」という可能・不可能を表す意味に取れてしまう。でも実際にはこれは自発動詞、つまり「疲れが取れる」と同じ意味の「・・けない」なんだそうで。つまり「自然と気を置かない状態になる」って意味なんですと。「気がひける」っていう表現は今でも使うけど、この「・・ける」と同じだと言えばわかりやすいかな?
じゃあそもそも「気を置く」ってどういう意味かというと、"据える"という意味には違いはないようなんだけど、推測するに「距離を置く」のような意味から派生したのかな?"気を遣う"っていう意味なんだね。これはある意味「信を置く」とは全く逆の意味で、このへんが日本語の難しいところですな。
つまり「気が置けない」とは、「自然と気を使わない状態になる」ってことになり、とても親しい状態を示す表現になる。
まぁこれなんかは「気が置けるねぇ」みたいな表現が消えてしまったという時代の流れが背景にあるんでしょう。
ま、とにかく「ステレオタイプ」の意味は理解したぞ。人生是勉強ですな。
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ちなみに昨日、パソコンの本買って来てやったのに全然勉強する気がないと書いた娘だけど、今日は少しだけやってみていたようだ。そうそう、そういう素直さが大事だぞ。愛いやつじゃのう。
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