やや楽屋落ち的ネタになるけど、こないだカミさんに、このブログのことを、やたら長くて読むのが疲れると言われた。それでも何を書かれるかわからないので、一応目を通してくれているらしい。なにせ多分、息子はもちろん娘よりも、登場回数では彼女がNo1なのでね。
伸びてきたとはいえ月間2,000ビューくらいの、アルファブロガーと言われる方々から見れば言わば3流のこのブログ。ビュー勝負は多少意識しつつもなるべく見て見ぬふりをし、多少の傾向はあれその都度思ったこととか好きなことを書いてるので、まぁ「同好の士」ってのがこのブログを通じて集まるってことはあるはずもなく、もともとぼくの知り合いか、検索エンジン経由でやってきてくれる一見さんしかいないはずだ。
その一見さんたちは、この検索ワードランキングの通りほとんどが機器系の記事にしか来ないので、懇切丁寧に説明したところで、家族旅行やらバンド関係の記事では、あまり意味がないってのもよくわかっている。
でもなんだか、誰のためってことではなく、つまり長々と説明文を書くことが、単に好きなんだよね。だって多分、説明が詳細だろうが、長文とかを多用し、つながりがわかりづらいので、読みにくく理解し難いことには変わりはないのでね。よく読めば意味が通っている、っていう文章を、意地になって書いている。
あと、将来のたとえば自分の葬式とか、娘の結婚式の時、記録の一端として使われることまで、なんとなく意識して書いてるよね。つまり、多少の誇張はあっても、基本的に嘘のないように、正確な記録を残しておこうって意識が強い。
高校時代の女子の友人に、嘘がないところは評価してあげるって言われたことがある。いやいや、嘘はあるのよ、いっぱい。でも嘘ってさ、致命的なのとそうじゃないのとあるじゃん?そうじゃないのはいっぱいやってると思うんだけど、致命的なのは、多分やってないのよね、ぼく。不必要な嘘はつかないし。
カミさんも、ぼくに対する唯一の評価は、何を言っても大丈夫なところ、と言ってくれるけど、これって、ぼくの反応に嘘がないからってことだよね。逆に言うと。嘘だろお前、って思ってたら、ぼくは多分正直にその思いをかもしだしちゃうからね。いかんいかん、これって自画自賛だなぁ。
でもカミさんに対しても娘に対しても、最後はここしか残ってないと思うんだよね。そこんとこはなくさないように、正直に娘への思いを書いていくことが、最後まで「臭せ。ウザいんだよ」とか言わせない、彼女との精神的絆になるように思っている。幸い彼女はすごくまっすぐに接してくれている。この関係を続けようとすることが、地味だけど父の娘に対する思いなのだな。情けない話だけども。
つーか、娘の結婚式を意識してるってこと自体、本来あり得ん話でしょ。雛人形だって出しっぱなしのくせに。うーむ、どうも彼女に関してだけは、もう生まれて16年経つのに思いが錯綜するな。こんな長いこと連続してぼくの頭脳を混乱させる存在は彼女が初めてだ。
話が逸れちゃったけど、また長くなるとカミさんに文句を言われるので、この辺でやめておきましょう。今日はとりとめもない独り言でした。
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