我が家のクイズ年賀状は、アイデアをひねり出すのが毎年大変なのだけど、ノートPCの画面に家族の写真をはめ込む去年のアイデアを、今年はちょいと自己盗作して、携帯の画面に家族の写真をはめ込むことにした。
PCなら手に持って全身写真を撮って、画面に家族の写真が映ったようにすれば、顔の大きさは本物の顔と大体同じになるので、その2人の組み合わせを利用し、1人が1文字を表すようにして、その4文字を合計年齢の高い方から並べる、というクイズが成り立つ。
そのアイデアを今年もそのまま踏襲しようと思ったんだけど、携帯の画面だと全身写真と一緒に写したんじゃ、小さすぎてその中の顔は誰だかわからない。なので、携帯を4つならべて大写しにし、その中に顔をはめることにした。となるとそれを持つ人間はせいぜい指か手ぐらいでしか参加できない。
携帯にはアクセサリがぶら下がっているので、大体これが娘のだなとか、カミさんのだなとか、ほとんどなにもついていないのがぼくか息子かどちらかのだな、ということは想像がつく。また、本人の指がボタンを押しているようにすれば、その指の歳のとり具合で、大体どれが誰の携帯かはわかる。
てことで、携帯画面には本人じゃない家族の写真をはめ、持ち主と映っている写真の家族との合計年齢で、去年と同じように順番を決めさせようと思っていた。そのためには周到に計画して、誰の携帯に誰が映るか、そしてその1人1人の写真に仕掛ける、文字が何であるかを表すヒントを決めないといけない。
んで要は、この組み合わせで順番を決めるための、画面内に映る人と携帯の持ち主の組み合わせを書いたメモを見誤って、携帯を並べた写真の指を置く位置を、間違ってしまったってことだな。
すぐにたまたま家にいた息子を始め家族全員に、来週写真を撮り直す旨を宣言し、いったん、日曜日の午後に時間を合わせることになった。
だけどここで激論が勃発!カミさんが、そんな難しいクイズにしたらみんなが引いて逆に面白くないと。つまり携帯に映るのを持ち主本人の写真にすれば撮り直しは回避できる。だけどその場合、4文字の順番はクイズにできず、バラバラの4文字を自分で並べてもらわなければならなくなる。でもそれでいいじゃない、と言うわけだ。
うーむ、確かにこれは一理ある。携帯のアクセサリと指の歳とり具合で、誰の携帯かを類推するのは確かにかなり難易度が高い。順番は別のヒントを与えて、並べてもらってもいいかも知れない。
ところがここで、口論になるとカミさんといつも敵対関係になる娘が、断固として父親の味方に立つ。この年賀状のクイズは、別に解いてもらうことが目的ではなく、クイズ形態を取っていること自体が他と際立っているポイントであり意義があるのだと、だから100人に1人しかわからなかろうと、それでいいのだという論旨を展開し始めた。
さすがわが愛娘、父親にとってはとてもうれしい援護射撃ではあるが、気持ち的に日和りつつあったのも事実であり、これはなかなか難しい判定だ。
そう、前にA-Studioで竹中直人が言ってたけど、母親と娘はいつもびっくりするような言い争いをする、と。その際いつも、父親は行司役になる、と。
我が家でもいつも、行司役がぼくであり、通常のようにケンカの原因が彼女たち自身に起きたことどもではなく、今回のように企画制作の責任者である自分にあったとしても、なぜかぼくは行司役に早変わりしてしまう。こういうところが家族の面白さだよね。
結局最終的には、今回は写真の撮り直しはやめて、本人の携帯に本人が映り、4文字の並び順は別にヒントを与えることにする。んで今日、写真の編集をやり直して、メイン写真の周りに散りばめる今年の重要な出来事を表す写真を、娘の意見を取り入れて一部変更することで、大岡裁きとすることにした。
いやいや、会社でもなかなかうまく行かない関係の2人がいたりして、まぁまぁとなだめたり、もうちょっと言い方があるだろ、と諭したりするけど、そういうのって管理者としての役割行動だけではなくて、持って生れた役回りって言う要素もあるんだねきっと。
もっとガンコおやじやってればよかったかな、とも思うけど、そんなのきっと長続きしなかったでしょうね。そういう役回りになっちゃう自分がかわいくもあり悔しくもあり。みのりんによく、三つ子の魂・・・って言われるけど、悔しいが事実だな。バンドの中の人間関係も、ホントに30年間、基本的に変わらないもんね。あーあ。
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年賀状の数が、年々減り続けていて、しかもそれには、個人情報保護法施行が大きくモノを言っていると言う。確かに社員住所録ってもんが、なくなっちまったからなぁ、あれ以来。年賀状を出すリストが増える機会は、ほんとにほとんどなくなったよね。電話番号やメアドは増えたとしても。
年賀状じゃなくなる時期が、いずれ我が家にも来るのかなぁ。
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