去年、夏休みに家族で開田高原に行った帰りの車の中で、なぜだかウルトラマンの話になり、娘が、「ウルトラセブンってウルトラワンから順番に数字が増えてったの?」って言うんで、そんな動物モノみたいなウルトラマンあるわけねーだろ、って笑い話になった。
その後会社が代官山に移転して、副都心線で通うようになって、電車に乗ると毎度毎度気になるのが、録音音声で流れる女声アナウンスで、「副都心線はワンマン運転です」。これがどう聞いても、何度聞いても、「副都心線はワンワン運転です」に聞こえる。
そしてそのときまではいつもすっかり忘れているのに、これを言われたとたんに、ソフトバンクのお父さんが、運転士の帽子をかぶって操縦レバーを握っている姿が毎回必ず脳裏をよぎり、ひとりクスッと笑ってしまうという、不気味な状況が繰り返されている。
もっとも彼の職業は以前のシリーズで学校の先生だったはずなので、さすがにネットで検索しても運転士をしている姿の画像はない。ので、操縦レバーまでは無理としても、彼が運転士の帽子をかぶっている画像を、サクッと作ってみた。いい加減な合成で恐縮だけど、これはこれでサマになっている。さすが名優、カイ君である。
カイ君は北海道のアイヌ犬ということだが、結婚してからはカミさんがあまり得意ではないので犬を飼ったことはないのだけど、実家にいたころは何匹か犬を飼っていた。2代目が同じアイヌ犬の「ムク」で、富良野在住の叔父が飛行機便で送ってくれ、これを羽田まで迎えに行ったとき、まだ生まれて2,3ヶ月くらいの赤ん坊のムクが、かごの中でウンチを漏らして、ビクビク不安に震えていた事を、今でも憶えている。
メスだったけど普段のおとなしさと、野球のグローブにかかってこい、と仕掛けると果敢に挑んでくる激しさを持ち合わせたさすがの純血アイヌ犬だった。当時まだ祖母も生きていて、住んでいたのは、実家が、その後4人姉妹で相続し、2人が売却したために面積が半分になって建て直す前であり、祖父と祖母の旧家の敷地に建っていたので、その庭でよく相手をしてやったものだ。
手違いでフィラリアの予防接種をしておらず、かわいそうにその病気にかかって2年ほどで亡くなってしまった時は本当に悲しくて、祖母に慰められたのを憶えている。
その後の3代目、名前は「ッ」を加えて「ムック」になったのだけど、今度はシェトランドシープドッグの純血種。でもこいつを飼い始めてわりとすぐにぼくは結婚して家を出てしまったので、彼はぼくを飼い主だとは認識していなかった。
そして一番思い出深いのが、これも当時まだ善福寺に住んでいた叔父の、放浪癖のある飼い犬が、罪深くも外で作ってきてしまったうちの1匹を貰い受けた正真正銘のド雑種、1代目の「スリーピー」だ。
スヌーピーに似て垂れ耳で大きな茶色のぶちがあり、ちょっと眠そうな顔をしていたのでこう名づけたこいつは、本当に絵に描いたようなバカ犬だった。とにかくワンワンとよく吠えるし、噛むし、親に似て脱走癖があり、しょっちゅう逃げ出して、長いときは一週間も帰ってこなかったりした。
まだぼくが小学生から中学生くらいだったこの当時、実家は渋谷の南平台にあり、元モデルハウスだったという3LDKの一軒家で、その裏には親父の会社の社宅のアパートが2棟建っていて、ここの子供たちのところへこのバカ犬をよく連れて行った。社宅の敷地でこいつを放したら、ぐるぐる走り回って小さな子供たち追い掛け回し、お母さんたちの顰蹙を買ったこともある。
上記の護国寺の祖父・祖母の家の敷地に親父が家を建てて引っ越すとき、事情があって連れて行けないことになり、どうしよう、という家族会議が行われ、ぼくは泣いて抗議したのだけど、結局貰い手も見つかって引き取られることになった。
ところがあと数日で引越し、というときに、何を察したのかスリーピーは最後の脱走を敢行し、今度は2度と戻ってこなかった。保健所に問い合わせてもらったけど捕らわれた形跡もなく、結局そのままになってしまった。そういう「ムク」の時よりさらに悲しい別れを、彼とはした。この時の思いは、今にして思えば、ぼくの性格を形成するひとつの大きな事件になっているよね。
娘が犬を飼いたいって言うんだよね。ぼくは次男だったから、弟か妹が本当に夢に見るほど欲しくて、その替わりとして飼いたいと思う気持ちは、すごくよくわかる。でもカミさんは苦手だし--昔犬に噛まれた経験があるらしい--、ぼくも室内犬ってのはどうなんだろ、ってのもあるので、我が家では今後飼うことはないかな。5,6年前に娘が飼ったハムスターの「ムッチ」が限界でしょ。
てことで、かつては犬を飼ってました、っていうノスタルジーでした。
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