2週連続作詞の、というか佐野元春「The Songwriters」がらみの話になっちゃうけど、今日のゲストはASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文氏。面白かったのは、このバンドの全曲の作詞をしている彼が、アイデアノートから含めてすべて、縦書きで書いていると言うことだ。彼に言わせると、日本語ってモノは本来縦書きだと。
縦書きと横書きって言うのは、考えてみると結構深い。後藤氏の言うことももっともで、明治になって西洋語の文化が入ってくるまで、日本語を横書きにするなんてことは、思いもよらなかったことだろう。
だけど単体では意味のない26の文字をつなげて、単語と言う単位で意味を持たせ、その連なりの間をスペースで空けていく英語は、無理すれば縦書きで書けないことはないかも知れないけど、基本的に横書き以外ありえない。一方で日本語、中国語、韓国語は、いずれも縦でも横でも行ける。そういう意味ではとても柔軟な言語だ。
ぼくは高校生の頃から不定期で日記を書いていて、残念なことに現在全部は残ってないのだけど、社会人になるまで7冊のノートを使った。書かないときは何ヶ月も書かなかったり、書くときは毎日書いたり、しかも頭に浮かぶことをただ書きなぐっているので、とりとめもない内容なのだけど、この手書きノートはすべて横書きだ。
社会人になってレターとかたまにマニュアルとかを作るようになったけども、これらも当然すべて横書きだ。つまり手書きにしろPCを使って書くにしろ、生まれてこの方、自分が書くときはほとんど横書きだった、ということだ。唯一縦書きだったのは国語のノートかな。テストとかでも、現国、古文、漢文のみは縦書き、あとはみな横書きだ。
映画監督として脚本を書くことが多い義父がパソコンを買ったときに、ワードで縦書きの設定を頼まれて、あー、なるほどなぁ、と感心した。脚本って言うのは縦書きだもんね、絶対。
一方、読むとなるとどうだろう。もちろん会社で他人が作るレターはみんな横書きだから、仕事で目に触れるものは横書きが多いのだけど、小説はすべて縦書き・右開きだ。長い文章、製本されたものを読むとき、横書きのものってのはどうにも読みづらい。
大体左開きの本って、ページのめくりやすさで言うと右手で持つことになるから、右利きの人にとっては利き手を奪われることになる。叙情的なものは左手にあってほしいという意識もなんとなくある。
これって、国語以外の教科書がすべて横書きだったことに起因するのかな。特に大学に入って、ろくに勉強はしなかったのだけども、教科書となるべき各種著作物はすべて横書きだった。横書きの本というのは、つまりイコール教科書なんだよね。
浪人していたとき、山川の日本史の教科書を暗記するほど読み込んだけど、横書きの本にあれほど慣れ親しんだのは、あれが最初で最後だった気がする。日本史の教科書なんだから、縦書きでもよさそうなもんだけどねぇ。なんで学術となると横書き、って決まってるんだろう?
小説家がPCで書くとき、横書きなんだろうか、縦書きなんだろうか。横書きで書くのと、縦書きで書くのとでは、やっぱり違うものができてしまうんだろうか?でもワープロソフトってヤツは、とはいえ横書き向きにできているから、何も考えずに横書きで書いてる人も多いんだろうなぁ。
このブログも横書きだけど、こんなダラダラととりとめもない文章は、ホントは縦書き向きかもね。こうして短いセンテンスで改行を入れる書き方ってのは、メールから来てるんだけども、読みやすいというか、こうでないと読む気がしないからなんだよね、多分。縦書きのブログってあったら書く内容や文章のスタイルが変わってくるんだろうか。
考えてみれば、縦でも横でも行けるってことは、斜めでも行けるってことだよね。文字自体は回転させずにってことでよ。まぁでも読みにくいわなぁ。斜め書きならではの情感があるってとこまで行けないか。
そういう、なんだか教科書だと横書き、小説だと縦書きみたいなルールをぶち破ると、面白いものができるかもしれないよな、なんて思う。そういう自由を想像できるわが日本語を、性懲りもなくつい、誇らしく思ってしまう。
そんな、横書きの本を、超久々に読んでいる。いやいや、息子の書棚にある宮部みゆき20冊ほどを全部読んでしまって、久々に次の作家を探索していて、ふと、オレって認知心理学ってヤツに、ここ10年以上なんとなく興味を持っていたよな、って思ってね。
究極のわかりやすいUIってのになんだか興味と言うかあこがれがあってね。浪人したときに、理系から文転したんですわ。んで現役で東工大受けようと思ったときに、やりたいことは人間工学だな、って思ったのが多分始めなんだけども。そういう、人間にとってわかりやすいとか使いやすいとかってことが、思えばぼくの人生におけるかなりの重大テーマなんだな。
わかりやすいマニュアルって、とかね。これはわがバンド「健康」のファンでいてくれる、自らの経験からAC問題に造詣の深いIsshyさんの、仕事上での専門分野ですな。「認知心理学」っていう学問分野については、その後ずいぶん経ってから知ったんだけどね。
んで、それを追求するには、少し学術的な知識も持たないと、なんて、すげー稀なことに思い立ってしまってですね。地元の朝霞市立図書館--埼玉南部4市では最も充実した図書館が、チャリで5分くらいの場所にあるってことは、すばらしいことだよね--で検索して、その名もズバリ「認知心理学」って本を書庫から出してもらったら、これがあからさまに教科書のノリで、横書きだったってわけですわ。
まだ数ページしか読んでないから偉そうなことは言えないのだけど、横書きの本のくせに、今のところ眠くならないのよね。この学問分野の歴史のこととか、余計な周辺事項から入ってる割には。いやこれ、本気で興味あるんだなオレ。なんか初めての感動。娘に遺伝したチョー勉強嫌いが、今まさにカミさんの不機嫌の原因になってる--今日も昼飯のときちょっとケンカになった--身としては。
娘よ、学問ももしかしたら面白いぞ。人生で多分初めて思ったけども。
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梅雨明けの「ようだ」で商売になるってのは、うらやましいよね、って話を、昨日部下のKとした。彼は最近、社長秘書の女性格闘家ミキちゃんに、かなりシュールなセクハラを--エレベーターの中でバイブ着信している社内携帯を、彼女の腿に押しつけると言う--していて、ぼくとしては再評価しているのだけど。
まぁ気象庁の存在意義の議論はどうあれ、そのあいまいな「梅雨明け宣言」に至る原因となった今日の夏空は、いよいよ来たな、って感じだったよね。写真は撮りそびれたけど、今日の夕空もすごかった。
夏は上がるよなぁ、やっぱ。
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