今は土曜日の深夜に、テレ朝でやっている「さまぁ~ず×さまぁ~ず」、水曜深夜にやっていた時代からの愛視聴番組なのだけど、ちょっと前のこの番組で三村が、大人の心の持ちようとして、旅行とかに行く前の日は、どうせこんなもんだろうと高をくくって入り、お、意外とおもしれえじゃん、って思うことにしたって言っていた。
これ、すごいわかるなぁ。オレもまったく同じだ。というか、彼らはアラフォーだからまだそこまでの境地なんだろうけど、それを長いこと続けていると、意識してセーブしなくても、大抵のことが最初から自然と大したことないように思われてきて、実際に楽しいと、幸せに思えるようになっている。
人生において嬉しかったり楽しかったりすることって、当たり前だけど最も素晴らしいことで、人間つまるところそのために生きてるでしょ、っていう、ぼくは割合単純な楽観的享楽主義者だ。
子供の頃からそんな理屈っぽい思いがあったわけではないけれども、旅行に行くとか、日帰りでも遊園地とかそういう非日常的で楽しい場所に行く前の晩は、楽しみでなかなか寝られなかった。
でも寝不足でどこかに行くと、テンションが上がりづらいから、やっぱり万全の体調で行きたいし、そもそも子供の頃なら、行きの車の中で寝てしまうこともできたけど、父になってからは、いや学生時代、免許を取ってからは、運転者としての責任があり、寝ないわけには行かない。
そこでその「大人の心の持ちよう」を始めたのだけども、これが体に染みついてしまったって訳ね。
だけど考えてみれば、享楽主義者なら、楽しみにすることを楽しまないともったいない。人生の目的が楽しいことだとするならば、費用対効果として考えれば、同じ投資でできるだけ楽しんだほうが、効果が高いことになる。
だから、旅行なら予約する時にいろいろと想像を膨らますことや、買い物ならこれを買ったらこんなことができる、あんなことができるとか、これを買うことで、今までなかった生活習慣ができる、ということを、事前にいろいろ考えること、これも重要な「楽しみ」にするようにしている。
となると、前の晩にその気持ちを意図的にクールダウンするのは、もったいないことなのだけども、ま、だからこそ「大人の」心の持ちようなのだね。いや責任感ということだけではなくて、楽しみにしすぎて実際に行ってイマイチだったなぁと思わないようにという、小ざかしい計算も含めてね。
そういう心持って、育ちのいい人にはわからないのかな。旅行に行ったりすることが当たり前で、例えば週末ごとに別荘に行くみたいな生活だと、そんなもんいちいち楽しみにしないでしょ。いや、逆か。育ちの悪い人こそ、そんな機会が少なかったから、そんな心境わからないってこともある。
つまりみごとに中流階級なんでしょうな。一億総中流階級といわれたのが、最近は格差社会と言われるようになったけども、実際にはこの国は、アメリカや中国に比べれば今でもずっと中流比率の高い国だからね。
さて、「大人の」心持っていうのも、子供が大きくなって、いよいよ巣立って、あとはカミさんと暮らしていくっていう老境に入ってきた時には考え物だ。我が家でも息子は来年から家にいなくなり、娘は4年制大学に行けば少なくともあと5年はそうはならないものの、親につきあえなくなることも出てくるだろう。
となると、既に感じている「老い」に対抗することの方が、重要性を帯びてくるじゃない。
楽しみにすると言う、それで寝られないと言う、そういう天真爛漫と言うかナイーブと言うか--ナイーブって言葉は元の意味と和製英語としての意味が異なる代表選手だよね。べつに"敏感"だとか"傷つきやすい"だとかってニュアンスは、英語のナイーブにはないのにね--そういう心境を、今度は意図的に取り戻さないと、どんどん老いていってしまう。
だから、そろそろ逆に楽しみにするようにしないとね。朝寝坊がだんだんできなくなってきた昨今、もういくら楽しみでも寝れるでしょ。っつーか、もし寝れなかったら、自分もまだ若かったんだと、自分を褒めてやらないと。楽しみにすると言うことが、これからの重要テーマになるのです。
話は変わるけど、非日常と言えば、先週の「Music Lovers」で、スピッツがゲストだったんだけど、スピッツにとってライブとは、といういつもの問いに対して、「非日常」と答えていた。
これは、プロのミュージシャンとしては、希少な思いなんじゃないかな。ぼくのようなアマチュアミュージシャンで、年に多くても2,3回しかライブができないような人間には、ライブをやることなんてそれこそ非日常以外の何者でもない。だから普段どおりにはできず、やたら走っちゃったりして、しかもそういうハイテンションだったことに、その場では気づかなかったりする。
だけど彼らプロは、全国ツアーとかやるわけだし、年間のライブの数もハンパないわけで、それで食ってるんだから、いわばぼくらサラリーマンが会社に行くのと位置づけ的には変わりないはずだ。いや、それは言い過ぎとしても、当然、緊張感だって薄れてくるだろうし、流しちゃったライブだってあるはずだ。
それを「非日常」と感じられる心境って言うのは、毎日会社に行くのが楽しみだっていうのと同じってコトでしょ。それってすごいことじゃない?
ぼくらサラリーマンも、そうありたいものですね、という一言でございました。
こりゃ貼る写真がないなと思っていたら、意外にこの記事のテーマにヒットな冒頭のグラフが見つかった。「高齢者の日常生活に関する意識調査」の「日常の楽しみについて」だって。旅行って4位か。思ったより下位だなぁ。なんで?「日常の」じゃないから?それとも老人は旅行なんかに行く体力が残ってないってコト?やだなぁそれ。
コメント