この週末は年賀状作りだなと、ずっと思ってたのに、今日は優勝争いなど興味のないJリーグ、ジュビロがもうまったく勝たないもんで、12月に1試合だけ残すスケジュールは月単位契約のスカパーと結託してるのかと、もう11月末で契約解除しちゃったので--今日は久々に勝ったらしいけど--、時間的余裕がありすぎて、Mustで買わなきゃいけないものはほんのちょっとだったのに、ロヂャースに長居してしまったため、明るいうちにと先に走りに行ったこともあり、結局手を付けられたのが夕方の5時半過ぎになってしまった。
例年、年賀状のメイン写真だけは夏の旅行とともに、息子と娘のスケジュールを確認し、じゃあこの日の朝何時からだからと指定して、絶対に家にいさせるほどの我が家の最重要行事だったのに、今年はもう最初から娘が、週末に家にいる時間なんて一切取れないと宣言しやがったもんだから、諸事情あり延期されて年も押し詰まった今月28日に行う予定になった娘の成人記念食事会の写真を使うってことにしたため--なので今年は元旦には届かないかもしれません。スイマセン--、メイン写真が決まっていない状態で周辺写真を選んでレイアウトするという手探りの作業になった。
と言っても我が家の年賀状をご存知の方ならおわかりいただけると思うが、この写真選びとレイアウトとて、そう舐めたもんじゃない作業だ。てかメイン写真なんて真ん中にドンと置くだけなので、毎年何に時間を取られてるって、写真選び、レイアウト、キャプション書き、メインキャプションの変形調整等の今日やった作業なわけで。
特に今年は、そんな流れもあって娘の成人式記念バージョンにすることになってしまい、ネタバレになりますが娘のチビのころからの写真も並べたるかってことにしたので、選ぶ写真の数の多いこと。
しかもホントにチビのころの写真は銀塩なので、もう何年も手を触れていなかった4~5冊×10箱ほどの大量の写真フォルダをまず2Fからスタジオに2度に分けて運び、1冊ごとに取り出してページをめくっていくという地道な作業から始めないといけない。何とか遅い夕飯までに銀塩写真は選び終わり、スキャナーで取り込んで、また写真フォルダを運んでしまう。
飯を食い終わってから、本来このブログを書くための時間を犠牲にして、娘の歴史&今年のイベントの計18枚に及ぶ写真を選んで加工し、筆まめを立ち上げてレイアウトする。
とりあえず去年のメイン写真を残して仮レイアウトをして行くのだけど、メイン写真が変れば変わっちゃうメインキャプションの改行位置なんて今やっても仕方ないのに、なんかこういうとこオレって無駄にこだわっちゃうんだよね。結局仮でメイン以外のすべてがそれなりのレベルで収まった状態にできた時は、1時半ごろになってしまっていた。
てことでこの週末は、がんばってみたけど夜のうちに書き終わらなかったので、日曜にアップしとります。
さて、新しいスマホ、今日で1週間になったけど、少しフォローを書いておくと、これねぇ、すごいわ。この電池のもち。今週はけっこういじり倒した感じだったので、通常日のシミュレーションにはならないのだけど、それでもまぁ3日は確実にもつね。なんか月曜日だけはやけに残量が減ったことがあり、やっぱ50%前後になると不安だから充電しとこうかな、ってなるので、実際には2日回しになってる感じだけど
まだテザリングは試してないんだけど--LTEはデータ量上限があるのでね。これはけっこうウザいね--、とにかく通信も本体のレスポンスも速いので、朝和光市の駅で始発を待っている10分弱の時間を使って、こいつで日経新聞--1面、時々2面とあとは企業総合~2だけなんだけど--を読むのが日課になってきた。あの10分弱はこれまでただボーっとしてたので、さらに生産性が上がったぞこりゃ。
まだ3G機を使っている皆さん、LTEと最近のスマホのCPUはすごいよ。こんなことだから結局2年ごとに機種変する羽目になるのよね。キャリアとスマホメーカーの思う壺だな。ま、でも思う壺に敢えてハマる価値はあるかも。
さてさて、そんなスマホいじりが久々に楽しかった今週、学生時代のサークル「音感」の大先輩から、FBで1つの訃報がもたらされた。亡くなったのは、リスペクトする日本人ドラマーの1人、アレックスこと青山純さんで、まだ56歳の若さだったそうだ。
1980年、それまでメジャーになり切れていなかった山下達郎が、「Ride On Time」で一気に爆発したまさにそのタイミングで、ベースの伊藤広規とともに彼のバンドに参加し、達郎をして自らのラジオ番組で「今度のドラムとベースがとてもよくて」と言わしめた彼は、ポンタこと村上秀一さんとか山木秀夫さんみたいに、こりゃ無理だ、とても真似できんと思わしめるようなテクや「唯我独尊」性を披露するわけでもなく、前にも書いたけど見た目すごく地味で不器用そうなくせに、正確でグルーブがあり安定感の高いドラミングをする人だった。
だけど、これならオレにもできるぞとコピーして、実際ライブとかでやってみると、彼の叩いた通りに叩いてるはずなのに、結局そのノリがまるで出せなくて、なんでオイラこんなに下手クソなんだろうと落ち込むんだよね。
考えてみると彼の参加したライブを観に行ったのは過去2回。最初はその1980年の夏、浪人時代に、ブーランとマキゾエとマキゾエの友人と4人で、葉山マリーナまで観に行った達郎のライブだった。この時は、コラボするはずだった、その直後改名して「Rats & Star」になった、当時の名前は「SHANELS」が不祥事を起こして不参加になり、それをカバーするために達郎がかなりいろんなオーディエンスサービスをしてくれた。
2度目は2006年のこれも晩夏、カミさんと行った、山中湖の「交流プラザきらら」で行われたMISIAの「星空のライヴⅢ」。その後、観に行ったまさにその日のライブがDVD化されると言う初めての体験をした、このコンピュータを使わない生演奏が売りのライヴシリーズ、発売された全てのDVD、BDを持っているんだけど、長崎でのライヴを収録した「Ⅳ」まで参加していたアレックスが、「Ⅴ」からは代わってしまって、調べてみると病気療養のためってことだったので、心配はしていたんだよね。
ちょっと太り気味だったからなぁ。太りすぎで達郎からバンドをクビにされたって噂もあったしね。
今にして思うと、その2つのライブの間に、26年も経ってたんだね。そんなドラマーって他にいないなぁ多分。なおかつそのライブは両方とも野外で、しかも雨降りだったって言うのも、なんだかちょっとした因縁を感じる。
昨晩はその「星空のライヴⅣ」での、彼の素晴らしいパフォーマンスを、久々にDVDでじっくり観て、ご供養とさせていただいた。うーん、惜しい方を亡くしました。ご冥福をお祈りいたします。
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