昨日今日と、ウチの父母と兄一家と、伊豆下田に行ってきた。父母が今年で結婚60周年の「ダイヤモンド婚」を迎え、そう言えば何かお祝いしなきゃと言うことになり、この年末に、1泊でプチ旅行するかということになり。
下田という町は、前に書いた通りぼくにとってはいろいろと縁のある場所なのだけど、ここ最近は下田に来ると定宿になっているペンション、ベイ・ベリーさんに、今回もお世話になった。前回去年の春に河津桜を観に父母を連れてきたときに、父母もこの宿が気に入ったというので、夏の終わりのまだ予約がオープンになっていない時期に、10人なんですけど大丈夫ですかと電話をかけたら、それなら貸し切りでいいですよ、と言っていただいてね。
結局うちの息子が仕事で来られなくなったのだけど、我が家の3人と、兄一家4人の計9名で、ウチがまず護国寺の実家の2世帯住宅に行って2台の車に分乗し、9時過ぎに出発だ。横浜町田前後で15kmほど渋滞したけど、新東名の長泉沼津インターから伊豆縦貫道と伊豆中央道を辿り、12時ちょっと過ぎには修善寺に着いた。修善寺の有名なそば屋「独鈷そば」に行くためだ。
前を通ってみると珍しくまったく行列ができておらず、よしラッキー、と車を停めに行ったら、いやぁあの辺の駐車場って、もう狭くていびつな形をしてる上にいろいろ突起物があってね。ちくしょー。左フロントドアの下部を少し擦ってしまった。そばを食べていたら最終的には15人くらいの列ができていたので、そば自体は相変わらずうまかったしよかったんだけどねぇ。
修善寺から今度は子供たちがウチの車に乗って、下田港まで国道136号を進む。兄の子供たちは上が女、下が男の兄弟で、なんと2人とも、渋幕から東大とプリンストン大の両方に受かり、半年だけ東大に行って辞め、姪っ子が2年前から、甥っ子が今年の9月から、アメリカ暮らしをしているという、なんか子供3人東大に入れて教育論をたれてるどっかのおばちゃんに聞かせてやりたい大秀才だ。
もともと子供たちがチビのころサンディエゴに一家で行っており、帰国子女で英語はほぼNativeだったってのはあるんだけど、もちろんその英語力を維持進化させる努力も含め、まぁ大したもんだ。だけど2人アメリカに行かせる兄はそれはもう大変で、もちろんそれだけでってことではないけども、役職定年が迫った某飲料メーカーを辞めて転職することになった。我が豚児豚女が両方とも私学で、なんてのは、言うのが申し訳ないくらいだ。
2人とも精神的にかなりアメリカナイズされているので、言うことが率直で質問もストレートだ。道すがら、終身雇用される気がないんだったらこうしたほうがいいんじゃない?ってな話をしてけっこう盛り上がった。この兄弟は複雑だったり学問的な会話になるとところどころ英語になる。ウチの娘はその間ほぼずっと寝てたけどね。
下田港ではペリーの黒船に模したその名も「サスケハナ号」っていう遊覧船に乗り、いろいろと解説をしてくれるんだけど、とにかく大挙して船に寄ってくるカモメにかっぱえびせんをやるのに盛り上がっているうちに、美しい景色や幕末史なんて気にする間もなく、あっという間に戻ってきてしまった。
それから下田に来たことがないという姪っ子と甥っ子に、おふくろの両親が入っている、ペリーが日米和親条約の交渉をした史跡了仙寺のお墓に連れて行く。上でリンクを貼った記事の通り、6年前に永代供養と言うことにしたので、個別の墓はいつ破却されても文句は言えないのだけど、壊して移設するのも金がかかるってことなのだろう、今でも祖父が建てた墓石は残っていた。
ベイ・ベリーさんは相変わらずの素晴らしいホスピタリティーで、今回はダイヤモンド婚式でってのも伝えてあったので、スパークリングワインやホールケーキを用意してくれて、いつものすばらしい美味かつ大量の料理とともに歓待してくれた。2つある温泉、露天風呂も相変わらずいい湯加減で、風呂好きの甥っ子なんか、わずか一泊のうちに、多分4回も入ったようだ。年末年始料金でいつもより高めの@14,800円だったけど、ここはそれでも十分おつりがくるくらいの価値のある宿だ。
今日は朝9時半ごろに出て、まずベイ・ベリーさんのある吉佐美の1つ南の田牛(とうじ)海水浴場のちょっと手前にあり、ジブリ映画「紅の豚」の主人公ポルコの基地だった、洞穴の奥に開けた砂浜のある内海のモデルになったという、龍宮窟という最近有名になった場所に行く。
洞窟を波が侵食して中が開け、その後上に被っていた岩が落下して上部が開いた、まぁ確かになかなか美しいこの場所は、上から見たらハートの形をしてるってんで一躍パワースポットと言うことになったってことで、今日も結構な人が見に来ていた。この上部を巡る数百mほどの遊歩道を、確かにそこそこ階段とかがあるとはいえ、ぐるっと歩くだけで結構大変そうだった両親は、さすがに"アラナイ(arround90)"だ。歳とったよねぇ。
それから南伊豆の河津桜の名所、青野川沿いを、桜並木の中心地からもうちょっとだけ遡った場所にあり、去年桜を観に来た時におふくろがちょっと興味を示していた「下賀茂熱帯植物園」に行く。この辺りにかつてあった石廊崎のジャングルパークも、 堂ヶ島のらんの里もみんな廃業してしまって、伊豆の下半分ではもう多分ここしかない植物園は、なぜか入園料無料にして、でも老朽化したとはいえ中規模の温室6棟ほどに、たくさんの熱帯植物を咲かせてがんばっている。
自宅にも温室を作り、蘭が趣味の親父も、それにもう数十年付き合ってきたおふくろも、植物モノには目がないので、結構な時間をかけてこの温室を巡り、ここの稼ぎで何とか持たせていると思われる入口の喫茶コーナーみたいなところで、みんなでマンゴーやらパイナップルやらのジュース、果実、シャーベットを注文して、経営に貢献した。
そして今度は、ひものをどうしても買いたいと言っていた兄嫁を、下田港まで戻って昨日の黒船の乗船場の隣にある道の駅に連れて行ってひとしきりお土産を買い、さぁ困ったのが昼飯だ。この辺の名物は海鮮系の丼物なんだけど、この道の駅の中にある3つの食堂はどこも長蛇の列。下田の街中の店もいくつか訊いてみたらみんな待ち行列ができているうえに、狭い町だから車2台で行っても停まれるところがほとんどない。
しょうがないのでここも少し待たされたけど近くのジョナサンに行き、4人がここにもあった海鮮丼を、5人は他のものを頼む。大食いの甥っ子は、サラダにハンバーグに親や祖父母に提供された海鮮丼の残りをたらふく食べて満足した様子。
それから下田港の北の爪木崎という岬の水仙の群生地を観に行く。12月だとまだちょっと早いものの、既に「水仙まつり」は始まっていて、まだ咲いてない株もかなりあるものの、なかなかに賑わっている。群生地を過ぎて突端の灯台まで歩いていくと、今日はものすごく空気が澄んでいて、伊豆諸島のうちかなり遠くにある三宅島まできれいに見えた。
この時点で3時半くらいになっており、いよいよ長躯ご帰還だ。帰りは東海岸沿いの王道、国道135号線を北上していく。伊豆高原手前で少しだけ渋滞に捕まったものの、裏道から伊豆スカイラインに入り、いつもの箱根新道-小田原厚木道路-東名のルートで帰る。渋滞の名所大和トンネルの手前でちょっとだけ滞ったけど、全然許容範囲で、首都高もスムーズに通り抜けて護国寺で降りた。
息子が今日は帰ってくるというので、連絡を取って、千石にできた「文京グリーンコ-ト」内のイタ飯屋、「トラットリア イタリア」でみんなでピザ、パスタのメシにする。伊豆高原の渋滞を抜けた時点で、夜8時くらいに着けるんじゃない?と予測し電話で予約しておいた時間がほぼぴったりの到着で、なかなかの味にこれまた大満足だ。
最後に両親が今回はいい旅をありがとうと言ってくれて、駐車場でうちの家族の写真で作ったカレンダーを渡し、よいお年を、ってことで別れ、10時過ぎに家に着いた。わずか1日空けただけなのに、家の中が寒い寒い。そんなに体を冷やしたつもりはないのだけど、軽く風邪をひいたみたいだ。鼻水が止まらない。
てことで一応親孝行になったかな?の我が家ご一行の年末旅行でした。まぁしかし、昭和初期の生まれでダイヤモンド婚まで行けるってのは、しかも体は弱っているとは言え2人とも頭はしっかりしてるというのは、なかなかすばらしいことですよね。ウチがそうなれたとしてその時ぼくは85歳。行けまっかねぇ?
すみません、本文を書いている間に深夜になってしまったので、日付を遡って掲載しております。
また大変に長くなったことも併せてお詫び申し上げます。皆様、よいお年をお迎えください。
修善寺の蕎麦屋の駐車場では兄弟そろって車をこすって、奥さんたちに怒られました。
投稿情報: タコ兄 | 2015/12/31 21:11