最近なんだか旅、というか長距離移動づいている。先週の大阪に続き、今週は横浜まで仕事で行き、来週か再来週には九州にも行く予定がある。そしてJRのダイヤが大改正になった今日はいま、伊豆の下田に向かう踊り子105号の中で書いている。
下田と言う街は、結婚して以来はじめてできた、カミさんの両親の出身地である福井と言う、いわゆる故郷と言う意味での擬似「いなか」に先立ち、ぼくにとっては「いなか」というほどでもないけど、けっこう郷愁を誘う、第2のふるさと的な場所だ。
もう20年前に95歳で大往生した母方の祖父は、日清戦争の前年に生まれ、東京帝大を出て、戦前に群馬やら山梨やらの県知事を歴任したような人だったんだけど、 彼の出身地が下田で、この街には祖父と同じ苗字の人たちばかりが住む一角があったりする。そんな縁で、彼は毎年、夏休みは河口湖の富士ビューホテルに、冬休みの後半は、下田の大浦海岸べりの丘の上にある東急ホテルに、7人の孫たちを連れて行ってくれた。
都合が合わないいとこは来られなかったりするんだけど、ぼくは小学生のころ多分ほとんど毎年参加しており、あまり街歩きをするような歳でもなかったけど、この街の作りとか、大体どこにどんな名所があるとか、そういうことは自然に頭に入ってしまった。つまりぼくにとってはそういう"懐かしさ"を持つ場所だ。
その後もカミさんや子供を連れて、何度か下田には行ったけど、必ず車だったので、実は電車で行くって言うのは、たぶん--最後がいつだったかは忘れてしまったのだけど--その時以来だ。そして今回は、少し寂しい用事で下田に向っている。いわばこの街と"縁を切りに"行くんだよね。
祖父の家は子供は娘4人で、うちのおふくろが3番目なんだけど、いとこのなかで唯一次男で、かつ一番年下だったぼくは、そんなに真剣にではなかったとはいえ、このままだと家が絶えてしまうので、祖父の養子になってくれないかと言われたこともあったりして、苗字が変わるってどんな感じかなぁ、なんて、まじめに考えたこともある。
だから、下田の、かつてペリーが黒船に乗ってやってきた時に宿舎にしていたと言う国の指定文化財、了仙寺と言う寺にある祖父の墓には、この辺を通るたびに一応お参りすることにしていた。そういう意味では、多摩墓地にある実家の墓よりも、行った頻度としては多かったかもしれない。
だけど亡くなってふた昔経ち、祖父の娘の代の4姉妹ももういつ死んでもおかしくない歳になってきて、檀家としてそれなりの負担をし続けることが厳しくなってきちゃったんで、今日は永年供養と言うことにしてもらう法事のために、下田に向っている、というわけですわ。
ぼくが末の孫だったこともあり、祖父というよりその5,6年前に亡くなった祖母のほうが、ぼくをずいぶんかわいがってくれた。口は悪かったけど、何かと言うとガラス拭きのバイトがあるとか、笹塚にある薬局でしか売っていない漢方の飲み薬みたいなものを買ってきてくれとか、そんな、今にして思えば口実を見つけては、たんまりとバイト代をくれたりした。
まぁこれまでそんなにたくさんのお葬式に出たわけではないけれど、彼女が亡くなった時だけは唯一、ぼくは自分の部屋で大泣きに泣いた。
祖父のほうも、亡くなる少し前に、彼にとって初のひ孫であるうちの息子が生まれたのをとても喜んで抱っこしながら、「せっかく生まれてくれたけど、自慢しようと思っとった奴らが皆死んじまった」なんて寂しそうに言っていた。
そんな思い出がもちろんなくなってしまうわけではないし、実際にはいまある墓も解体するとそれはそれで費用がかかるので、すぐに総墓のようなところに移されると言うわけではないらしいけど、下田との縁が薄くなるってことは、それらの思い出をいやおうなくますます過去の事へと追いやっていくってことで、やっぱ寂しいよね。
おっと、そろそろ電車が下田に着くな。しかし話は逸れるけどe-mobileめ、伊豆半島は伊東までしかつながらないようだな。下田はまったくNGだ。もうちょっとなんとかせいよ。
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日蓮宗の法事っていうのはわりあいラフな感じで、まず本堂でお経を上げお焼香をし、それからお墓に行ってお焼香し、1時間くらいでさっくり終わった。それから近所のお寿司屋さんで昼食にし、そこでみんなと別れて、大浦海岸に出、懐かしい東急ホテルを仰ぎ見ながら、昔よく通った下田海中水族館までの海沿いの遊歩道を、ゆっくり歩いてみた。
今日は雨こそ上がったものの、特に海沿いはものすごい風で、岸辺の岩に波がぶつかって大きなしぶきを上げている。遊歩道はタイミングを見計らって歩かないと、しぶきでずぶ濡れになってしまうような状態だった。
それでも下田海中水族館でお土産やさんをひやかしていたら、3時過ぎにはやっと晴れてきて、少し風も収まってきた。ちょっとしたおみやげを買って、バスで伊豆急下田駅まで戻り、16時すぎのスーパービュー踊り子号(冒頭の写真)に乗って、今その中で書いている。
今日の法事は、もう何年も会っていなかったいとこなんかも集まって総勢9名ばかり来ており、毎年祖父と祖母に連れてきてもらっていたころの数々の事件の思い出話などに花を咲かせた。
しかし伊豆急行ってのは久々に乗ったけど、海岸線を走るときには正面に見えるのが大島だとか、そういう観光案内なんかもぬかりなくやってくれる、さすが関東随一のリゾート列車だね。行きはもやっていて見づらかった伊豆七島も、帰りは日が後ろから差していることもあって、かなりきれいに見えた。
それに熱海から伊東までのJR伊東線と、この伊豆急線は、結構な本数の電車があるのに単線なんだね、そう言えば。小学校のころから鉄ちゃんもどきだったぼくは、単線なので行き交うのに駅で待たないといけないってことがなんとなく珍しく楽しかったってことを、今回三十数年ぶりに思い出しましたよ。
てことで今回は、故人を偲ぶ日記でございました。歳をとると思い出話が多くなっていくってのは、単に過去が積み上がっていくからだよね。と思いたい。それでもいつかは未来の量が見えてきてしまったような寂しい気持ちになるんだろうけど、その前にもっともっといろんな未来を積み上げて行きたいものです。
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