3月4月は卒業、そして新生活スタートの季節。我が家では今年、ついに娘が大学を卒業し、社会人になった。
娘が行っていた4年制マンモス大学のライフデザイン学部というところの幼児教育系の学科は、世の中に実はそれほど多くない、卒業と同時に保育士と幼稚園教諭の両方の資格が取れるカリキュラムになっており、だからここを選んだ--それがたまたま家からチャリで10分と言う近場にあったってのもラッキーだった--のだけど、そのために教育実習は幼稚園と保育園の両方に行かねばならないし、取る単位も多くてけっこう大変で、父親の学生時代と比べればはるかにマジメに通っていた。
んでバイトも遊び--遊びだけはおいらと似たようなもんかもしれないけど--もガンガンに入れまくりで、その上サークルやらよさこい踊りやらなんやら、早朝から深夜まで毎日ほとんど出ずっぱりのような生活を送っていた割には、半期ごとに送られてくる奴の成績は、これまた父親の学生時代と比べればはるかに優秀で、そういうマジメど根性系は母親譲りなのね、と、いくつになっても聞かん坊の部分には辟易しつつも、感心はしていたのね。
なので卒業に向けては特に心配はなかったし、3つ掛け持ちしていたバイトの1つは近所の保育園だったりしたので、去年の夏に某上場企業の子会社の、業界では割合大手らしい私立保育園に就職を決めてきても、社会人生活に向けて本人もたぶん特に不安はなかったはずだし、親としてもまぁいいんじゃないの、って感じだった。公立の保育園の方が、公務員だから給料も高いし安定してていいんじゃないの?公務員試験も受けたら?って勧めても聞きゃしないしね。
特にここ最近は、学生生活最後とばかり、扶養控除ギリギリのバイトの稼ぎを全部つぎ込んで、USJに行きケアンズに行き沖縄に行き、全然帰ってこないような状態だった。そんなこないだの連休最終日の21日、カミさんが出かけている中、ぼくが家でゆったり映画のBDを観ていたら、ずかずかと入ってきていきなり、ねぇ、年金手帳ってどこにあるの?住民票って今日はもう取れないの?とうるさいうるさい。
訊けば保育園ってやつは、4月1日から新米お母さんお父さんのご子息を始め、新たに受け入れることになった幼児がやって来るので、新卒の保育士はもう今週から仕事に入り、2週間の間に慣れておく段取りになっているらしい。そのため、22日にはもう入社式があり、その時に必要書類を持って来いってことのようで。
んなもん急に言われたって健康診断なんて受けてないし!こっちは遊びの予定で先にパツパツになってんだよ!とか逆ギレしているので、お前、急にっつったって、その書類、2週間くらい前に来てて、そん時に一通り目ぇ通してただろ、前日の、しかも休日に、書類書いたり揃えたりすればいいや、ってのがなっとらん。もう社会人なんだから、人としてちゃんとしろ、と叱る。でもそんなもんどこ吹く風で、まぁいいや、それでクビだって言われたって、保育士は引く手あまただからね~、だって。
いや実際にそうらしいんだよね。今国会でも、例の「日本死ね」(って表現もどうかと思うけど)をきっかけに、待遇の件とかいろいろ取り沙汰されてるけど、逆に言えば保育士って超売り手市場なので、大学の友達もみんな、通ってみて気に入らなかったら河岸変えればいいや、くらいの、いわゆる一般の「就職」の概念とは--最近の若者は普通の会社への就職でも昔に比べたらそういうのが薄いけども、それに輪をかけて--ほど遠い感覚らしい。
間に合わなかった書類は後日ってことにしてもらえたようで、とりあえず奴の勤務先は、ちゃんと自宅住所を考慮してくれたらしく、駅からはちょっと歩くけど、我が家から東上線で駅4つ都心方向に向かった、東武練馬駅近くにある保育園になった。東上線って、その東武練馬と我が家のある朝霞との間の、和光市から地下鉄が別れていたり、成増から先は準急が停まらなかったりするので、直通で行ける普通列車って結構本数が少なかったりするんだけどもね。うまいこと直通に乗れれば、Door to Doorで30分くらいでは通えそうだ。22日は入社式は別の場所で行われたのだけど、園の方にも顔を出してきたらしい。
そして順番が前後して、23日にはその保育園を早くも休み、今度は大学の卒業式が行われた。
入学式の時は、家族の入場は1名までってことだったので、ぼくは行かなかったのだけど、父兄からクレームがあったのか、卒業式は2名までOK、その代り入場できないこともあり得ます、という通知が来たため、今回は会社を半休させてもらって、ぼくも行くことにした。なにせ我が家の--未来の孫の代は別として--最後の学校行事だからね。
卒業生が約6,300名、武道館のキャパって14,000名ほど、壇の真後ろは使えないとか関係者の数も考えると多分実質1万程度で、そんなことはないだろうけど親が2人ずつ全部来ちゃうともちろん入れないので、何時に行けばいいか微妙だったのだけど、カミさんが心配するので、式が始まる1時間半ほど前の8時半ごろに着く見当で出かける。
娘は袴の着付けだなんだで7時半には近くのホテルに行っており、だけどこの大量の卒業生の女子の多くが着付けをやるんでね、7時半なんてかなりラッキーな方で、娘の友達は5時半入りだったらしい。女子の方がこういう儀式にマジメに出るってこともあるんだろうけど、後で入場してみて2階席から全体を見渡しても、半分とは言わないけどたぶん4割くらいが女子だった感じだから、出席率がよくわからないけどその8、9割が袴を着るとして2,000人前後?そりゃあ着付けも突貫工事になるよね。
さすがに8時半では父兄入口の前の列はまだ30mほどにしかなってなかったので、北の丸の堀の橋の上で娘とおち合って写真を撮る。
こういう学校行事って娘の高校の卒業式以来で、しかも自分自身大学の卒業式に出た記憶が定かでないんだけども、まぁ人の数は多いわな。内容的には大学だからってそんなに特筆すべきこともなく、普通の式次第が普通に進んでいくんだけども、駅伝始めスポーツが強かったりする大学なので、スポーツ報奨金の対象者の発表とか、そういうところがちょっと目新しかったくらいかな。
帰りは駅までの道や駅自体が大混雑になるのは避けたかったので、終了予定時間の10分前くらいに切り上げて、ぼくは会社に向かった。その後朝霞のキャンパスに戻って、個人ごとに卒業証書を授与されたり、いろんな催しがあったらしい。カミさんはこの日は勤め先を休んで、全部つきあってきたようだ。
てことで、会社に扶養はずしの届出を出して、我が家の子育てはこれにて終了。とは言っても、あの調子だとこれからもまだまだいろいろと世話が焼けそうな、わが豚女でございます。
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