世の中騒然となっておりますが、みなさまお元気でお過ごしでしょうか?ぼくは今のところ花粉によると思われる鼻水などのほか、特に何か症状が出てると言うことはないですけど、例のクルーズ船の発症者を受け入れた病院のうちの1つの医師を勤める「音感」の先輩N氏によると、症状が重篤になると対処する術がなく、また重篤化は若い人にも起こっているとのこと。
予防するにも従来の手洗いうがいくらいしか手がないのに、うがいってのも日本独特のもので、ウィルス感染の予防効果については明確なデータがない(外出から帰ってきた時とかはある程度効果的なはず、だそうだけど)とか言われちゃうと困っちゃうよね。
あとWHOの人が、マスクは自分が飛沫を飛ばさないという効果はあるけど、N95とかの微粒子用高機能のものでない限り、自分のためのウィルス感染予防にはあまり意味をなさないと言ってしまったりね。ま、これはある程度わかってたことではあるけども。あ、花粉には効果ありだとのことなので、その点はご安心を。
ロヂャースに行ってみたら、あらゆる種類の消毒系アルコールと、トイレットペーパーは全て売り切れ。また除菌手洗い石鹸や米も、ほとんど棚から消えていた。
デマとわかっていても他の人が買うなら買う、何日も家に籠るってわけでもないのに主食を確保する。その心理については色々分析されてるけども、そうすることで家族の役に立っていると言う大義名分のために、他人の迷惑には目をつぶる、ということのようで、これを詰っても効果は薄く、わかりますよ、でも違いますよね、と諭さないといけないと言う。そういうめんどくさい人に自分がなっていると言うカッコ悪さに、気づいてほしいもんだよね。
数少ない「よかったこと」で言うと、リモートワークとか時差出勤とか、働き方改革と言われてもこの国ではほぼお題目に留まっていたことが、会社によってシステムインフラとかによる制約もあるけども、強制的にある程度実現したことかな。つくづくこの国は、外圧とか大災害とか、なんらかの圧力がないと因習から抜けられないんだなぁ、と思うと情けなくもあるけども。
てなことでこんな世相なので、今日はどっちかって言うとどーでもいい、ちょっとほっこり目の軽い話を。
冒頭の写真、朝霞駅のトイレのTOTO製男性用小便器の上に貼ってあるシールなんだけどね。どうも気になりません?この表現。スッキリと聞こえる日本語は、「人がいないときでも水が流れる場合があります」だよねぇ、と。カミさんに話したら、カミさんも同意見。正しい日本語表現はどうなるんだろう?
と思って調べてみたら--Googleでこのまま入力すると、途中で予測検索ワードでこれが表示されるので、けっこう気になってる人いるのね--、この注意書きがなぜ必要となるのか、幽霊がいるわけではないってことを言ってるのよ、という方面のしょーもない情報も多いのだけど、言い回しについての情報もいくつかあった。
その前にまず「とき」と「場合」の使い分けについて。調べてみると、「とき」も「場合」も同様にある条件を付ける時に使う言葉で、法律でよく使われるらしいのだけど、「とき」の方が表現として軽く柔らかく、法律用語では狭い範囲を表し、「場合」の方が重く固く、法律用語では広い範囲を表す、と。
つまり法律では通常、ある条件Aの下で、さらに条件BならX、BでないならYという場合に、最初の条件Aに「場合」を使い、後の条件Bに「とき」を使う。うむ、これは確かにそうだな。
一般的な使い方では、例えば「天候が悪いときは中止、天候の判断がつかないときは」という際に、まず絶対の条件である前者の「悪天候→中止」の方に「場合」を使い、サブ条件である後者の「判断がつかない」に「とき」を使わないと、読む方がどちらが絶対条件だかわかりにくくなってしまうと。
うーむ、なるほどなぁ。順番の問題じゃないんだ。となると上記の小便器のケースでは、「人がいない」というのと「水が流れる」のどっちが重要か、ってことなのか?
んで、今度はこのままの文章を検索して言い回しについて言及している情報を見たら、元々はこれって「人がいなくても水が流れる場合があります」って書いてあったんだって。ならそのままでよかったんじゃん?と一瞬思いかけたんだけども、それだとそもそもこの「場合」の使い方は日本語としておかしいと。
つまり「水が流れる」は、「現象」もしくは「機械の機能」であって、仮定的な条件でも一定の局面(例えば「遊んでいる場合ではない」の「場合」)でもないので--ってことだろうというのはぼくの推測なんだけど--、本来、「水が流れる」に「場合」という言葉を当てるのはおかしい、ということのようだ。
なので、そういう指摘を受けてなのか修正された、現在の「人がいない場合でも水が流れることがあります」の方がまだマシなんだけど、「人がいない」という条件は、それほど厳密なものでも重いものでもない--これもぼくの推測--ので、「人がいなくても水が流れることがあります」が正解だと思うと。
んじゃこの「こと」と「とき」の違いはなんじゃ?というのは、検索かけても明確な回答が得られないんだけど、当たり前だけど「とき」は時間の概念から派生して、「ある状態になっている時点や時期」を仮定的に表すようになったと。一方で「こと」は意味が広くて、「現象」や「出来事」以外にも「経験」(例えば「行ったことがある」)や「場合」(同「郵便物が帰ってくることがある」)という意味もある。
この「場合」の部分が意味が重なって、本来「こと」を使うのが正しい「水が流れる」という現象に、「とき」という言葉を当てても意味が通じるようになってはいるけど、これも仮定的な意味を含まないなら、正しい用法ではないと言うことのようだ。
「水が流れている時間帯があります」、という意味での「とき」だという解釈もできそうだけど、だとしたら現在進行形の「ている」がついてないとおかしいし、「時間帯」というのは便器に水が流れるという、せいぜい数秒から十秒くらいの短時間を表すことはないよね。
但し、仮定的意味を含みかつ軽いということで、「人がいない」の方を「人がいないときでも」とするのは恐らく間違った使い方じゃないはず。ただまぁ「場合」ほど重くないにしろ、わざわざ仮定法(If)に頼らなくても、「人がいなくても」という状態を表す表現(When)で十分じゃん、と言われればその通りなんだけどもね。だけど「とき」がWhenではなくむしろIfの意味を持ってるってのも、フシギな話だよなぁ。
ちなみにこの「こと」「とき」問題には方言も絡んでいるからややこしい。北関東から南東北辺りの方言で、経験を表す言い回しとして「行ったときがある」「したときがある」という言い方をするんだよね。「こと」と「とき」の混同は、ここからも来てるのかな?
ちなみに、先月多くの部署が引っ越したと書いた当社の渋谷オフィスのトイレは、便器がLIXIL(旧INAX・現在もブランド名はINAX)の製品--TOTOと旧INAXというライバル会社の、ちょっと他にはない関係性も、調べてみるとなかなか興味深い--なのだけど、これには見事!写真の通り、上記の「正解」言い回しのシールが貼ってありました。
てことで軽いテーマかと思って調べてみたら結構ややこしかった「場合」「とき」「こと」問題でした。いやいや、日本語って奥が深くて、こういう注意書き1つ作るにも、メーカーさんも大変ですなぁ。
なお、22日に予定していた「健康」ライブをどうするかについては、ここ数日FB上でさんざん議論して、やっと結論を得ました。明日FB「健康」ページで発表する予定です。
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