先週はネタがなくてブログをサボってしまいましたが、例年ならこの時期、年間の旅行計画を立てて、春旅の予約をして、とかやってるはずなんだけども、今年はどうにもね。予定の立てようがない。
今クールのTVドラマについて書こうかとも思ったんだけども、前クールの「恋あた」みたいに期待の女優さん--森七菜ちゃん--が出てきて毎週楽しみってほどのものもなく、なんだか警察もの、サスペンス系ばかり多くて「士(師)業」ものが少ないのね、別に独占禁止法にひっかかるってことでもないんだから、局間であらかじめ談合して、被らないように調整すればいいのに、ってくらいの感想だから、まぁ膨らまそうと思えばできるけども、どうもそんな気にもならない。人格の入れ替わりとか、タイムスリップとかいうファンタジー系は嫌いではないのだけどね。
てことで今日はユーミンの隠れた名バラード「心ほどいて」について書いておくかと。
89年に発売されたユーミンのアルバム「Love Wars」は、その前後8枚のアルバムが連続ミリオンを達成した2枚目にあたり、彼女がもっとも勢いのあった時期の1枚だ。ちなみにアナログLPが発売されたものとしては、この「Love Wars」が最後になるらしい。
このアルバムに収録されていたもっとも有名な曲は、シングルカットされた「Anniversary」であり、他にはユーミン自身がライブで好んでセットリストに入れる「Wonderers」とか表題曲「Love Wars」、他にもドラマ主題歌になったりCMで使われたものも多いが、「心ほどいて」は、アルバム内の順番ではビートがはっきりしていて前向きな内容の「Love Wars」を受ける形で収録された、ハープシコード風のアタックの強いエレピのイントロと、ところどころに入るギターのオブリガードが印象的な、美しいコード進行のミドルテンポ・バラードだ。
数年前にユーミンが、自身の全アルバムをサブスクで配信開始した時に、個人的に彼女のベストプレイリストを、いくつかの年代に分けて作った。その際に「Love Wars」からは4曲選んでおり、その中の1曲がこの「心ほどいて」で、車の中で聴いている時に、この歌詞はどういうことなんだろう、ってのでカミさんと議論になったことがある。
この曲の歌詞--全部は書かないのでこちらのリンク参照--は、「そしてヴェールを上げて 彼と向かい合う時」という、1フレーズで状況がブワッと想起できる見事な入りから、全体のシチュエーション作りと言い情景描写と言い、ユーミンの歌詞の中でも名作と言う評価が高いのだけど、過去何らかの関係があった男性とは別の人と結婚することになった女性の思いが綴られていることはわかるものの、サビの「私のうそをみんな引き受けてあなた 離れていくの」の「私のうそ」とはどういう意味なんだろう、ってことでね。
ユーミン自身は、自分の書いた歌詞について、どう解釈するかは聴き手の自由で、むしろいろんな解釈ができるような歌詞の方が、書き手として狙うところである、というような意味のことを、どこかで言ってたと思うんだけど、これもその1つなのかなぁ、と思ってたら、その後これには明確な1つの解釈と、それに基づく映画まで存在することに気づきまして。
「気づきまして」ってのも変な言い方で、というのは、その映画が過去ぼく自身も観ていて、もどかしくも切ない愛すべきストーリーの、ホイチョイプロダクションの映画3部作の3作目、「波の数だけ抱きしめて」だったからなんだけどね。この曲はこの映画の挿入歌になっており、そんなこともすっかり忘れている、どうにも困ったいい加減な記憶力だ。
しかも映画の冒頭は、映画の主舞台となる80年代前半から9年後、ヒロインが主役とは別の人と上げる結婚式の場面から始まっており、あまつさえその映像が、この曲のPVとして公開されており(冒頭の写真からのリンクね)。
ちゃんと調べたわけじゃないんだけど、「波の数だけ抱きしめて」が公開されたのは「Love Wars」の2年後の91年だから、「心ほどいて」は映画のストーリーに合わせて作られたわけではなく、先に曲があって、それにインスパイアされてプロットを書いたのか、それともたまたま構想したプロットがぴったりはまったからなのか、後から「波の数だけ・・・」の挿入歌、と言うか冒頭のテーマ曲になったのだろう。
だからこれも「解釈」の1つだと言うことになるのだろうけど、それにしても見事なマッチぶりだ。そもそも映画の撮影時には20歳だったはずの中山美穂のウェディングドレス姿のかわいさ、美しさが際立っているし、主役の当時トレンディードラマでひっぱりだこだった織田裕二の演技も素晴らしい。2番の歌詞の「さよならをこめて 横を通り過ぎるまで」のところに合わせて、遅れて列席した織田裕二の横を2人が腕を組んで歩いていく演出--ここの中山美穂の表情がまたいいのよ--とかが憎い。
しかも、この映画全体が、そういう状況に至った過去の経緯を語っているという意味では、「心ほどいて」の詳細にわたる「解釈」だと言うことになる。「波の数だけ・・・」は現在Amazon Prime Videoでも公開されてないし、我が家の近所のTSUTAYAにも在庫がないので、すぐに観るには購入するかオンラインレンタルしか術がないのだけど、ネタバレサイトとかでストーリーを思い出してみると、なるほどこれは、この曲の解釈はこれしかないじゃん、と思わされる、馬場康夫氏の見事な想像力と構成力だ。
つまり「私のうそ」とは、本当はあなたのことが好きで、あなたも多分私のことが好きだったのに、いろんな事情や経緯があってお互いにその気持ちを伝えられず、それから時を経て、(ここは想像だけど)「彼」との間には当時のように純粋な、灼けるような思いはないけれども、そこには目をつぶって、経済的なこととかも含めての「彼」との安定した生活を選択した、ということだと。
「波の数だけ・・・」で思い出すのは、ラストで中山美穂が乗った車が、逗子海岸から葉山に抜ける国道134号線のトンネルにその寸前で入って、ローカルFM局の受信範囲を超えてしまい、織田裕二のラジオを通じた渾身の告白がぎりぎり届かない、という切ない場面だ。なんでこの場面が印象に残っているかと言うと、このトンネル--「長柄隧道」を抜けてすぐのとこに、学生時代「健康」のベースみのりんが住んでおり、何度も行ってたのでね。あ、あのトンネルだ、ってので。
バブル時代の申し子とも言えるこれらホイチョイ3部作は、ぼくらの世代はほぼこの登場人物たちと同世代であり、当時のバイブルのように誰しもが観た映画だった。1作目の「私をスキーに連れてって」には、学生時代にやっていたディスコバンドのボーカルの1人、女優志望だったYが、けっこう重要な役で出演していたりする。
彼女はその後女優の道を断念して、今は2児--と言うかもう2人とも大人だが--の母になっているけども、そのディスコバンドがバイトで、志賀高原のロッジのダンスパーティーで演奏した際に、昼間メンバーみんなでゲレンデで、スキーを履いたままの彼女を、前後から逆さにスキーを肩に担ぎ、「豚の丸焼きー」とか言って遊んでたのを、彼女が監督に話したらそれが採用されて、映画の中にその逆さ吊りの場面が出てきたりする。
確かぼくはあの時がほぼ初めてのスキーだったはず。いやいや、あまりノスタルジーを語るのは趣味じゃないんだけど、懐かしいですな。当時の混雑したスキー場も、こだわり抜いて作られたホイチョイ3部作や、その映画たちに使われていた数々のアイテムも。
さてさて、今週はこの他、中華製のLEDランプが2つ、片や点灯しなくなり、片やセンサーが壊れて点灯しっぱなしになったのを交換したりしたのと、珍しく2月2日になった節分には、会社のビル内にあるファミマで、ちょっと高かったけどハーフサイズの恵方巻を買って食べたりした。
書くのも不愉快だが森会長、バカな発言&謝罪会見をしたもんだ。前から思ってたけど、ああいう前時代的な価値観が染みついちゃってるおじいちゃんには、とっととお引き取りいただくべきだよね。これ以上世界に恥を晒さないうちに。
春一番が吹いて、今日も暖かだったけど、まだまだ寒い日もあるし、緊急事態宣言延長だし、みなさまお体を大切に。
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