それほど見識が深いわけでもないので、かなりネットまとめ的なしょーもない書き方になっちゃうかもなぁと思いつつ。
水曜日の夕方流れてきた、ガッキーと星野源の結婚のニュース。4月の夏目・有吉に続いて、コロナ禍で、また同日朝に流れた田村正和さんの訃報で、暗い気分に流されがちな中、日本中がほっこり明るい気持ちになれる、本当に素晴らしい出来事だった。おめでとうございます。
で、こういう時に流れる「○○ロス」の声--これは多少出ているようだけども--や、「なぜ今なんだ?」とか「どうせすぐに別れるだろう」的なネガティブなネット反応が、意外に少ないことが逆にニュースになっている。
そもそもこの件、派生ニュースの数が少ないよね。水曜の夕方にGoogle検索して表示される結果と、丸1日経ってから検索した結果が、もちろん違うけども、それほど大きな差がない。それだけもともと付き合っていたとか、過去こういう噂があったとか、そういう情報が少ない2人だということなんだろう。
完全に憶測に基づく、「実は2016年の"逃げ恥"のレギュラー放送時から付き合っていた」とか「やっぱりね」みたいな記事や、本来別件であるガッキーの所属事務所との専属契約見直しと絡めた、アクセス数稼ぎ狙いのしょーもない記事は散見されるが、そもそも"逃げ恥"で共演した先輩女優である石田ゆり子さんが「びっくりして鼻血が出そう」と言っているのが事実なら、井上公造さんはじめ芸能レポーターたちが全く知らなかった、ひいてはその他部外者に情報が全く流れていなかったというのは、当然だと思われる。
んで、そういった記事の中で、「この結婚が腑に落ちた理由」とか「批判が出ない理由」といった穿った内容の記事が出ていて、特に後者の東洋経済オンラインのものは、木村隆志さんと言う方の記名記事なのだけど、ボリュームもあるしなかなか興味深かったので、詳しくは直接読んでいただけばよいが、ちょっと触れておくと・・・
批判が出にくい理由については、まず2人とも私生活が地味で、ストイックに仕事に打ち込み、浮ついたところがなかったこと、だから例えばどっかの会社の社長とか、そういう人と知り合う機会もなく、完全に「職場結婚」であること、そして上述のように、事前に一切噂が出ていなかったこと、などだと。そういう意味では、夏目・有吉のケースとある程度似ていると。
で、「ロス」とか「ショック」の声を上げる人と言うのは、熱心なファンではなく、2人の見た目や才能などの一部分に執着心を持つ人なのだと。彼らはすぐに、2人の代替となる見た目や才能を見つけて執着し始めるので、あっという間に忘れてしまうだろうと。今回は熱心なファンほど、本音で祝福していると。なるほどね。概ね納得できる説ではある。
まぁ「ロス」だ「ショック」だと言うくらいのことなら、特に害はないし、微笑ましいとも言えるのかもしれないけど、この「執着心」が妙な方向に捻じ曲がると、この結婚の情報とほぼ同じタイミングで賠償命令が下されたとニュースが流れた、例の「テラスハウス」で木村花さんを自殺に追い込み、さらに自殺後に追い打ちをかけた、誹謗中傷の流れに行きついてしまうのが困りものだ。ちょっと話が逸れちゃうけどね。
一昨年放送されたドラマ「3年A組」をはじめ、この手の匿名の卑怯者たちを社会問題と捉え批判する趣旨の映像作品や出版物は、近年数多く出てきているが、それでも、よく事情を知りもしないで無責任に他人を詰るツイートや書き込みは、相変わらず引きも切らない。
もともとそういう、やっかみとか妬みとか、針小棒大に他人の弱点を突いたりする気持ちを、心中に持っていた人は数多く、そこにSNSという匿名性の高い武器を与えられてしまったために、それが一気に発露されるようになった、ということなのだろう。
こんなことを言うと、ぼくの方が炎上するかもしれない--いやいや、こんな読者の少ないブログでそんな心配することないか--けど、確かにぼくだって人を妬んだりする気持ちはないとは言わないけども、なんでそういう気持ちがあれだけ強い人たちが、あんなにたくさんいるんだろう、というのは、ぼくには不思議でならない。
自分が幸せだと思えない、という人が多いというだけではなく、そこまででなくても、むしゃくしゃするから匿名ならいいや、書いちゃえ、ってことなのかもしれないけど、人をイヤな気持ちにさせることで、自分が一定のカタルシスを得るという心理は、全く理解できなくはないが、なんでそんなにネクラなの?って思ってしまう。
炎上について分析した記事や出版物は多くあり、曰く、これは日本人特有の現象で、炎上に参加している人は全体の1%弱しかおらず、また年収が高い人の方が参加する傾向があると。なるほど、そういう人がたくさんいるわけではなく、少数の人が頻々とそういう発露をすることが、言葉がきつく鋭いだけに目立ってしまうということなのか。もっとも分母が定かでないけど、1%と言ってもウン十万人という単位であることは間違いないけども。
海外でももちろん、何かを批判するツイートと言うのはあるけども、違う意見を持っていれば、普通に「君はそう思うのか、でもぼくはこう思う」という趣旨を述べ、そこから普通に意見交換が始まる。でも日本だとそれに対し、「ふざけるな、批判されて当たり前だろ、何考えてんだアホが」みたいな反応になると。
今回の判決で、そういうことをすると罪に問われることがあると認識することで、それらが少しでも減ればいいとも思うけども、それだとそもそもそういうネクラ性が払拭されたことにはならない。どうすればいいか、明確な解決策案を持っているわけではないけども、少なくともそういうことはダサい、カッコ悪いことなんだという常識が、もっと世の中に広がって行ってくれないかなぁと願う。
炎上でなくても、例えばコロナ禍初期にトイレットペーパーが店頭から消えたことがあったけども、あれも実際には、「トイレットペーパーの生産が停まると言うのはデマですよ」というツイートが9割以上を占めていたと言う。親切心なんだからリツイートしてもいいだろうという心理と、一方でこの情報が流れればやはり店頭からトイレットペーパーが消えそうだから念のためたくさん買っておこうという行動を、同時に起こしている人が、一定数いたということだ。
こういうケースはカッコ悪いかどうかの判断の難易度が上がるけども、でもそういう矛盾した行動をすること自体ウソつきで、ダサいことだよね。そういうことも含めてネットリテラシーと言うのだろうし、そういう「ネット民度」が上がっていくことを、切に願ってやみません。
まぁいずれにせよ、今回の新垣・星野カップルへのネガティブが少ない反応が、そういう民度向上のひとつの契機になってくれるといいなぁ、と思いました、ってお話でした。
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