今日は日本語シリーズ。「直観」と「直感」、「代」と「台」について。
「ちょっかんてき」という言葉を聞いた時に、多くの人が当てる漢字はおそらく「直感的」になると思う。「直感」という言葉は、どんな辞書にも「推理や考察に寄らず、感覚によって物事を捉えること」という趣旨のことが書かれており、いわゆる「勘」とか「第六感」とか言われるもので、一般に女性の方がそういう捉え方が得意とされているものだ(実際にはそうでもないと言う実験結果もあるようですが--下記の中野信子先生のインタビュー参照)。
前の会社リクルートは、企業での研修や各種のサーベイも商売にしていたので、社員もその実験台と言うか、研修やサーベイは頻繁に受けさせられる会社だった。その中で、入社時に必ずやるものとして「TI型」と呼ばれる性格診断テストがあった。
これは正式には「マイヤーズ・ブリッグス・タイプ指標(MBTI)」というもので、外向型(E)か内向型(I)か、直観型(N)か感覚型(S)か、思考型(T)か感情型(F)か、知覚型(P)か判断型(J)か、の4つの指標で性格を類型化し、それぞれがどちらかによる16タイプの性格を、さらにそれぞれの強さ度合いによって確か256タイプの詳細に落として教えてくれるものだった。
具体的にはこちらのサイトなんかをご覧いただきたいが、この性格分類は結果を自分で見てもけっこう納得感のあるものだったし、今はどうか知らないが、ぼくが入社したころのR社内では、「ああ、彼はISFPなのね、どうりでああいう反応になるわけだ」みたいな使われ方を普通にしていた。
ぼくはその中でもR社では最も多くいると言われたENTPだったのだが、この2つ目の指標のN=直観型というのが意味がよくわからなくて調べたことがある。と言うのは、ぼく自身この「直観」と「直感」を混同していたからなのだが、え?直感と感覚って、同じこと言ってるんじゃないの?って思ってしまうじゃん?
この直観型(N)か感覚型(S)か、というのは、情報処理のやり方を示し、直接見たり経験したことに基づいて情報を処理する傾向がある場合はS(感覚型)で、実体験よりも、問題を熟考することから本質を捉えようとする傾向がある場合はN(直観型)である、ということになる。
例として、ガラス製の灰皿を見たときに、ああこれは灰皿だとありのままに捉えるのがS、灰皿ではあるがこんなことにも使える、こんな使い道の方が便利だよね、と考えるのがNと言うのが挙がっていたと思うが、うろ覚えなのでちょっと違ってしまっているかもしれない。
話を戻すとつまり、「直観」というのは、推論に寄らないところや、素早いところは「直感」と同じとしても、自分のこれまでの経験や記憶に基づき、物事の本質を一気に見抜く認識のあり方を表す哲学用語であり、説明しようと思えばあくまで論理的に説明ができるものだと。
「直観」をWikipediaで見ると、哲学用語らしくこれでもかという難解な文章が並んでいるが、「直観」と「直感」の違いについて書かれたサイトは多くあり、おおむね共通した内容ではあるものの、それぞれに微妙にニュアンスが違っていて、絶対的にこれだという解釈はないようだ。中ではこのサイトが一番平板でわかりやすいかな?
上に「勘」は「直感」に類するものだと書いた(Wikipediaには明確にそう書いてある)が、無意識のうちになんらかの経験や記憶に基づいて働かせている「勘」だってあるはずなので、「直感的」という言葉を使ってはいるが実は「直観的」と表現したほうが正しい場合だってあるだろう。
一方で「直観」というのはあくまで「認識のあり方≒考え方やその傾向」なので、「捉えること」を表すものではない、従ってそもそも「直観で捉える」という表現自体誤っている、という考え方もありそうだ。
では、少なくとも物心ついた以上の年齢の人が、完全に無意識で、経験や記憶に基づかない物事の捉え方をすることなんてあるんだろうか、ということで言うと、上記リンクの「直観」と「直感」の違いについて書いたサイトにある「ブーバ・キキ効果」の実験が面白い。
すなわち、冒頭の図のどっちが「ブーバ」でどっちが「キキ」か、という問題を出すと、年齢や使用言語に関係なく98%の人が、曲線の方がブーバ、ギザギザの方がキキだと答える--実は反対のように感じたぼくは、よほどのひねくれものなのか?--というものだ。なるほど。他にも0歳の赤ちゃんでも実物を見たこともないヘビや蜘蛛の写真を嫌がるとか、こういうのは明確に「直感」によるものだと。
ではさらに、人間が「直感」で判断してしまうことはどのくらいあるのか、とか、「直感」による判断が結果、客観的に見て間違っていた場合、人間の脳はどう働くか、ってな話も興味深いが、それについて触れると長くなるので、興味のある方は脳科学者の中野信子先生のインタビュー記事をご覧ください。面白いよ。
てことで、ややわかったようなわからなかったようなとこがあるけど、「直観」と「直感」は違うもので、第六感的に感じ取ることは「直感的に感じる」と表記すべきだし、物事の本質を捉えるものの見方をすることは「直観的に観る」と表現すべきだと言うことは確かなようだ。いやいや、日本語は難しい。英語だとどっちも"intuition"みたいなのにね。
さて、もう1つのややこしい表現は「代」と「台」。もっともこっちはそんなに難解と言うことはないんだけどね。
このブログでも時々、「50代の人たちは」とかいう書き方をすることがあるんだけど、いつも迷うのは、あれ?「50台」が正しいんだっけ?ってとこでね。
これには明確な答えがあって、詳しくはこちらのサイトに見事にまとめて頂いているが、どちらも一定の区切りのよい範囲に区切って表現する際の用語であることは同じなのだけど、「代」を使うのは年齢と年代だけ。それ以外についてはすべて「台」を使うと。
そして「台」を使う場合は、原則として助数詞を添えると。だから金額なら「○円台」、時間なら「○時台」、人数なら「○人台」のようになる。
さらに、年齢についてのみは例外的に、助数詞「歳」をつける場合には「台」を使うと。つまり「50代」に対し「50歳台」ということでね。この場合、どちらも50歳~59歳を表すことは同じでも、「代」の方は「大体の範囲」を表すので、「大体50歳から59歳」と言う意味。「台」の方は「大台」の含みを持つので、「50歳の大台に乗り、次の大台に乗るまでの範囲」と言う意味になり、微妙だがニュアンスが異なると。
まぁこのニュアンスの違いは、やはりわかったようなわからないような、だし、なんでそうなるの?って理屈はよくわかんないけども、ルールははっきりしてるから使い方的に迷うことはないよね。まぁ言葉は生き物だし、理屈で割り切れるもんじゃないってことでね。
てことで今日は2つの間違えやすい日本語の使い分けについてでした。
さて、来週はぼくもついに還暦を迎える。珍しく息子と娘とカミさんが、土曜日にみんなで集まってちょっとしたお祝いをする計画を立ててくれているようだ。娘のダンナ君と息子一家とは初対面で、初の我が家全員集合だ。なんかいいよね、そういうの。楽しみにしております。
※冒頭の図はWikipedia(図からリンク)からお借りしました。問題がありましたらご連絡下さい。
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