ちょっとタイトルが大げさだけど、今日は今週TVやニュースを見ていて、個人的にはなるほどね、と感心したり、なんだかなぁと思った話。ぼくは自分の中での常識や価値観がひっくり返されるのは基本的に嬉しいと感じる方なんだけど、世の中にはそうでない方も多いのだろうな。
まずは月曜深夜の「月曜から夜ふかし」でやっていた、昔話が変遷しているっていう話。現代のコンプライアンスとか公平性重視の波を受け、例えば「ももたろう」では、犬、猿、雉にきびだんごをやって家来にする、というくだりは、趣旨に賛同して自発的に仲間になるという形になり、きびだんごは単なる栄養補給アイテムになっている。
そして鬼ヶ島に行く船は桃太郎も含め交代で漕ぎ、雉がくちばしで目を突く攻撃もなく、鬼から回収した宝物は、1つ1つ持ち主に返すことになっていると言う。また「赤ずきんちゃん」では、オオカミはおばあさんを食べるのではなくクローゼットに監禁し、最後も腹に石を詰められ水に落とされるのではなく、攻撃を躱されそのまま退散するようになっていると。
んでここからが面白いのだけど、我々が子供のころ読んでいた昔話も、実はもともとの話から較べればかなりマイルドになっているってことで。
例えば「ももたろう」は、江戸時代までは桃から生まれたわけではなく、川から流れてきた桃をおじいさんとおばあさんが食べると急に若返り、精力モリモリになって、せっせと励んだ結果生まれたのが桃太郎だったのだと言う。また「浦島太郎」は、平安時代の原作では、浦島太郎と乙姫様が竜宮城でイケナイ関係になり、めくるめく一夜を共にした様子が、生々しく描写されていると。
さらに「かちかち山」では、今は、おじいさんに捕まったタヌキがおばあさんを口八丁で騙して縄をほどかせ、おばあさんを殴って逃走したことに怒ったウサギが、タヌキが背負った薪に火をつけたり泥船に乗せたりして懲らしめる、と言う話になっている。
これが原作でははるかに猟奇的な内容で、縄をほどかせたタヌキがおばあさんを撲殺し、その肉で汁を作り、おばあさんに化けてその汁をおじいさんに食べさせ、その後に種明かしをしておじいさんに絶大なショックを与える、という話だったとのこと。
考えてみれば日本神話なんかでも例えば天岩戸のくだりなんかの生々しさ、激しさや、儒教精神で国体維持を図った江戸時代より前は、セックスに対して今よりずっと大らかだったことを思えば、さもありなんというところなんだけどね。
こういう、常識だと思っていたことをひっくり返される経験ってのは、なんかほんと、目から鱗と言うか、楽しいよね。これは日本語表現なんかでもそうだけど、自分たちの常識と違って来ちゃったことを嘆く向きは多いと思うけど、自分たちの常識だって昔の常識から較べればずいぶんと変わっちゃってるんだよ、っていうね。そこまで視野を広げた上で、嘆くなり受け入れるなりしないと、我々自身も恥をかきますよ、ってことだよね。
2つ目は今週から始まった月9ドラマ「ミステリと言う勿れ」の話。菅田将暉演じる独自の価値観を持つ理屈っぽい大学生が、思いつくことをマイペースに話すうちに、事件の謎だけでなく、人の心まで解きほぐしていくという内容だ。これは今後に期待ができそうなドラマだ。
んで、3週ほど前にこのブログに書いた、生活向上モチベーションの低いおじさんたち同様、ドラマに登場する刑事たちが家庭をあまり顧みなかったことで、いろんなことに気づけず、そのうち1人のベテラン刑事が、ついには犯罪まで犯してしまう、というモチーフ自体も、生活向上なんて自分の仕事だと思ってもみない昭和のオヤジたちに、そんな価値観を疑えってことなんだけども、その中で主人公の象徴的なセリフがあってね。
尾上松也演じる若手の刑事から、子供が生まれて、嫁がピリピリしていて自分に当たってくる、いろいろと手伝っているつもりなのにわかってくれない、どうしたらいいと思う?と相談されたときに話したエピソードなんだけど、メジャーリーガーや監督は、奥さんの出産や子供の入学式、家族のイベントで時々試合を休むと。
それは彼ら自身が行きたくて行っていることなのに、日本の野球解説者は、「奥さんが怖いんでしょうねぇ」と言うと。自身がそう思ったことがないから、彼らが行きたくて行っていることが理解できない。大切な仕事を休んでまで無理やり行かされていると考える。子供の成長に立ち会うことを、メジャーリーガーたちは権利だと思い、日本の解説者たちは義務だと思っている、そこには天と地ほどの差があると。
出産して女性が変わるのは、放っておいたら生きていけない命を育てる以上当然で、問題なのは男性が変われないことだと。父親がかまってくれなくて子供がグレるなんてことはない、実際はただただ無関心になっていくだけだと。あなたがどうするかはあなたが決めることだと。
いやこれは、かなり核心を突いたセリフだよね。いま昭和的オヤジ比率がどのくらいなのかわからないし、息子夫婦を見ていても、今後ますます少なくなっていくことは間違いないとは思うけど、今でも一定数はいるとしたら、ぜひ身につまされて欲しいと思う。振り返って自分自身がどこまでやれたかで言うと、そんなに自信はないけどね。
このセリフが原作の漫画にあったものなのかは知らないけど、脚本の相沢友子さんと言う方、元シンガーソングライター・女優で、脚本家としても映画「重力ピエロ」やTVドラマ「鍵のかかった部屋」とか多数の作品を手掛けておられるようだが、センスいいなぁ。これからちょっと注目していかせていただきます。
3つ目は木曜日にやっていたニュースの件。東大卒の夫との間に一子を設けた妻が、その夫が遺伝性の難病を持っていることがわかり、もう1人子供が欲しいので、精子提供者をSNSを通じて探したと。その条件が、日本人であり、独身であり、夫と同程度の学歴を持つことだったと。
んで何人かと面接して、自称京大卒の男と、当人の求めにより実際に性交を行って子供を作ったところ、その経歴が全て嘘で、中国人の既婚者で、別の国立大学卒だったと。女性はすでに妊娠後期に入っていたためその子を産んだが、重度の睡眠障害等に悩まされ、育児ができる状態ではないので、児童福祉施設に預けられたと。そして昨年、この男性を損害賠償を求めて訴えた、というものだ。
まぁこの訴訟が、今整備されていない精子提供の法制化に繋がるのなら世の中的には喜ばしいことなのかもしれないけど、本来精子提供は匿名であるべきだとか、とは言え子供自身が親が誰かを知る権利は担保しなきゃいけないとか、そういう本筋論や、実際にセックスをしてしまうってどうなの?って議論は置いておくとして、その3つ目の条件の「夫と同程度の学歴を持つ」ってのが、どうにも納得いかない。
第1子と精子提供されて生まれる子が、互いにできる限り差を感じることがないように、って言うんだけど、それって学歴で決まることなのか?勉強ができるかどうかは、あくまでその子の特徴の1つでしかなくて、その子の良さは他にもいっぱいあるはずだ。それを見つけて伸ばしてあげることが親のやるべきことで、確かに学歴が高い方が将来の生活は総じて安定するのかもしれないけど、そういう人生がいい人生だと言うのは親の価値観の押し付けだ。
そもそも同じ親から生まれたって子供1人1人で性格も好みも違う。勉強ができることと頭がいいことだって違う。もしかしたらそんな単純なことではないのかもしれないけど、そういう学歴至上みたいな社会通念、価値観って、そろそろ何とかできないもんですかねぇ。
先クールやってた塾のドラマなんかの世界を見ていると、これはそう簡単には変わらないのかもしれないけど、そのドラマを観ていて個人的にずっと気持ち悪かったのは、やっぱその辺の価値観に起因すると思うんだよね。ぼく自身もかつてその世界にいた身ではあるのだけど。
いろんな価値観があっていいし、昭和の価値観をすべて否定するつもりもないけども、柔軟に、考え方を改めるべきところは自分自身も変えて行かないと、そのことに喜びを感じるくらいじゃないといけないよね、と、この3つの件を通じて改めて思いました、って話でした。
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