今月いっぱいで実質上リタイアし、来月1ヶ月は有休消化して、その11月に中国地方にリタイア記念一人旅に行く予定だと言う話を先日書いた。行っておきたかった場所としては、福山の南の鞆の浦、出雲大社、津和野などと共に、我が家の本家がある岡山県真庭市勝山があった。
勝山に行くよ、と言う話をオフクロや、先日の親父の一周忌の時に親父の末弟の奥様である叔母(H叔母)--昔から親しみを持っていたと言う話を以前書いた--にしたら、オフクロは実家にあった本家の古文書集を持ってきてくれ、また叔母は18世紀まで遡った我が家の家系図を送ってきてくれた。
本家と我が家は、ぼくから5世代前に、太郎左ヱ門さんと与三右ヱ門さんという兄弟のところで別れ、その後一部が他家を継いだりそこからまた嫁に来たりとかなり複雑な関係にあるようだ。ぼくの曾祖父である徳次郎さん--日本の医学ジャーナリズムの祖とも言われている人らしい--、祖父である太郎さんまでは、岡山ともいろいろと繋がりがあったようなのだが、徳次郎さんは東京生まれであり、代々木、のちに善福寺に居を構えた、基本的な足場は東京にある人だった。
親父は以前に、本家の縁戚と親父の元いた会社の方が結婚した時に請われて仲人をしたりしたらしいが、その結婚が失敗に終わったことなどで本家とは疎遠になってしまったらしい。一方で親父の弟・妹である倉本叔父やT叔母、末弟夫妻は繋がりがあったということだ。
これだけがきっかけではないかもしれないが、H叔母に聞いたところでは、今は50歳間近の娘(ぼくから見ると従姉妹)Y子がまだ結婚する前に、叔父夫妻と3人でオーストラリアに旅行に行ったとき、その機内かなんかで「○○様、5名様ですね?」と言われ、いや、3名ですけど、と答えたら、その片割れの2名というのが偶然本家の係累のご夫妻だったと。そのご縁もあり、倉本叔父、T叔母、H叔母は、その後勝山を訪ねたということだ。
H叔母は、勝山はすごくいいところで、死ぬまでにもう1度行きたいところの1つだと言い、本家のいまの当主であるY氏もすごくいい方で、行くならぜひご挨拶してきなさいよ、倉本叔父の甥だと言えば歓迎してくれるわよ、と言うのだが、ぼくは本家の方々とはまったく面識がないので、玄関ベルを押す気はなかったんだけどね。
そのY氏が中心となり、本家に残っていた膨大な数の古文書を、自分の代で整理できなければ恐らく反故になってしまうと言う恐れから、大変なご苦労をされて2014年にまとめあげたのが、オフクロが貸してくれた「○○家文書」--スイマセン。実名を伏せると写真を含めてなんのこっちゃ?になっちまいますが--だ。
勝山--正確な場所で言うと真庭市荒田、当時の呼称では真島郡荒田村--で庄屋をしていた我が家の祖先は、江戸幕藩体制の村請制--遠くに住む領主が村を通じて支配を行う--のもと、その支配を貫徹するために領主と庄屋との間で多数の文書がやりとりされていたが、それらの多くを保存していたと言う。
古くは慶長13年(1608年)から始まるこれらの文書は、荒田村の年貢免状、年貢皆済目録、争論資料などの他、「雑録」と題された、幕末期に荒田村をはじめ、京都や江戸などで起こった事件の風聞などを太郎左ヱ門さんが遺した記録もあり、歴史上の文書としても貴重なものだ。
これを明治3年(1870年)に至るまで、上段に原文書の写真を、下段にこれを活字化して並べて示し、総ページ数300ページ以上に亘って整理してある。もちろんぼくはこれらすべてに目を通したわけではない--と言うか候文を読み下す知力が欠如しているので、何が書いてあるのかほとんどわからない--が、これらが貴重な記録であること、またこれらをまとめ上げるための作業が大変なご苦労を伴ったであろうことは、容易に想像がつく。
この「○○家文書」には倉本叔父も前文を寄稿しているが、「倉本」というペンネームは、本家の屋号が「蔵元」であったと言うので、深い考えもなくそれを使ったが、「蔵元」とはこの地方での庄屋の呼称であり、自分がその家系であるにもかかわらず、生産者と支配階級の中間に位置した調停役としての庄屋というものの実態をあまりにも知らなかったことに己を恥じた、と記している。
いやいや、自分の祖先が具体的にどんなことをしていた人かとか、還暦に至る今まであまり深く考える機会がなかったけど、こういうのが残っていると、ものすごい説得力を持って迫って来るよね。こういう祖先たちの日々の営みや苦労があって、それが何百年に亘り繋がって自分たちが生を受けていると言うね。ありがたいことですよね。
さて、今月11日から始まった「全国旅行支援」だが、予約済みの旅行にも適用されると言い、今回の旅行は平日のみなので条件はいいし、ちょっとは期待していたのだけど、まず島根県江津市のビジネスホテルから、既存予約に適用するってことはしないので、適用されたいなら、新たに予約を取って既存予約を解約してくれ、とメールが来た。平日なので予約の取り直しは特に問題なくできたが、まぁそんなもんだよね、と。既存予約に適用するとなると、システム改修がけっこうめんどくさいもんね。
もう1つの広島県福山市のビジネスホテルからは、連絡すら来ない。まぁ来たとしても同じだろうってことで、こちらも予約を取り直したが、「旅行支援」が適用されるのは、シンプルな朝食付きプランのみで、ぼくが予約していたしゃぶしゃぶの夕食付きのものは対象外。なるほど、こういう複雑さもあるので、既存予約には適用が難しいのね。
こちらはホテルの目の前に広島県の「やっぱ広島じゃ割クーポン」が使える--こちらのサイトから確認可能--焼肉屋があったので、ならいいかと判断したのだが、もともと夕食付プランのない江津市のホテルの方は、近所に「しまねっこクーポン」が使える店は今のところなさそうだ。まぁ翌日行く津和野も島根県内なので、津和野で使えばいいのだけどね。
その他、4泊目の宿は公共の宿だからか、「旅行支援」対象外ってことでアウト、支援額8,000円と一番大きい往復航空券とレンタカーと1泊分の宿をセットにした「JALじゃらんパック」は、マイページにメッセージを送るのでそれを待ってくれとのことだったが、11日から3日遅れて届いたメッセージには、予算枠の関係で残念ながら貴方の予約には「旅行支援」は適用されません、と書いてあった。
まぁ広島空港往復、泊まるところは鳥取県という少しトリッキーな予約だったと言うこともあるのかもしれないが、なんだよもう。この大手代理店に割り当てられた予算不足の問題は、けっこう頻発してるらしいんだけどね。結局支援で安くなる額は5,850円、その他クーポンが使える分は少し助かるとは言え、支援額は全体の予約額に対する率でいうと僅か6.2%。まぁもともとそんなに高くはないからいいんですけど。
今週は、来月予定のその旅を皮切りに、今後旅行に行く機会も増えるだろうってことで、ムースとかアフターシェーブローションとか、これまで大きな容器でそのまま持って行ってけっこうかさ張っていたアメニティー類を、小瓶のものをネットで買ったり、一部をどっかのホテルでもらってきたいらないシャンプーとかの小容器の中身を捨てて詰め替えたりして、旅体制のプチ整えをした。
てことで37年半の間続けてきたサラリーマン生活もあと1週間。送別会とかも企画してくれているらしく、ありがたい話だが、ぼくのいる部署は近年入社したり異動してきた人ばかりなので、コロナ禍でなんと誰とも1度も飲みに行ったことがなく、送別会が初めてのそういう場になるという。なんか社会通念の変化とコロナ禍が相まって、昭和の職場コミュニティーの常識みたいなものは、良くも悪くも完全に覆っておりますな。
コメント