今週は前回書いた通り、リタイア後1人旅の第2弾として、5泊で中部地方に来ている。何回かかるかわからないが、今回はその記録の1回目ってことで。
前回書いた通り、ぼくは小学校低学年の時わずか1年半ほどではあるが静岡県の御前崎のそばのド田舎に住んでいたことがあったのだが、亡くなったうちの親父は旅行の計画を立てるなんてのは大の苦手だったこともあり、静岡からどこかへ連れてってくれた記憶はほとんどない。なので隣の愛知県にさえ、ぼくはほとんど足を踏み入れたことがない。まぁもちろん何回も通過はしてるけどね。
じゃあ次はあの辺に行くかと1月ごろ計画を立てたのだが、もともとこの辺で行ってみたい場所として挙げていたのは郡上八幡と信楽くらいだったんだけども、愛知、岐阜、滋賀あたりと言えば、戦国時代のいろんな動きの中心地であり、必然的に城が多い。
国宝5城のうちまだ行っていないのが姫路城、彦根城、犬山城。そのうち後者2つに行けるじゃんか、他にも建物自体は後年復元したものだけど、岐阜城、郡上八幡城、伊賀上野城なんかもある。んじゃ今回は中部城巡りの旅、ってことにしようかと。
計画を立てた時点では3月ごろに行くつもりだったのだが、その後孫2号生誕の関係で茨城に長期行ったりしていて、2月、3月は動くことができず、とはいえあんまりゆっくりしてると延長された「全国旅行支援」の予算も尽きちゃうので、じゃあGW前のこの時期に行くかね、ってことにした。
今回はどうしても4泊では回り切れないので、5泊となり、必然的に初日が日曜日になってしまったのだが、まぁ朝早く出れば混むことはないだろうと、6時40分ごろ家を出て、関越道→圏央道→中央道とたどって、予想より30分ほど早く11時過ぎには、最初の目的地である「博物館明治村」に着いた。
今回は新幹線+レンタカーと時間的に大差なさそうだったので、金をかけずにうちの車でやって来たが、寄る年波に長距離ドライブはきつくなってきてるよね。まぁ名古屋が限界かな。関西とかにまっすぐ行くとなったらもう無理だね。姫路城に行くときはレンタカーだろね。
「博物館明治村」は言わずと知れたテーマパークの草分けで、ぼくが生まれたころに計画が立てられ、1965年にオープンしたそうだが、その当時の明治時代の施設は15件だったのが、今は67件に増えているとのことだ。明治レトロがテーマのなので、 客層も年寄りばかりかと思ったら、日曜だということもあるだろうが、意外にも家族連れや、特に若いカップルが多くいた。
まぁ入園料は2,000円で安いし、興奮はないけど2人で仲良く歩き回れるし、普通の遊園地よりはアカデミックで頭よさそうに見えるし、ってことなのかな?ぼくは北入口から園内バスで正門まで移動し、そこから重要文化財になっている建物を中心にたどって戻って行ったが、宇治山田郵便局とか聖ザビエル天主堂(写真は天主堂内のステンドグラス)とか、けっこう興味深く思いのほか楽しめた。
それから車で同じ犬山市の国宝、犬山城に移動。犬山城は1600年前後に建てられた小ぶりな城で、古くは織田信長が尾張統一のため従姉妹にあたる信清を攻め滅ぼしたところから、その後尾張徳川家の付家老が住まう城となり、最後は成瀬氏が明治になるまで城主を務めた。
日曜日だったこともあってか、ここではまず天守に入るまでと、天守に入ってからも3層目で観光客の列がとぐろを巻いており、合計1時間近く待たされた。国宝の中でこんな列作らせていいのか?案の定、柱に相合傘とか書いちゃってる奴がいるし、見張っているのは警備員1人だけだ。国宝なのにいいのかこんなずさんな管理で?
若い客が多いなぁと思っていたら、まず天守のすぐ下の元二の丸、三の丸だった場所に神社が2つ、そのうち1つは「三光稲荷神社」といって、朱色の連なった鳥居と、ハート形の絵馬で、縁結びにご利益があると謳い、若いカップルや恋人募集中の若者を当て込んでいる。
犬山城城下町と呼ばれている参道は、確かに建物は古いみたいだけど、みんなリフォームしてアイスやら飛騨牛やら小物やらを売っており、こいつぁ総じてかなり浮かれてしまってますな。原宿竹下通りとまでは言わないが、それに近いノリだ。これだと若者も集まってくるわな。ただその城下町の城に近い場所にある「からくりミュージアム」では、からくり人形の仕組みを実演で教えてくれたりして、これはなかなか面白かったけどね。
この日は犬山駅そばの「ホテルミュースタイル犬山エクスペリエンス」というところに宿を取る。温泉はないが新しくきれいなホテルで、言いたいことはいくつかあったけども、まぁまぁ悪くはない。全国旅行支援「いいじゃんあいち旅」も使え、宿泊代2割引きと、2,000円分のクーポンも出たので、これが使える近くの居酒屋「伝串新時代」で、鶏皮やらその他各種串焼きをたらふく食べた。
2日目はまず車で郡上八幡まで移動。岐阜の中奥地で、高山とか白川郷には、子供たちが小さいころ毎年のように行っていた、カミさんの両親の実家があった福井に行くついでに何度か寄っていたが、この、夏の郡上おどりで有名な、古い街並みの残る城下町には来たことがなく、一度来てみたかったのよね。
ただこの町は、一部保存地域とかもあるけど、それらで保存されている家並みもせいぜい大正時代に建てられたもので、江戸期から続く古い町を全体でがんばって保存しているわけではなく、町中に普通に銀行や会社、お店などの新しい建物も建っている。郡上八幡城は昭和の初めに再建されたもので、再建された木造の城の中では一番古いということだが、この地域の国指定の文化財は実は無形の郡上おどりしかない。
ただし、城はかつて歴史作家の司馬遼太郎氏--ここはかつての名大河ドラマ「国盗り物語」でもそのエビソードが多く取り上げられていた、ぼくが大好きな彼の著書「功名が辻」の主人公山内一豊の妻で、賢妻で有名な千代の出身地だから、取材に来たのかな?--がその美しさを絶賛し、特に冬の雪をかぶった風情が素晴らしいと言われている。もっとも4月末までは耐震修復工事をしていて、入れなかったのだけどね。
またその大正時代の街並みも、保存地域の鍛冶屋町(冒頭の写真ね)とか、町中に水路を引いていて、ちょっと脇道に入ると細い路地の傍らをその水が流れ、大きな鯉が泳いでいたりする様子は、かなり風情がある。周囲を寺や神社に囲まれたこの小さな町をぐるっと巡り、郡上おどりの実演を見せる郡上八幡博覧館はこの日は団体に合わせて実演時間は不定と言われたので諦めたが、なかなか心洗われる思いがした。
昼食にこの町の老舗のうなぎ屋さんでひつまぶしを食べ、元来た東海北陸自動車道を戻って岐阜市内に向かう。
岐阜城は織田信長が長く拠点としたことで有名だが、ここも城自体は昭和30年代にコンクリートで再建された、まぁ言ってしまえば普通の博物館だ。だが標高300メートル強の金華山にロープウェイで登って、そこから徒歩10分弱で着くこの山頂の城は、景色がめちゃめちゃいい。犬山城と較べ、見える範囲が断然広い。城からでこんな景色はかつて見たことがない。
最近の発掘で、ふもとの現在の岐阜公園にあった信長の居館がどんなだったかとかがだいぶわかってきたようで、城内でその再現ビデオも上映していたが、さすが革命児信長が作っただけあって、荘厳かつ斬新な、素晴らしい建物だったようだ。
それらを堪能し、それから見ようと思っていた岐阜公園内の「岐阜市歴史博物館」が残念ながらお休みだったので、少し早めだったがこの日の宿、岐阜中心街の「ドーミーイン岐阜駅前」に向かう。この手の「温泉付き半ビジネス安価ホテル」が、最近どこの街にも展開されていて、一人旅には便利だよね。ここでも全国旅行支援「岐阜旅コイン」が使えたので、ホテルの向かい側にあったイタリアンレストラン「GoodDish&Wine33バル」で、カプレーゼとピザの夕食にした。
とここまででだいぶ長くなってるので、続きはまた次回ってことで。
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