今回はちょっと変則的ですが、土曜日に、前回は娘の結婚式だったので我が家に来るのは約3ヶ月ぶりの孫たちが来たので、会津旅行の3日目と、孫たちが来た話のセットで書きますね。
会津旅行3日目は、朝まだ雨が残る中、湯野上温泉から車で10分ほどの「大内宿」に行く。ここはその昔会津藩主保科正之が、江戸への最短距離として日光への街道を開いた時にできた宿場町で、その後途中に噴火の影響で湖ができてしまって街道自体は廃れたようだが、当時の町並みが今でも残っている。
雨の中、国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されたこの町に入っていくと、なるほどなかなか風情のある建物が並んでいる。ほとんどが店舗兼住居になっていて、住民憲章を作り、町並み保存のために、「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守り続けているらしい。
途中旧本陣を模して建てたという「町並み展示館」に入って当時の暮らしの様子を知り、一番奥の少し高くなった場所にある弁財天、子安観音にお参りして町並みを俯瞰で振り返り、お店の1軒で会津塗の夫婦箸を買って車に戻る。ここから会津若松へ山道を下っていくと、途中で雨が上がり、天気が回復して、会津若松城に着くころには雲は多めではあるもののすっかりいい天気になった。
会津若松と言うと、2010年に家族で裏磐梯に旅行に来た時に、陽の当たる車の中に開封放置した紅茶を飲んだ息子と娘とぼく--娘が一番多く息子とぼくはちょっとだけ--が食中りになり、ペンションに救急車を呼んで、会津若松市内の病院に運ばれるという事件があったのが、過去唯一足を踏み入れた経験だ。
なのでその時には市内観光なんてできる状態ではなく、じっくり観るのは今回が初めて。しかしまぁ、これだけ戊辰戦争を現代まで引きずっている町も珍しいよね。前に「月曜から夜更かし」かなんかでやってたけど、福島県人が一番嫌いな県が、今でも全国で唯一、旧長州の山口県だっていうからすごい。
会津若松城(鶴ヶ城・冒頭の写真)は、戊辰戦争でボロボロになり、その後石垣以外の上物は取り壊されて、昭和になってから復元されたので、城自体は歴史的価値はないが、内部は1層から4層まで、歴代会津藩主やその戊辰戦争の歴史を展示する博物館になっており、5層からは市内の景色がよく見える。石垣や、いくつかの櫓跡、鐘撞堂など、歴史的価値の高いものもあり、それらも見て回る。
それから「とん亭」というソースかつ丼屋さんでヒレ肉のかつ重をいただく。全国にソースかつ丼を名物にしている場所はいくつかあるが、ここのはかなり美味だった。さすが食べログ3.5。少し待たされた甲斐があったなこれは。
そして次に「会津武家屋敷」に行く。これは会津藩家老・西郷頼母の屋敷を、残された図面から正確に復元した家老屋敷を中心に、陣屋・茶室などと資料館を併設した施設で、幕末の大藩の家老の生活様式や、彼が徹底抗戦の流れに逆らって和議恭順を主張し出奔せざるを得なかった歴史などがよくわかる。
ここでは出口のところにけっこう大きな売店があって、いつもよく使う目鼻用をはじめとする薬類を入れて持ち歩いている袋が、だんだん薬が増えてきて小さくなってきてしまっていたところ、ちょうどよい大きさの会津木綿の巾着を売っていたので買って来た。帰ってきてから薬を入れ替えてみたが、おお、これはいい感じだぞ。
それから今度は街の少し北寄りの飯森山に行く。ここは有名な白虎隊の十九士が自刃して果てた場所で、その隊士たちの記念碑や個人が経営している「白虎隊記念館」、それから寛政年間に建立された、国の重要文化財で六角三層の堂塔「さざえ堂」があり、これらを順番に見て回る。
個人的に白虎隊にはそれほど思い入れがないので、白虎隊関連のいろんな情報や展示は、ふーん、なるほど、って感じだったが、「さざえ堂」は、内部が珍しい二重螺旋構造の板坂になっており、登って降りてもずっと一方通行で誰にも出会わないという、なかなか興味深い造りで感心した。
ここでは参道の売店で、この辺の土産物屋にはどこでも売っているのだが、玄関の飾り棚に飾る用に、小さな起き上がり小法師4色のうち赤と青の2体を買った。そして街中のガソリンスタンドでガソリンを入れた後--会津若松はガソリンが高い!レギュラーで180円/l前後が相場で、ウチの近所より15円くらい高い。出光アプリで「マイ店舗登録」して、少し安くはしてもらったものの--、この日最後は国の名勝「御薬園(おやくえん)」に行く。
ここは歴代会津藩主が別荘として利用していた山水庭園で、江戸時代に各種薬草を栽培する薬草園が造られたためこの名前になった。戊辰戦争の時は新政府軍の療養所として使われたため、この街では珍しく焼けずに残ったということで、美しく落ち着いた佇まいはなかなか趣がある。
この日の宿は街の南東部にある「東山パークホテル新風月」だ。この旅で初めて、いつものシングルビジネスホテル的なところを取った。ぼくが泊まった建物は旧館らしくちょっと設備が古かったが、やっぱベッドにユニットバスってのが楽だよね。部屋も狭かったけど、福島牛しゃぶ付きのバイキングの2食付きで1万円を切るというのもかなりリーズナブル。温泉もよくて、露天風呂が広葉樹の森の中に少し出っ張った位置にあるので、まだ明るい陽が葉に当たって美しかった。
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てことでここからはいきなり孫たちの話になりますが、旅から帰った翌日の土曜日、朝8時に起きて、オフクロを車で迎えに行く。旅の時は大体7時過ぎに起きていて、家にいる時は10時半とかなので、ペースを戻すのにちょうどいい。
11時過ぎにオフクロを連れて家に戻ってきて、その後しばらくしてカミさんの両親が、その後息子一家がやってきた。孫1号は慣れたもので、トントンと階段を上がり、リビングの電子ピアノの上に置いてあるおもちゃ類をどんどん引っ張り出してきて遊び始める。孫2号は何度も来てはいるが、久々だったので忘れてしまったのか、最初は少し警戒した様子だ。
孫2号はつい最近、5,6歩ではあるが歩けるようになったのだが、なかなか見せてくれない。特にカメラを構えていると緊張するのか、すぐハイハイになってしまう。一方で孫1号は、まだだいぶ聞き取りにくいが、ずーっといろんなおしゃべりをしながらいろんなおもちゃを散らかし跳ね回って遊んでいる。
孫1号はこのところイヤイヤ期に入り、何を言っても言うことを聞かない。こうしろ、ああしろと言われてもまるでどこ吹く風で、しかもかなりのイタズラ坊主になってきて、決定的にモノを壊したりはしないものの、おもちゃの小物を投げ飛ばすし、カミさんが四万温泉で射的で取って来た紙風船を膨らましてやっても、ぐしゃっと潰してケラケラ笑っている。
昼食も幼稚園では1人で食べてるよ、と言いながら、最初だけちょっと食べて、あとはパパやババに食べさせてもらっている。一方で孫2号はおっぱいを卒業して、離乳食のだいぶ硬めのヤツを食べ、普通のものもほとんど食べられるようになったそうだ。
孫1号はか行とさ行の発音が相変わらず苦手なのだが、「じじ」はかなり普通に発音できるようになって、ぼくが洗い物をしている時に、何か見せたいことがあるたびに、「じじ」と大声で呼ぶ。 孫2号も食事の後はだいぶ慣れてきて、いろんなおもちゃの小物を手に持って、ローテーブルに上に顔を出したり、何歩か歩いて見せたりする。とても表情が豊かになって、ニコニコと笑ったり、手をパチパチしたり、「いただきます」「ごちそうさま」とかで顔を傾ける様子がとてもかわいい。
2人とも機嫌のよい子で、孫2号は最初だけちょっと泣いたが、あとはずっと元気に遊んでいた。孫1号はいつもは言うことを聞かず嫁にかなりキレられているそうだが、今日はウチなので嫁もあまり厳しいことは言わないため、だいぶ調子に乗っていたようだ。
孫たちが帰るちょっと前に、娘夫婦がまず娘、次にもうホントに帰り間際のすれ違いでダンナ君が来て、結婚式の時にプロのカメラマンが撮ってくれた写真が納品されたというので、両大ババ向けにそれぞれピックアップした写真を小さなアルバムに収めたものと、我が家にはSDカードのデータで届けてくれた。
孫1号は、周りの大人たちがみんなそう呼んでいるのを真似してか、娘をちゃん付けではなく呼び捨てで呼んでいて笑えた。娘には、「会津旅行3」で書く予定だが、4日目に行った「大山祇(おおやまずみ)神社」でまた子宝守を買って来たのを渡した。
そんなこんなで、オフクロを送って行くのが外出許可を取った5時には少し遅れてしまい、また帰りが結構混んだが、オフクロはすごく楽しかった様子でよかった。ほんと、毎回来るたびに前回を上回ってじじばばを喜ばせ、幸せを届けてくれる孫たちでした。
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