今日はこのブログ、サボっちゃおうかとも思ってたんですが、オリンピックでドラマ等がほとんどなくなったんで、一応簡単に書いておきますね。
ウチの親父は5人兄弟で、男女男女男の順でうまいこと生み分けた、と言っても上2人の後、ぼくの本当のおばあちゃんに当たる人が若くして亡くなったので、下3人とは腹違いなのだが、親父はその長男、倉本聰氏(本名の苗字はぼくと同じ)が次男で、今は5人のうち存命なのは倉本氏と末弟のS叔父だけになってしまった。
そのうち4番目になるT叔母は、昨年の7月に亡くなり、関西在住だったので、お葬式にはウチからは長兄であるぼくの兄だけが出席していた。T叔母には男女男の3人の子(ぼくの従姉妹)がおり、長男Tはもともとこちらで就職して、次男Yは今年の4月から東京に転勤になったってことで、今日はその1周忌の会食が、今は親父の末弟S叔父夫婦が住んでいる実家そばの吉祥寺で行われたので、カミさんと出席してきた。
出席したのはT叔母の3人の子とその配偶者、子供たちと、かなり前に亡くなった親父のすぐ下の長女の子2人(つまりこれもぼくの従姉妹)とその配偶者や息子、S叔父夫婦とその2人の娘(同前)とそれぞれの配偶者、それとウチの兄と我々夫婦だ。ウチのオフクロにも声をかけてくれたのだけど、本人が体調不安で遠慮すると言ってね。
T叔母の子供のうち男2人には、それぞれ男の子が1人ずつ、いずれも成人しているほか、女の子(って言ってももう還暦間近だけど)Kには近ごろには珍しく4人の子がおり、これまたうまいこと女男女男と産み分けて、上2人(3人かな?)がもう成人している。この夫婦は2人とも弁護士で、関西で仕事をしているが、子供たちの上2人はいずれもこちらで就職した。
歳を取るにつれ、この手の親戚の集まりってのは少なくなっていくもんだと思うが、我が一族も同様で、ぼくが成人する頃まではもう少し行き来があったと思うのだけど、人にもよるが昨年一緒に墓参りに行ったS叔父夫婦や、3年前に亡くなった親父の葬式に来てくれたT叔母の長男Tなど一部を除くと、大体20年ぶりとか10年ぶりとか、そのくらいの久々さ加減だ。
特にたまたまぼくらの正面に席をあてがわれたT叔母の長女Kの一家は、ずっと関西にいたのでかなり長いこと会っていなかった。このKは、昔はそこそこかわいらしかったのが、すっかり関西のおばちゃん、お母ちゃんになっていたな。まぁよくしゃべること。よくしゃべるなぁ、と言ったら、それが商売だからね、と。
彼女は弁護士になるのにけっこう苦労して、結婚して最初の子(Yちゃん)を産んだ前後、32歳くらいの時に司法試験に受かり、司法試験ってのは受かるとまず和光市にある司法研修所に短期間だけど全員通わされるので、一時期前の我が家のそばに住んでいたことがある。
その頃にぼくらと、赤ちゃんが見たい、と言った幼稚園の年中くらいだった娘と3人で、彼女の家に行ったことがある。Yちゃんにはその後1度、倉本氏が何かで招集をかけて親戚一同で集まった時の2度しか(たぶん)会ったことがなかったが、すっかり美しく成長して、Kとの親子での関西弁の応酬がなかなか見応えがあった。
Yちゃんは今年から製薬会社に就職して薬品の開発をしているとのことで、完全に文系の両親から--父親であるN氏の方もみごとな関西のオヤジ弁護士でね--よく理系の道に進んだね、と言ったら、まぁちょっと親に対する反発もありまして、という趣旨のことを言っていた。そんなもんかもなぁ。
しかし従姉妹っていうか親戚ってのは、歳の差があってもタメ口で気楽にしゃべれるのがいいよね。ぼくの隣に座った親父のすぐ下の妹の子K彦ちゃん(Kが多くてややこしいけど男性ね)は、三鷹台に住んでいるんだけどなかなか会う機会もなく久々だったのだが、ぼくがドラムを始める一つのきっかけにもなった先輩ドラマーで、今年70歳になるんだけど、今もデザインとか装丁とかの仕事をしないと食ってけないんだよと。
ぼくが高校1年でドラムを始めた時に、彼の要らなくなった古いドラムセットを6万円だかで買って、当時学生だった彼の多摩美大の部室に、大八車を引いて貰い受けに行った記憶がある。あれ、最後はどうやって青山の高校の部室まで運んだんだっけなぁ?
彼は今だにドラムを叩いていて、原宿の有名なライブハウス「クロコダイル」に最近も出演したりしているそうだが、耳が遠くなってまいったと言っていた。ステージ上で片耳がいきなり全く聞こえなくなったこともあるそうで、ぼくと同様耳鳴りはするし、そろそろ限界かなぁと。
会食は吉祥寺の「ボナペティ」という洋食屋さんを借り切って行われたのだけど、12時から始まって、最後にT叔母の長男Tの力作の叔母の人生をなぞったスライドを観て、3兄弟それぞれから挨拶があり、14時半ごろにお開きになった。いやいや、こういう親戚の集まりってのは、やっぱいいもんだなぁ。
T叔母は倉本叔父やウチの親父、ひいては多分ぼくにも遺伝した物書き好きで、過去の自分の経歴や、闘病生活の記録を文章に残しており、それらを小冊子にしたものが配られた。帰りの電車の中で読んで、まだ全部読めてはいないが、平明で読み易い文章で淡々と書かれており、それがむしろグッと来るものがあったなぁ。
てことで今日は完全に内輪の話で、しかも叔父だ叔母だ従姉妹だその子供だと関係性がややこしい内容ですみませんでした。来週はカミさんと信州北部へ避暑&森・湿地歩きの旅に行ってきます。旅の間にこのブログを書けるかはわかりませんが、次回は旅の記録になる予定です。
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