昨日から娘の留守をいいことに、会社を休んでカミさんと、伊豆の下田に来ている。下田という街は、前に書いたようにぼくにとっては懐かしい半分ふるさとみたいな街だ。しかも今回は、もう35~40年前に母方の祖父に連れられて毎年正月に来ていた、その東急ホテルに、その時以来振りに泊まっている。
今回の旅の行き先は、元々は娘がシアトルに行っていると知った上司のMさんが、少しぐらい休んでもええから行ってきたらどうや、と言ってくれたことに端を発し、でも飛行機に乗ったりするのがあまり好きでないカミさんが、シアトル以外にも候補に挙げたバリとかプーケットとか、これはこの時期春節祭なのでどの道行けない台湾とかを全部やめて、国内ももう少し遠くまで--屋久島とかせめて熊野古道とか--行くかと言っていたのも全部やめて、近場の温泉で、比較的温暖で、ってことで選んだ。
何度か子供を連れて来ているし、そのたびにペリーと縁が深く、観光名所にもなっている了仙寺にある祖父の墓におまいりには来ていた。だけど去年、上記の記事のとおり、永代供養ということにしてしまったので、墓はもうなくなっているかもしれない。
昨日は環八が混む前、8:30ごろには出ようかと思っていたのに、カミさんが出際になんだかメールを打つのを忘れていたとかで、結局11時近くに出る羽目になった。当然環八は平日だけにトラック中心の断続的な渋滞で、高速に乗ったときにはもう12時近くなっていた。
時間節約のため海老名SAで黒肉まんとか鯛寿司とかを買って、食べながら小田原厚木道路を進んでいく。このところ伊豆に行くときは、小田原から箱根新道やターンパイクを使って山に登り、伊豆スカイラインで伊豆高原まで行ってしまうのが常だったけど、さすがに平日は混まないだろうと、久々にまっずぐ海岸線を走っていく。
でも平日でも意外にガラガラって訳には行かないんだよね。何度かの短い渋滞をくぐりぬけ、途中ホームセンターの駐車場に車を止めて高橋大輔の銅メダルの滑りを観戦したりしながら、今回の旅の目的の1つであった、東京から行って下田の1つ手前の街、河津桜の桜祭りには、夕方4時半ごろにやっと着くことができた。
カンヒサクラという早咲きの桜と、オオシマサクラとの自然交配でできたと言われるこの河津桜は、今まさにほぼ満開状態にある。2月のこの時期に下田に来たことはなかったので、これをみるのは40年来の伊豆との付き合いの中でも初めてだ。
写真のとおり、なかなか見事に咲いてるでしょ。これが河津川の両岸に、大体2.3キロに渡って続いている。平日だと言うのに人も多くて、昔はこんな名所はなかったはずなんだけど、ソメイヨシノと違って、2週間から1ヶ月ほどもつこの花での街興しは、マーケティング的にはけっこう成功しているようだ。
桜並木の下を散歩していたらだいぶ腹が減ってきた。なので了仙時の筋向いにある「幸寿司」というオフクロたちが行きつけの寿司屋にまっすぐ向い、上握りを食べる。うまい。
約35年ぶりのホテルは、昔あった卓球台や屋上の展望台がなくなったりしていたけど、なつかしのもう骨董品になったエレベーターとか、レストランや売店の配置は昔のままだ。
さて、今日は特にやることを決めていなかったんだけど、まずホテルの周りの大浦海岸を散策、それから幸寿司のおじさんに聞いた、もう1箇所桜がきれいだと言う南伊豆町の下加茂温泉に行き、桜もいいけど一面の広大な菜の花畑も堪能してから、了仙時に墓参りに向う。いつなくなってもおかしくない墓だけど、まだちゃんとあった。近くのスーパーで花を買って供える。
その後最近「ペリーロード」と名前をつけた平滑川沿いのちょっとおしゃれな店が何件か並ぶ通りを歩く。大河ドラマが「龍馬伝」の今年、実はそれほど龍馬とは縁のないこの街も、便乗して龍馬、龍馬で盛り上げている。
築130年と言われる洋館に造った「PageOne」という店でパスタを 食べ、下田港を見下ろす下田公園に移動して、歩いてちょっとした山を登る。
それからこっちはもう祭りの期間は終わったものの、まだ少し咲いている水仙が売り物の、下田港を挟んで反対側の岬、爪木崎へ向う。
昨日は遅くにホテルに着いたので、露天風呂は気持ちよかったけど景色は真っ暗だったので、今日はまだ明るいうちに入ろうとホテルに戻ってきて、 大浦海岸を見下ろしながらゆっくり塩素系単純泉に浸かった後、今度は下田駅のそばにある「勝」という海鮮丼屋さんで、好みの魚を選んで乗せられる「チョイス丼」を食べた。これまた美味。
いくら以外の生魚が食えない娘のために、寿司とか海鮮丼って言うのは普段は食えないので、この下田旅行ではホテルのレストランは使わず、2日とも魚介系を堪能した。
てことで長くなりましたが、なかなか気持ちのよい下田旅行記1,2日目でございました。
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