最近、駅のホームのアナウンスは、一昔前は「危険ですので白い線の後ろまでお下がりください」だったのが、すっかり「...黄色い線の...」に変わってしまった。今でも白い線、というか点線も残っているところも多いのに、そのさらに内側に埋め込まれた点字ブロックの列の内側に、みんな律儀に並んでいる。ラッシュ時のホームは、あれでさらに狭くなったと思う。
ブロック自体は目の不自由な方のために埋めたものなのだろうけど、そんなにホームの端との間を空けなくたって、健常者なら危なくないと思うんだけどなぁ。これも前に書いた、高校生が酒を飲まなくなったとか、会社で全てのメールを検閲するとか、天下りの駐禁監視員とか、そういう統制社会への流れの一環のような気がする。
しかしあの点字ブロックを並べたものは、「線」なのか?線って言うのはもちっと細いもんじゃないの?
って、今日は統制社会や線の太さのことが言いたいわけじゃなくてね。
あのブロック、ああいう規則正しく並んだものを見ると、ついその数を数えたくなるのは、ぼくだけなんだろうか?っていうのが今日の疑問のその1なのでございます。
よくある埋め込み式スピーカーの前に開いたやつとか、天井のプラスターボードのやつとか、そういう、規則正しく並んだ突起物とか穴みたいなもの、正方形やら円形やらは、みんなその対象になる。こんなぼくは、やっぱちょっとおかしいのでしょうか?
しかもこれは昔、数学の問題を解く訓練をさんざんやらされた人間の性なのか、いかに効率よく数えるか、ってことについ血道を上げてしまう。
例えば冒頭の写真の「黄色い線」ブロックだったら、左下端の点を含む4×4の正方形と、右上端の点を含むのと、この2つの正方形の組み合わせだから、16×2で32個の点があるよね、っていう風に、意識的に数えようと思ってないのに、つい数えてしまい、そんな自分に自己満足している。
あと5×5と4×4の組み合わせのものもあって、その方が組合せとして面白いというか美しいので好きだったりする。こんな無機物で、別に芸術性を求めたものでもないのだから、好きも嫌いもないのにね。ちょっと変なのかなオレ。
んでまた、こういう人工物での規則性は好きなくせに、自然物が規則正しくならんでいるものを見ると、あの黒板を引っかいた音を聞いたときのように、ぞっと背筋が寒くなるのですよね。
例えばこのパイナップルの皮を剥いた状態ね。こういう写真で見ても、特に何とも感じないけど、昔オフクロがいただきもののパイナップルの皮を剥くのをそばで見ていたとき、この茶色い、何なんだこれ?が並んだのが出てきて、パイナップルってそういうもんだってコトを全然知らなかったその時は、ホントにゾッとしたんだよね。
黒板やガラスを引っかく音は、研究によると、90%以上の人が本能的に不快感を覚えるんだって。そんで、あの音は、人間の祖先である猿の一種「マカクゾル」が危険を仲間に伝達する際に発する叫び声の声紋と一致するんだそうで。つまりあの音を聞くと、身に危険が迫っているぞ、という記憶が、遺伝子に受け継がれていると。なるほどなぁ。
するってーと、規則正しく並んだ自然物って言うのも、そういう何がしかがあるんだろうか。例えば恐竜とかの巨大危険生物の巣とか、彼らが仕掛ける何らかの罠みたいなものが、規則正しい配列を持っていたとか。
もっとも他人に訊いてみたことがないのでね。規則正しい自然物にゾッとするものなのかどうか。もしするとしてどのくらいの人がそうなんでしょうか?
あまり「ぞっとしない」話で恐縮ですが、皆さんはどうですか?
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