ボブ・ディランがノーベル文学賞を取った。村上春樹をはじめとする数ある著名な物書きの皆さまを差し置いてだ。世界中で物議をかもしているようだけど、これは画期的なことだよね。
ぼくにとってはボブ・ディランってのは、フォークミュージックに多大な影響を与え、ビートルズと並び称される、音楽史に残るすごい人、という認識はあれ、直接アルバムを聴いたこともなく、伊坂幸太郎さんの小説「アヒルと鴨のコインロッカー」で、それまで何となく耳にしていた「Bowin' In The Wind」に、初めてより深く触れるみたいな、変な順番だったんだけどね。
その、まだ若かった彼を一躍有名にした「Bowin' In The Wind」の歌詞に、「How many seas must a white dove sail / Before she sleeps in the sand?(白い鳩はどれだけの海を乗り越えれば/砂浜で寝むことができるのか)」というのが出てくる。この曲はあからさまな反戦歌ということでもないけども、ここでいう「white dove」は、前後の文脈を見るに、"弱者"や"平和"の象徴なのだろう。
鳩を平和の象徴とするのは、旧約聖書のノアの方舟のくだりで、鳩を飛ばしたら、オリーブの枝をくわえて戻ってきたことで、陸地があることがわかったというお話に起因するようだが、キリスト教だけの話ではなく、イスラム教でも一部の地域では、鳩を「平和の使い」としていたらしい。つまり世界のかなりの地域で、鳩は平和と結びつけて語られているということだ。
日本で鳩をそういう扱いにしたのは、どうも西洋文化が一気に入ってきた戦後のことらしいけども、それから70年やそこらで、鳩=平和みたいな、ある意味崇高なイメージが完全に定着したシンボルと言うのも珍しい。一方で街にあふれるドバトたちの、ずんぐりと警戒心もなくエサを求めて歩き回り、糞公害の原因の最右翼にいる実態を、ほとんどの人が知っているにも拘らず、だ。このイメージの乖離はなに?
ちなみに鳩があれだけ無警戒なのは、普通に食用にする中国とかではありえないことのようで、「鳩を見るとおいしそう、と思う」と言っていたアグネス・チャンを始め、日本に来た中国人には、オドロキなんだそうで。
そういえば前の会社の、まだぼくが若かったころの隣の課の上司で、かなりコワモテで有名だったMさんが、どうにもこの鳩が苦手で、何かでどこかの公園を通った時に、中心部に鳩が群れを成しているために、怖くて動けなくなった様子を、その課にいたぼくの同期が、鬼の首を取ったように嬉しそうに語っていたのを思い出す。
さらにそういえば、カミさんが以前近所の仲間と作っていた子育て応援のローカル新聞の名前が、「ピジョンポスト」だったなぁ。付近の店を回って協賛金の依頼をしたり、社会人一年生のころの優秀営業マンの本領を発揮し、結構本格的にやっていたものだ。
さて、イメージの乖離ってことで、ここからが本題なんですが。明治のころから、文部省唱歌に指定されていた有名な「鳩」って曲があるじゃない?「ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ」、ってやつ。あれって、上記のように日本ではまだ「平和の象徴」という概念のなかった時期の曲にも拘らず、鳩とその鳴き声に対してすごく愛すべきもの、かわいいもの、っていう感覚で捉えてるでしょ?
ぼくは生まれてから小学校に上がる前まで北九州に住んでいたのだけど、そのころはアパート住まいだったから、庭に鳩が来る、って状況は経験がなかったのね。一方でたまにオフクロの実家--今ウチの実家がある大塚にあった、広い庭のある戦前の建物で、今は当時の土地は半分売っちゃって家も別物になってるんだけど--に泊りに行くと、朝起きるころに、庭から超陰気な何かの鳴き声が聞こえてくる。
トゥートゥ・トゥートゥトゥー トゥートゥ・トゥートゥトゥーっていう、音で言うと近いのはE♭ーD・GーGGだから、完全にマイナーってわけじゃないんだけども、これがまぁ怖くてねぇ。あれはいったい何なんだろうと、オフクロに訊いたのかなぁ?いやそれすら怖くて訊けなかったのかなぁ?ぼく的には幼児期のトラウマの1つで。
それがどうやら鳩の鳴き声なんだと知った時のオドロキ!なんであれが「ぽっぽっぽ」に聞こえるの?なぜあんなに明るい曲になるの?かわいいやつ、って言う歌になるの?っていう、ぼくにとっては人生最大と言っていいイメージの乖離だったのですよ。怖くないですか鳩の鳴き声って。
そんでね。これとは全然違うし、怖さ度合いもここまでではないんだけど、最近ある種これに似た感覚を感じる音が、あのiPhoneのデフォルトのコール音なのね。ソ・ソ シ♭ ド・ドシ♭ソ・ド・レ ド シ♭ ド ラ・・ってやつ。こっちは明らかにメジャーで、音も木琴ぽい感じだから、陰気さはないんだけど、なんかあの軽快な音が、そこまで明るく感じられないって言うか。なんでなんだろうなぁ。
鳩の声の怖さは、陰気って要素以外にあるとしたら、もしかして以前に書いた、パイナップルの皮をむいた時に茶色の点々が規則的に並んでる様子、あの自然界にあるまじき人工的な規則性の感じがゾッとするのに近いかも、とは思うんだよね。だって超リズミカルというかタイトでしょ、あの鳩君たちのリズム感。セミや鈴虫の鳴き声みたいな長音かつ回数いい加減、ってのとは違って。
だけどiPhone君は動物じゃないからなぁ。なんで怖さ、というか不気味さを感じるのかなぁ。記憶には定かにはないけども潜在意識にある、昔聞いたなんかの怖い音に似てるのかなぁ。このブログを読んでる方で、私もあのコール音が怖いって人、いらっしゃいますか?
こんなサイトもあるくらいだから、世の中にもそう感じる方が一定数いらっしゃるのね。てことはぼく個人のトラウマに起因するのではなく、あの、黒板やガラスを引っかく音に多くの人がゾッとするのは、人間の祖先である猿の一種が仲間に危険を伝える際の叫び声と声紋が一致するからだ、という説と同様、何がしかヒトの遺伝子に受け継がれている音の記憶につながる要素が、あのコール音にはあるってことなのかな?
まぁしかし、ボブ・ディランにノーベル文学賞出すなら、ポール・サイモンにも出してあげてほしいなぁ。ちょっとひねくれてるから、難しいのかなぁ。でもああいうひねくれ方って、ある意味文学的だと思うんだけどなぁ。「Sail on silver girl,Your time has come to shine」とか、「Still crazy after all these years」みたいな2つの意味を込めた掛詞とか、素晴らしいと思うけどなぁ。
さてさて、今月末のライブに向けて、今日もNisshie'sのリハが行われた。今日も、っつても、今日と、あとは前日のリハしか残されてないんだけどもね。そう言えばライブ当日ってハロウィンじゃん、ってことになって、これまであまりに統一感がないというご批判を一部の--ベースYさん関係の--方から受けていた衣装についても、今回はFBでの膨大なやり取りの末、早くも調達手配したりしている。
大勢お越しいただいて、踊りまくっていただけるといいなぁ。もう一度FBイベントのリンク、貼っておきますね。ハロウィンでお忙しい中恐縮ですが、昼の仮装のまま、も大歓迎ですので、夜は新中野・LiveCafe弁天へぜひ。
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