GW明けはまたリモートワークで始まって、4月2日以来だからついに丸1ヶ月以上、会社に行っていない、つまり電車に乗ってないのね。定期券密かに払い戻して懐に入れてもよかったかな。まだしばらく続きそうだし。
なんてしょーもないことをつらつら考える日々ですが、皆様お元気でお過ごしですか。GW中はちょっとだけ一念発起して、アイデアはあると書いた新曲のほんのサワリを、Cubaseに打ち込んでみたりしたんだけど、ブーランにはギター演奏の負荷をかけない、という基本原則に逆らって、ちょっとカッコいいカッティングから始めたいなと思ったものの、そのフレーズがなかなか思いつかず、現在頓挫中。
それよりもしばらくCubaseをいじってなかったら、バンドル音源である「Halion Sonic SE」と、旧バージョンにバンドルされていた「Halion One」という2つの音源ライブラリーになぜかアクセスできなくなって、これを修復するのに結構手間取ったりした。もっとしょっちゅういじってあげない自分が悪いのかもだけども、こういう音楽制作と関係ないところで時間取られるのってなんだかなぁ。
てことでこれ以外は、仕事を除くとほぼ、先週書いたように映像を見ているかスマホで本を読んでいるかなので、書いても毎週似たような内容になっちゃうため、しばらくぶりに日本語、特に仕事上で使われる、最近気になっている言葉について書いておこうかな。
以前「適応」と「適用」は全然意味が違うしそもそも読みも違うのに、本来「適用」を使うべきところに「適応」を使う向きが多すぎる、って話を書いたけども、まずはその時にも書いた「おっしゃられる」という二重敬語ね。なんかこれはもう、日本語として定着してきちゃってる観があるよね。逆らってもしょうがないのかな。自分では絶対使わないけども。
これと似たような表現で近ごろ気になるのが「申される」だね。これも検索するといっぱい引っかかってくるんで、気になってる人が多いんだろうけど、「申す」は謙譲語、「~される」は尊敬語なので、例えば「部長が申されましたように」みたいな使い方は明らかにおかしい。
ただしこれは、平家物語とか古い文献や、「なんと申される?」みたいな武家用語でも「申される」という表現はたくさん出てくるので、本来おかしな使い方ではない、という説もある。それに対して、いやいや平家物語の例は、目上の人が朝廷に対して言ったことについて使っている、つまり「申す」は朝廷に対する謙譲で、「される」は目上の人に対する尊敬だからおかしくないんだとか、突っ込んでいる人もいる。
シチュエーションにも寄るし難しいということなのだろうけども、やっぱりこれは時代劇とか以外では基本的に使わない方がいい表現だという気がする。「おっしゃられる」よりは、今でもかなり違和感があって、定着して欲しくはないなぁと思う。
「検索すると」って書いたのでついでだけども、「ダサい略語」についても、これはもうかなり個人的感性によるところが大きいけども、気になることがある。つまり「ググる」ってやつね。略語のダサさって、1つは「自分たちの世代にしかわからないだろう」とか「ネットの知識をある程度持ってないとわからないだろう」とかって上から目線もしくは村意識のタイプと、単純に語感や言葉遣いとしてダサいものとあるけど、「ググる」は元々は前者のタイプだろうね。
Googleという検索エンジンを使うから「ググる」なんだぜ、ってことなんだけども、これなんかはもはや、Googleが完全に一般化しちゃった昨今、それをまた自慢げに言うこと自体の見誤り感(≒オヤジ感?)が超ダサいと感じるので、ぼくは絶対使わない。
前者の例としてはネット略語なんかはさらにたくさんあって、「草」とか「orz」とか、"了解"の意を表す「り」とか、この手の簡略表現も、単純にその上から目線or村意識的なカッコ悪さ、もしくは時期を逸したことに気づいていない恐れを感じるので、ぼくは基本的に使いたくない。これはまぁこんなこと書くといろいろご批判もいただくかもしれないし、そうやって頑なに使わないって言うのもオヤジ型ガンコさだと言われるかもしれないけども。
後者の例は「レンジでチンする」、さらに略して「あ、それ30秒チンして」ってやつね。うーん、これを普通に使って赤面しない感覚がぼくにはわからない。大体今どき、調理終了時に単に「チン」って音がする電子レンジなんてあるのかしら?
ビジネス用語の話に戻ると、書き言葉と話し言葉の違いの例として、「御社」の使い方がある。ぼくは若いころ、文章に「御社」と書くのは間違いだと教わったので、必ず「貴社」と書くようにしているけど、これなんかももはや古い感覚なのかな。メール文面とかで「御社」って書かれることは、かなり一般化してしまっている。
そのうち「貴社」なんて書いてると、いつの時代だよ、って言われるようになっちまうんだろうね。これも前に書いた、「可能性が高い」という表現は誤りで、本来は「蓋然性が高い」って言うべきなんだけど、今どき「蓋然性」なんて言葉使ったら明治かよ、って言われちゃうのと同じで。ちなみにこれを知って以来、ぼくは「可能性が高い」とは極力書かないようにしてるんだけど、「蓋然性が」とも書きにくいので、「公算が」とか「確率が」って表現にするようにしている。
そしてもう1つ、「主旨」と「趣旨」の話ね。これは珍しく、世代に関係なく間違いが多いケースなのだけど、「主旨」の方は「中心となること」「要旨」の意味、「趣旨」の方は「主旨」と同じ意味を含んで、さらにその「理由」や「目的」や「意図」などを含んだ広い意味を持つ。「主」つまり「おもなこと」と、「趣」つまり「おもむき」の違いだ。
なので、よくあるのが「主旨をご理解の上・・いただきたく」とか「ご主旨了解しました」とかいう使い方だけど、これらは「主な点」だけを解ってもらってもダメで、「目的」や「意図」も伝わらないと、きちんと理解・了解したことにならないため、意味合いがおかしなことになってしまう。なので、これらの場合は「趣旨」を使わないといけない。
「主旨」という言葉は、実際には、国語の問題文か裁判の判決くらいでしかほとんど使う場面がないのではないかと思われ、多くの新聞社やTV局では、「主旨」は使わず全て「趣旨」とするルールになっているらしい。
これ、例えばうちの会社の既に定年し再雇用に入っている方とか、上司である役員とか、軒並み間違って使ってるんだよね。世代に係わらず間違いが多い背景は、どちらも読みが同じ「しゅし」で、PC時代の現代では、変換するとどっちも上の方に出てくるので、それまでの人生でより多く目に触れた「主」の方を選んでしまう、ということなのかな。ある意味国語教育の弊害と言う、希少なパターンかも知れない。
これについては、個人的には「申される」よりもかなり強く、定着して欲しくないと思うのだけど、こう広い世代にわたって普通に間違われると、抗えないのかな。でも世代差なら時間の経過とともになくなってっちゃうのもある程度納得せざるを得ないけど、デジタルの普及が(多分だけど)一因になり消えていくってのは、なんか納得できないんだよね。むしろ若者に、「オッサン、その使い方間違ってるよ」って指摘して欲しいよね。
さてさて、緊急事態宣言は延長されちゃいましたが、新規感染者数は少し落ち着いてきましたね。だからって気を緩めちゃいけないけども、今月いっぱいでこの家籠り状態が解消するといいけどねぇ。
我々「健康」は、近頃ずっとホームグラウンドのようにライブをやらせて頂いていた新中野のライブハウス「弁天」さんが、経営危機にクラウドファンディングをやると言うので、一番乗りは逃したけど、最大額で協賛させて頂いた。目標額150万を既にはるかに超え、約6週間の募集期間のうちまだ1週しか経っていないのに、既に330万に届かんかと言う盛況ぶりだ。
さすがアマチュアサラリーマン高年齢バンドの聖地。なにせ他のどんなライブハウスよりも利用条件がアマチュアに優しく、しかもブーランの学校とも関わりの深いPA陣のスキルの高さもあるからね。プロのミュージシャンたちが明日をも知れぬ状況に陥ってる昨今、こういうハコは強いわなぁ。
7月にリスケしたライブは、リハのスケジュールとか考えるとちょっと厳しいかも知れないけど、また必ずお世話になりますのでね。よろしくお願いしますです。
※冒頭の写真はCareer Picksさんからお借りしました。問題ありましたらご連絡ください。
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