今週はそこそこいろいろあったので、バラバラとですが書いていきますね。
まず先週土曜日、ブーランの娘愛ちゃんがW主演を務めた映画「衝動」を観に行った。土居笑生(しょうき)さんという、TVの制作畑にいて今回映画監督デビューとなった方が、クラウドファンディングで資金を集め、脚本・監督を担当して、単館かつ1日1回2週間(来月には関西でも同様に公開されるようだが)だけではあるものの、上映にこぎつけた作品だ。愛ちゃんが出ると言うのでぼくも出資し、先月その招待券が届いたという訳でね。
池袋HUMAXシネマズ、というか池袋の60階通り近辺にはずいぶん久しぶりに行ったが、なんか記憶にあった店やら映画館やらが全然変わってしまっていて、あまり街をブラブラしたりする趣味はもともとないのだが、中学の時以来ずっと池袋文化圏で生活してきた者としてはびっくりだ。
14:30から2時間ちょっとの上映だったが、有名な俳優さんとかはもちろん出ていないのだけど、倉悠貴さんという男性の主人公と、その相手役となった愛ちゃんも、また周りの登場人物たちも、とてもちゃんとした演技をしていて、しっかり作られた映画だった。特に愛ちゃんは失語症で筆談しかできないと言う難しい役どころだったんだけど、投げやりな中にも熱いところがある感じをうまく演じていた。
ただ、いかんせん話が暗い。W主人公のいろんな過去とか葛藤とか、日本映画にありがちなテーマで、最後救いがないことはないけど、ちょっと目新しさやカタルシスを感じられる内容ではなかったかな。
10日金曜の夜が初回で、その日は主役2人の舞台挨拶もあったようなのだけど、土曜日の回は、脇役の方3人と土井監督が登場した。こういう舞台挨拶ってのはぼくは始めての経験ではあったけど、やむを得ないのだろうけど平日は20時からの上映って言うのは、ちょっと何とかして欲しかったなぁ。
さて、時系列で言うと手を付けたのはこちらの方が先だったのだけど、と言うか実際には手を付け始めたところへ、下に書くABちゃんの件が14日と言うことになったので、それまでに間に合わせるかと言うことで一気に進めたのがカレンダー作り。
我が家では娘が小学校に上がる時だから西暦2000年分からずっと、息子や娘の写真で、当初は福井に住むカミさんのおばあちゃんたちにその成長を見てもらうために、A4見開きの月めくりカレンダーを年末に作って送っていた。その後福井のおばあちゃんは亡くなったが、我々夫婦の両方の実家にはずっと渡し続けていた。
ところが今年は、昨年ほとんど出かけられたなかったためにカレンダーにするようないい写真がなく、20年ぶりに作成を断念した。そしたら先日のぼくの還暦を祝ってくれた会の時に、オフクロから、今年はカレンダー作るの?孫の写真で作ってよ、と言われてね。今年もほとんど出かけられてないのは同じだし、4月の緊急事態宣言から半年ほどはぼくらも孫には直接会えなかったけど、孫の写真は息子から「みてね」というサイトで共有されたものも含めれば豊富にある。
んじゃ作ってみますかねと写真探しを始めたら、いやまぁかわいい写真が山ほどある。昨年12月生まれだから最初の月は1ヶ月ずれるけど、その後の成長を追って時系列に写真を並べていくと、例えばその還暦祝いの会の集合写真なんて入る余地がないほど、孫のソロ写真のかわいいのが集まった。
本来は年末までに作って、年末か年明けに実家に行った時に渡せばいいのだが、14日に実家に行くことになったので、じゃあその時に渡してやろうと、これらの写真を並べ、カレンダー面は昔から使っている「私暦」というソフトで作り、上記の映画の帰りにビックカメラで両面光沢紙を買ってきて印刷し、穴をあけリングを通し、何とか間に合った。
生まれてから1年ってのはホントにどんどん成長していくのがよくわかる。髪の毛の伸び方とか、寝返りからハイハイからつかまり立ちできるようになったりもそうだし、その間表情がどんどん豊かになっていく。結局どうしても枚数が絞り切れないため、月当たり原則2枚ずつを横並びで並べることにしたのだけど、これは我が家にとっても、両方の実家にとってもたまらん、久々の傑作になったな。割と最近の写真を使った、11月分と12月分のを載せておきますね(©息子)。
さてさて、その14日はぼくは会社のIPO記念有休取得奨励日というやつで有休を取ったのだけど、小学校以来の友人でバンド仲間でもあり、過去「健康」のサポートメンバーをしてもらったり、一昨年からは大学の時以来復活させて、こないだ曲決め会議をやったと書いた「Radical Party」というバンドでキーボードを担当するAB(アブ)ちゃんが、うちの実家にやって来るというので、ぼくも実家に向かった。
小学校5年の時に彼が転校してきて、その後中学も高校も同じで、大学には彼はストレートで入り「健康」メンバーはみんな一浪したためにしばらく一緒にはバンドはやらなかったが、「Radical Party」の前身であるバンドにギターI氏がABちゃんと、遅れてぼくを誘ったことから、ぼくはまた彼とバンドをやるようになった。
そんな関係で、小学校から中学校の時は家も近かったのでしょっちゅう互いの家に行っていたし、小学校6年の時には彼とぼくが主導して、クラスの女子をネタにして揶揄するくだらない曲を女子1人1人に作っていたのがバレて先生に怒られたり、中学の時は二人ともブラバン部に所属したが、その頃オフクロが英文科卒の経歴を生かして生徒4人だけの英語の私塾のようなのをやっていた時期があって、そこに彼とぼくも参加していたなどの経緯があり、ABちゃんはウチのオフクロもよく知っていたし、親同士も親しい関係だった。
そんなことで、オフクロも時折「○○ちゃん--高校に入る前までは苗字の冒頭2文字で呼んでいたので--はどうしてる?」とぼくに訊くことがあったし、ABはABで、一昨年亡くなってしまったブーランのオフクロさんにも生前に会いに行ったりして"オフクロキラー"を自認し、うちのオフクロにも会いたいとかねて言っていたところへ、10月に親父が亡くなったことことをきっかけに、ぜひ一度伺いたいと、具体的な日程調整なんかが始まっていた。
14日の午後、最初の付き合い初めからだと丸50年、今の実家が建て替える前の家に彼が来た頃からでも恐らく約40年ぶりに、ABちゃんとオフクロは再会した。昔は映画にも出演したことがある美少年だった彼は、いまはおつむも寂しくなって見た目は全然変わってしまったが、それでもオフクロはものすごく懐かしがって、昔話やら、彼の仕事--フリーのCMディレクターなのだけど--のこと、最近作った短編映画のことなど、話に花が咲く。
その英語塾に参加していた女子Kが、実は小学校の同級生のSと結婚していたこととかはぼくも知らなかったし、彼は最近はじめて「北の国から」を一気観したらしいのだが、親父の実弟である倉本聰やその作品の出演者たちの話とか、彼のなかなかうまく行っていない家庭の話とか、もちろん彼の両親やお姉さんの話とか、途中一時隣家に住む兄も参加したりして、とにかく話題は尽きない。
夕方5時半ごろになってすっかり暗くなったので、彼が彼のお母さんに頼まれたと言う、オフクロとの2ショットと、ぼくも入った3ショットの写真を撮り、最後に玄関先でハグして、お互いすごく楽しかったと言ってぼくも一緒に家路についた。いやいや、こういうのは老人の脳を刺激して、ボケ防止には効果あるよねきっと。なによりオフクロが本当に楽しそうでよかったです。
最後に昨日、先月会ったばかりではあるが、今度は「健康」メンバーに、今年は高校時代からの友人"おにぎり"と、急遽ABちゃんを加えて、いつもの祐天寺のカレー屋さん「カーナピーナ」で、14年前(もう14年かぁ)に自裁した友人Sに、「こっちは今だに旨いカレーを食えてるぜ」を見せつける会「でん忌」が行われた。去年は孫に初めて会いに行く寸前で、まだコロナが隆盛を極めていたため、カミさんに止められぼくは参加できなかったのだけど、今年はだいぶマシな状況になって来たのでね。
まぁこっちはいつものようにグダグダと、特筆するほどのネタがあるわけではないのだけど、お互い還暦を迎えて、こういう楽しみを持てていると言うのは、いいことですわな。ABちゃんとオフクロの件も含め、昔話を懐かしんでしているところは、老人趣味で多少忸怩たるものはありますけどね。オフクロに言わせれば、自分からみると60歳なんて、まだあと30年以上も生きられる若僧じゃん、ってことのようですが。
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