さて、2日目は福山から高速に乗り、山陽道から岡山JCTで岡山道に入り、山陽道に比べてガラガラのこの道を快適に走り抜け、岡山山間部の真庭市勝山にやって来た。
何度か書いたが、ここは我が家の本家がある場所で、ぼくから5世代前の明治初期に分かれているので、子供のころから「ウチのルーツは岡山の勝山ってところで」という話は聞いていたが、ぼくはこの地には初めて来たし、本家に面識のある方はいない。でもま、一度は見ておこうかな、ってことでね。
「勝山文化センター」ってとこの駐車場に車を停め、まずは「勝山町並み保存地区」を散策していく。ここはもともとは高田城という城の城下町で、この「文化センター」の場所から、城山--現在は建物は残っていない--のある北方向に500mほど、昔の町並みを保存している。
日本全国にそういう場所はいくつかあるので、取り立てて珍しいことではないが、途中あった自動車整備工場が江戸時代の様式の建物で普通に営業していて、なるほどなぁと感心した。他にも各家が美しい暖簾を掲げているのは特徴的だ。
途中「郷土資料館」とか、ちょっと逸れた場所にある江戸時代の屋敷がそのまま残っている「武家屋敷館」にも行ってみたが、ここもまぁ取り立てて珍しいことはない。地元のおばちゃんと思しき方がそれぞれ1人ずつ、受付で地味~に店番?している。
「文化センター」から中国勝山駅に抜ける和風アーケード街にあった、「如水庵」という国産小麦100%にこだわるおじさんがやっているうどん屋で茶色っぽい「ブレンドうどん」--まぁ味はそれほどだけど歯応えとオーガニック食材への徹底的なこだわりはすごかった--を食べ、車で10分ほどの本家へ向かう。
思いのほか山深いうねうねの道沿いにある本家は、特に呼び鈴とかは押さなかったもののお留守のようだったが、堂々とした佇まいの古い邸宅で、門も立派だし、後ろにちょっとした里山を従えていて、ここの紅葉が美しい。
このためにわざわざ持って行った三脚を立て、門前で自分が入った写真を撮って、さあ帰ろうと車の方へ歩いていく途中、門の前の駐車場に車が1台戻って来た。あれ?もしかして本家のご当主Y氏ご夫妻かな?とは思ったが、突然の訪問でもありご迷惑になるかもなので、まぁいいかとご挨拶は特にせずに車に乗り込んだ。
次に向かったのはこの真庭市の北にある「神庭の滝」という日本百名滝の1つだ。紅葉の名所だと聞いていたが、勝山の「郷土資料館」のおばちゃんに訊いたら、どこかに問い合わせ、もうだいぶ散って来ていると言われたのでそれほど期待してなかったのだけど、いやいやどうして、ここはかなり奇麗でしたな。
滝自体もかなりの落差があって見事だし、昭和30年代に餌付けされたというサルの群れが、滝に向かう歩いて15分ほどの道の上で普通に毛づくろいしてたりして、思いのほか面白かったね。
それから鳥取県の大山の山麓にあるこの日の宿「ロイヤルホテル大山」に向かったのだが、途中寄り道して、展望台に寄ったら、ここから見る大山の威容がこれまた素晴らしい。 天気も良くて、傾いた日差しがギザギザ状の山の頂上部分に当たり、すごい迫力だ。非力な車でがんばって行ってみてよかった。
この「ロイヤルホテル大山」では、HDDレコーダーが使えないかも、というピンチの事件があったり、なんだかんだ言いたいことの多い宿だったのだが、その話はこの旅行記とは別にいずれ書きますね。
3日目は朝は雨模様だった大山山麓を降り、米子市へ出て、ここから山陰道に乗って松江に向かう。国宝松江城を観に行くためだ。
実は庭園美で有名な足立美術館とどっちに行こうか迷った--両方行く時間はなかった--のだが、江戸時代以前から残っている城は全国で12、そのうち5つが国宝で、その1つがこの松江城だからね。まぁ行っとかないと。
とは言えこの城は、国宝に指定されるために結構な努力をしたらしい。かつては国宝だったのがいったん重要文化財になっていたのを、慶長16年に作られたことを証明し、2Fごとの太柱で上部を支える構造の画期的なことが認められて、2015年に再度指定されるという紆余曲折を経ている。
平日の朝10時だというのに、車を停める予定だった大手門側の駐車場がいっぱいで--台数が少なすぎるのよ。車で行く方はご注意を--、停まれる駐車場を探して15分ほどかかってしまい、かつけっこう城から遠い場所だったが、実際に天守に行ってみると、いやいや、これはすごい堂々たる建造物だ。
修学旅行なのか遠足なのか、小学生と高校生くらいの女子の集団でかなり込み合っていたのと、5層の天守の中の展示は暗いしあまりたいしたものはないのだが、城自体はすごいカッコよくて、これは来た価値あったね。
それから宍道湖の北側を走る国道431号を出雲大社に向かったのだが、この道が何カ所かほんとに宍道湖北岸にぴったり沿って設えられており、思いのほかの絶景道路だった。
12時過ぎに出雲大社に着き、先に昼食にしようと思っていたが、店にもよるがけっこう並んでいたので、先にお参りすることにした。ここはね、もうさすがの荘厳さで、本殿のそばまでは寄れないのだが、まず拝殿に行って、普通はそんなことはしない大枚100円のお賽銭を入れて、2礼4拍1礼のここ独特のお参りをした。
それから我が家と息子夫婦、娘夫婦に木札とかお守りを買い、おみくじも引いたが、ここのおみくじは吉だとか凶だとかは書いてないのね。まぁ内容的にはあまりよくはない感じだったけども。それから本殿の周りをぐるっと回って、境内にある宝物殿に行く。この宝物殿は、さすがにそんじょそこらの郷土資料館みたいなところとは一線を画す展示内容だ。
その後行った古代出雲歴史博物館と併せて、ここには2000年から2001年に発掘された3本束ねの太柱が展示されており、これによって、かつて出雲大社本殿は、高さ16丈(約48m)もあった高層巨大建造物だったことが証明された。古事記の記述の対象となるような古代からそんなもの--この太柱は鎌倉時代のものと推定され、最初からそんな高さだったかは定かでないけど--が建っていたとすると、それは神々しい、畏れ多いものだったろう。
神楽殿の前にあったそば屋でそばを食べてから、上記の歴史博物館に行ったのだが、ここにはその高層本殿の模型の他にも、出雲で出土した土器とか、国宝の銅鐸や教科書に載っていた神獣鏡なんかが展示されていて、見応えがある。帰りにショップで、きれいな勾玉のレプリカと、玄関の飾り棚に飾る用の埴輪の小さな模型を買った。
それから、出雲から先は断続的になる山陰道をたどって--8月に行った東北の日本海側もそうだったけど、やっぱ日本海側ってこういう社会インフラの整備とかが後回しにされるんだねぇ--、翌日津和野にいくためにその中間地点である江津という町の駅前のビジネスホテル、「スーパーホテル江津駅前」まで走る。
この江津という町は、駅前の通りは舗道がタイル張りだったりしゃれた外灯が建っていたり、建物も7割くらいはおしゃれなのだけど、とにかく夜7時くらいには全く人通りがなくなって、ゴーストタウンの様相を呈する。夕食を食べに行ったホテルの目の前のレストラン「和飲ダイニングKoganemushi」は、普通においしかったが、7時過ぎという時間帯なのに、終始客はぼく1人だった。日本の田舎町ってみんなこんな感じなのかなぁ。
この「スーパーホテル江津駅前」は、前日の「ロイヤルホテル大山」とは打って変わって、非常に合理的でSDG'sの精神に沿った運営をしていて感心したのだが、その話は上述の通り別途まとめて書きますね。
コメント