4日目はまず、江津のホテルそばのガソリンスタンドで3,000円分のガソリンを入れる。全国旅行支援の扱いで泊ったのでクーポンをもらったのだが、この「しまねっこクーポン」、江津の街中では使える飲食店が全くなくてね。ほぼ唯一使えたこのガソリンスタンドで使うしかなかったってことなんだが、レギュラーが15リットルちょっとしか入らなかった。高いなぁ。
ここからまた、断続的に続く山陰道をたどり、益田からは海を離れて山間の道を通り、津和野に着いた。萩・津和野とセットで言われることの多い観光名所だが、萩は長州(山口県)の殿様が住んでいた街、津和野は島根県の西のはずれで、距離的にはけっこう離れている。
ぼくは北九州市の生まれなので、山口県の観光名所には、もう55年ほど前の話ではあるものの結構行っているのだが、子供心に憶えているのは秋芳洞くらいで、萩には行っているはずなんだけど全然記憶がない。先日3歳年上の兄に、萩には行ったよね?と訊いたら、焼き物工房とかそういうとこしか行ってないから、幼稚園児が憶えていないのも無理はないと。ウチの親父は子供たちをもてなそうなんて気持ちはほとんどなかったからね。その反動で兄やぼくはその逆になったんだと思う。
1,000円以上お土産を買うと駐車場代がタダになると言う土産物屋さんの駐車場に車を停め、最初方向がわからず逆に歩いたりしてしまったが、やがて把握して、城下町風情が残る「殿町通り」を歩いて行く。道の端には掘割があり、大きな鯉がいっぱい泳いでいる。この道沿いにあるカトリック教会や、大正8年に建てられいまだに現役で使われている津和野町役場などを眺めて、津和野大橋を渡り、「津和野町郷土館」に入る。
ここもまた大正10年に建てられたと言う古い建物で、展示内容はまぁ大したことはないが、歴代の津和野の殿様のこと--大坂夏の陣で千姫を救出したとされる坂崎直盛が、その救出にまつわるゴタゴタで改易されるまで数年だけだけど、ここの殿様だったんだね--だとか、明治初期に長崎浦上村の隠れキリシタンたちが捕縛されてその一部153名がこの津和野に預けられ、欧米各国の厳しい申し入れに明治政府がキリスト教禁教を撤回するまでの6年間、過酷な拷問などを受けた歴史などがよくわかる。
それからまた橋を渡って、「弥栄神社」にお参りしてその向かいにある「三松食堂」で昼食にする。ここは「黒いなり」が名物で、おいなりさんがおはぎのように黒い。程よい甘さにちょっとえぐ味のある、癖になりそうな味だ。ぼくはそばとのセットを食べたが、その間何人もこの「黒いなり」をテイクアウトで買いに来るお客さんがいた。
昼食の後「三松食堂」のすぐ横の朱色の鳥居が何百本と並んだ坂道を登り、「太鼓谷稲荷神社」にお参りする。ここから少し坂を下ると、津和野城跡に登れるリフトが出ている。その山頂駅から10分ほど歩くと、津和野城跡に着く。建物は残っていないが、立派な石垣と、紅葉(冒頭の写真ね)が見事だ。そして本丸跡の広場から見下ろす津和野の街の景色が素晴らしい。ここまでの登りでけっこう汗をかいたが、この景色を眺めながら一服すると、涼しい風で気持ちよく汗が引いていく。
それから元来た道を戻り、山口線の線路を渡って、「永明寺(ようめいじ)」に行く。紅葉の名所だと言うことだったが、この頃には少し陽が傾いてしまって、あまりきれいな様子は観られなかった。ここには津和野出身の森鴎外のお墓があり、簡単にお参りする。それから線路際に戻って津和野駅の方へ進み、美しい流れに沿った細い坂道を登って「乙女峠マリア聖堂」へ。ここは厳しい拷問を受け36人が殉教したキリシタンたちに捧げて建てられた記念堂だ。ご自由にお入りくださいとのことだったので、小さな聖堂の中に入ってしばらく手を合わせる。
駐車場に戻り、土産物屋さんで和紙で美しい模様を施した小さな木皿--コースターによさげ--と、わさびの醤油漬けを買う。いやいや、古くて渋い観光地だけど、随所で紅葉が真っ盛りのこの時期にここに来られてよかったな。超スペクタクルとか強烈なインパクトがあるわけではないけど、こういう静かに沁みるような感動も、ぼくは好きです。
津和野を後にし、峠道を通って、この日の宿、島根の一番南西の端、吉賀(よしか)町というところにある、「むいかいち温泉ゆ・ら・ら」に向かう。ここは吉賀町立(たぶん)の公共の温泉施設で、そこに10部屋ほどの宿泊施設も併設しているのだが、メシは旅館飯風でイマイチだけども、設備はきれいだしちゃんとしている。
チェックインして部屋に着いたらいきなり電話が鳴ったので何かと思ったら、女性職員が「全国旅行支援を適用しませんか?」と言ってきた。ここはじゃらん経由で取ったのだが、じゃらんでは旅行支援の対象外と言う表示だったのが、直接予約なら適用できますよ、と。なんだそうなのか。公共の宿だから対象外なのかと思っていたら、単にじゃらんの旅行支援予算が不足していたってことなのね。じゃらんで2,000ポイントほど使って予約したのだけど、あれって値引き分は宿の負担になる(はず。リクルート在職時の知識では)ので、宿としてはそうしてもらった方が助かるということなのだろう。
こちらとしてもそれで5,000円引きになるなら助かるし、クーポンももらえるので、ぜひそうしてくださいと。ぼくの方でじゃらんの予約をキャンセルしちゃうとキャンセル料が発生するので、宿の方でその手配はしてくれると言う。ありがたい申し出だ。
ただ、それでもらった前日と同じ「しまねっこクーポン」、これまた使える店が少ないのよね。吉賀町内には5,6件ほどしかなく、ガソリンスタンドはないと言う。翌日はすぐに山口県に抜けてしまう予定だし、しょうがないので「サンマート」というスーパーを教えてもらって車を出し、その日飲むビールとか、ご当地ウィスキー--荷物になるけどしかたない--とかを買って、3,000円分を使い切った。
最終日、起きて窓を開けると、外はものすごい霧だ。この日の朝はかなり気温が下がった--街頭の気温表示は5度だった--からのようだ。その中を、中国道をくぐって、国道187号線を岩国までひた走る。
すぐに霧も晴れ、岩国に着いた頃にはほぼピーカンの好天となった。そう言えば今回の旅は天気に恵まれたなぁ。降ったのは3日目の早朝だけで、あとはほとんど晴れていた。近ごろの旅の荒天は、ぼくが雨男なんじゃなくてカミさんが雨女だったってことか?ってカミさんに言ったら、こっちだってずっと天気よかったわよ、とかワケわかんないこと言ってたけど。
岩国でまず向かったのは、「紅葉谷公園」という紅葉の名所だ。例年だとこの時期、ピークにはまだ少し早いらしいが、観た限り、もうややピーク過ぎくらいの感じで、木によっては葉が萎れてきてしまっている。でも今が真っ盛りの木もあって、陽の当たり具合が場所によっては今一つだったけど、かなりきれいな写真も撮れた。
それから、毛利家の分家吉川(きっかわ)家の氏神社であった吉香(きっこう)神社の移転後跡地に整備された桜の名所「吉香公園」を通って、有名な「錦帯橋」に行く。 関ヶ原で家康に内通し毛利家を存続させたが逆に毛利本家からは疎まれた吉川広家、その孫である吉川広嘉によって建造されたこの橋は、5連のアーチ構造で、釘を使わず木組みだけで作られており、以後何度か洪水で流されたが、その都度修復されて現在に至ると言う。
橋を渡るのに310円かかるが、渡るのもさることながら、渡った先の南東側から逆光にならずに橋が眺められることや、河原に降りられるので橋の裏側の複雑な組木をじっくり観察したりできるのがよい。江戸期には20年ごとに部分的に橋の架け替えが行われたが、これは大工技術の継承の意味合いが大きかったと推測されている、とWikipedeaには書かれている。
この「錦帯橋」で思いの外時間を食って、その後時間がちょっと中途半端になってしまったのだが、宮島に渡るほどの時間はないし、厳島神社の有名な大鳥居の塗り替えが終わったばかりだとは聞いていたが、この日の朝のZIPで水卜ちゃんが現地から生中継をやっていて、今は大鳥居に行く金属製の足場が残った状態になっているというので、近づけはするが美しくはない。
しかも宮島にも、広島市内の平和公園や原爆ドームにも、前の会社を辞めた15年前にカミさんと行っており、また行くほどのこともないかと、岩国から山陽道に乗って広島市内に入り、少し広島市内をぐるぐる車で走って、ああ、原爆ドームって、マツダスタジアムってこういう位置にあるのね、広島のいわゆる繁華街って、紙屋町から銀山町ってあたりなのねとかってのを見て回ったりした。路面電車が頻繁に行き交う道路を走るのは久しぶりだ。
それから広島市内のスタンドでガソリンを満タンに入れ、市内から50km近くある広島空港に向かう。あらかじめレンタカー屋にいくつかのスタンドを指定され、ここで満タンにしないと満タン返しと認めないと言われたので、途中指定されたSAで、市内よりはるかに高いガソリンを、さらに3リッターほど入れる。
予定より少し早く、16時40分ごろに日産レンタカー広島空港店に戻ったら、特にスタンドのレシートチェックとかはせず、750kmも走ってますよ、東京まで行けますね、と言われた。それから広島空港まで送ってもらって、JAL264便に乗って19時40分ごろに羽田に着き、空港内の「ライオン」でハンバーグを食べて帰って来た。
いやいや、秋の最も美しい時期の平日に、こんな命の洗濯ができるなんて、幸せですわ~。そんなしょっちゅうは行けないけど、今週末にはもう61歳になっちゃうからね。体が動くうちに、車の運転ができるうちに、もっとたくさん旅に行っとこうと心に誓いました。
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