これ、書くかどうかずっと迷ってたんですけど、というのは、そもそも全然弾けるようにならなかったら恥ずかしいし--まぁそのことをブログに書かなきゃいいんだけど、でもバンド仲間には知れちゃうしなぁ--、その前に3日坊主で終わっちゃったらめっちゃみっともないじゃん?
なので実際に練習しているところを見ている家族の他、年賀状で「健康」のベースみの教授に決意表明した以外は誰にも言ってなかったんですけど、年明けから始めて一応3ヶ月ほどは続いているので、そろそろ告っちまおうかな、ってことでね。
てことで、以前からやろうと思っていたリタイア後のチャレンジのひとつとして、最近ギターを練習してます。
過去書かなかったかもしれないけど、ぼくは3歳でオルガンを始めて、小学校に上がってからはエレクトーンに変わり、それから、まぁ時々イヤになりながらも、中2まではずっと毎週レッスンに通っていて、5級のテストに落ちた時に辞めたのかな?エレクトーンやってるとドラムやりたくなるんですよ。もちろんそうじゃない人も多いとは思うけど。
でもその基礎が一通りはあるので、たとえば楽譜の読み書きはできるし、コード理論の基本的なことは教わっているし、一度聴いた曲はだいたい、左手でラフにコードを抑えながら右手でメロディーを弾くくらいのことはできる。もっともキーがシャープやフラットだらけだったりすると無理なので、C/Amか、せいぜいG/Em、F/Dmに転調してしか弾けないんだけどね。
「健康」のマキゾエのようにちゃんとした絶対音感があるわけではなく、ポン、と鳴った音を、それはB♭だとかF#だとか即座に言うことはできないけど、聴いた曲を口で歌う時は原キーと同じキーで歌えるし、よく考えれば、あーこの曲のキーはA♭なのね、とかは楽器がなくてもわかる。松田聖子やユーミンが、年齢を重ねて高音が出なくなり、原キーから下げて歌っていると、あれ?気持ち悪いな、と感じる。ちなみに齢70になっても一切キーを下げない山下達郎は、やっぱすごいなぁと思う。
しかし、息子はまだしも娘は全然続かなかった自分の子供たちのことを思うと、そんな半分やる気のないぼくに楽器をやらせ、練習させ、あまつさえ小学校に入った時は、今は掛川市に吸収されちゃったけど当時は静岡県小笠郡大浜町という名前の御前崎のそばのど田舎の町に住んでおり、そこから、後に掛川市中心部--それとて車で30分以上はかかった--に変わったものの、初期は浜松市内の音楽教室まで、国道150号を多分片道40kmくらい、毎週車で連れて行ってくれたお袋には、ホントに感謝しなくちゃならないと思う。
てことでぼくの基本はキーボード、そしてドラムなんだけども、さらに言えば中学校の時ブラバンでトロンボーンやユーフォニウムを吹いていたので、金管楽器のこともまぁまぁわかるし、多くの金管楽器が「B♭管」ってやつ--「ド」が実はB♭--で、譜面を読む時もB♭を「ド」って読んじゃう不思議な文化なんだということも知ってるんだけども、弦楽器というのはほとんど経験がなかった。
中学から高校くらいの時に、実家からチャリで中古レコードをあさりに毎週末のように行っていた神保町近辺の中古楽器屋で、確か5千円か7千円くらいのフォークギターを買い、CとかFとかGとかの、ほとんど3フレットくらいまでしか使わない基本的なコードの押さえ方とかは憶えたものの、そのギターがネックが反っていたのか、上の方のフレットになるとめちゃめちゃ押さえにくかったこともあり、すぐに弾かなくなってしまった。
その後、いつごろか定かでなくてたぶん娘が生まれた前後だと思うのだけど、またギターにチャレンジしようとして、FERNANDESのZO-3という、ネックを象の鼻に模した初心者向けアンプ内蔵ギター--今でも売ってるんだねこれ--の赤いのを買い、「ブルースギターコードブック」と「リードギターハンドブック」という、どちらもA5版の薄い教則本も買ったのだけど、最初の方で挫折。
それから娘が高校に入ったくらいの頃か、ギターを練習したいと言うので、このZO-3を娘に貸してやり、娘向けに別途コードを一から学べるような教則本も買ってやったのだが、奴もぼくの遺伝かあっという間に挫折し、形から入った証拠のMickyのピックだけを残して、その後ZO-3は長年娘の部屋でケースに入ったまま埃を被っていた。
今回これをたぶん15年ぶりくらいに引っ張り出して弾いてみたが、驚いたことにギター本体はほとんど痛んだ様子もなくきれいだし、006P電池も死んでおらず、だがさすがにヘタって小音量でも思い切りディストーションを掛けたような音ではあったが、音が出た。この電池とサビサビの弦を交換し弾いてみたら、全然普通に使えるじゃないですか!
というわけで、3が日明け頃から今日まで、茨城に行っていた日も含めて、できない日もあったけどほとんどの日は、30分くらいはギターの練習をしている。2月にほぼ1ヶ月茨城にいた時は、最初は孫が昼寝している時を狙って練習していたが、孫もピックを持って音を出す--むろんまだ上手にはできないが--のが楽しいようだったので、ボリュームノブとかペグを回しちゃったりするのは困りものだったが、後半は起きていても練習するようになった。カミさんにはこんな荷物になるものわざわざ持ってきて、と言われたが。
練習はコードを憶えるのとリードギターの基本を教則本に従って練習して行くのが主だが、コードの方は主なパターンは大体わかったので、あとは瞬間的に押さえる、もしくは全部弾かずに手を抜く訓練をしていくことだ。リードの方はまだまだ全体の2割強までしか進んでいないのでこれから地道に進めていくしかない。
まぁしかしやってみてよくわかったけど、なんつーかとてもアナログな、というか、チョーキングだのなんだの、もちろんキーボードにもピッチベンダーは着いているけれども、音をはずすことでカッコよくなったり、あるいは弾かない弦を増やして押さえやすくするとか、そういう自由な要素が、非常に高い楽器だよね。多くのギター弾きの性格が、よく言えば自由な発想で他を引っ張っていく、悪く言えば身勝手で気ままなことが多いというのが、なるほどなぁ、と納得できる感じ。
そもそもなんでギターをある程度できるようになりたかったかというと、曲作りの時に打ち込みで表現することが最も難しいのがギターのカッティングで、というのは音の強弱やミュートのかけ方なんかを刻々と変化させないと、なんかいかにも機械が弾きましたみたいになっちゃう、つまりアナログ要素が極めて高いプレイだからなんだろうけど、これはもう弾いて入れないと、デモや制作曲をカッコよくするのが難しいんだとわかった、という理由が一番大きい。
だからカッティングをもっと練習して極めていくべきで、リードギターを練習する必要はないのだけどね。とは言え曲を作るにあたって、とくに「健康」はいかにブーランに難しいことをさせないかを意識する必要があり、そうなると何がギターでやりにくいのか、難しいのかを理解しておかなきゃいけないってのも多少ある。
あとKinki Kidsの堂本剛が、「LoveLoveあいしてる」の初期、一から吉田拓郎にギターを学び始めたのが、今はソロ活動「Endrecheri」でめちゃカッコいいファンクギターソロを弾いていて、あのくらいは俺にだってできるはずだという根拠のない対抗意識もあったりして。まぁまだまだ道のりは遠いですが。
てことでついに書いちゃったギターへの再々(?)チャレンジのお話でした。
さて、冬だったのと孫シッターとかがあってなかなか行けなかった一人旅第2弾は、来週の日曜からGW直前の金曜までの日程で敢行することにした。今度はマキゾエの地元名古屋とその近辺の城なんかを中心に回ってくるプランで、ちょっと距離はあるが愛車アクセラで家から運転して行く予定。長距離ドライブなんてどんどんできなくなっていくからね。今回が最後のチャレンジかもね。
なのでギターは持って行こうと思えば持って行けるのだが、さすがにそこまでする練習の虫にはなりきれていないかな。訓練が身に着くのに時間がかかるようにもなってますが、まだまだ人生長い(はず)ですから。
というわけで多分来週の土曜はこのブログはサボって、次は中部地方からお届けすることになるかと思います。
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