前回書いた通り、この日の夕方から翌日は雨が降るだろうと予想されていたので、もともとは翌日の午前中に行く予定にしていた、宿の近くの峰の原高原での森歩きに、前倒しで行くことにした。
ネット上にはとても情報が少なかったのだが、この付近で唯一希薄な情報があったハイキングコースに入って、「緋の滝」という滝を観に行く。滝を観に行くコースって、8月に蓼科高原に行った時もそうだが、先に思い切り坂を下り、滝を観てから超急坂を登ることになるのが辛い。しかも蓼科の「御泉水自然園」よりも多分、ここの方が高低差がありきつい。
ここの森は最初の方は針葉樹中心だったが、ヒノキが多いらしくいい香りがする。途中からカバノキなどの広葉樹の森になり、この時点でかなりどんよりとした曇り空だったが、これは晴れていればきれいな葉の裏写真がいっぱい撮れたろうに、そこは惜しかったな。この森にはクマが住んでいるらしく、途中分かれ道などのポイントごとに金属パイプがぶら下げてあり、これをハンマーや木の棒で叩いて音を出すようになっていて、これがあるごとにカンカン叩いてクマさんたちに知らせた。
あとで宿のオーナーに、「あそこはきついから行かない方がいい、って言っとけばよかったですね」と言われたが、とにかく汗だくになって、途中屋久島のように苔むした石の転がる場所を渡り、半分道なき道のようになっている場所も木に巻いたピンクのテープの目印を頼りに踏破し、「緋の滝」と「第2緋の滝」を回って、2時間ほどで戻って来た。1つ目の方の滝は、豪快さはないがかなり高低差があり、折れ曲がっていて風情がある(冒頭の写真ね)。
それから車で菅平の中心部に戻り、「菅平湿原」を観に行く。ここは1km強の木道が設えてあるのだが、かなり木や丈の高い草が生えていて地面も湿っている様子があまりなく、湿原と言うより森に近い感じだったな。オーナーが「行くとショボくてがっかりしますよ」と言っていたが、まぁ確かにね。湿原らしい風情はあまりなかった。
木道の途中途中に、ここに生えている植物などに関するクイズが書かれた小さな看板が立っているのだが、その答えはこの湿原の手前にある、10月以降冬季はお休みの「菅平高原自然館」の中にあるらしく、解答がわからない不全感に、例えば「この湿原にはところどころ枯れた木や草がありますが、それはなぜでしょう?」というのがあると、「ビッグモーターの人が除草剤を撒いたから」とかテキトーなことを言いながら歩いた。
車のところまで戻ってきたらぽつぽつと雨が降り始め、この時点で16時ごろになっていたので、ちょうどよかったと宿に戻る。体が冷えていたので、風呂を熱めに炊いておいてくれて助かった。この日も夕食の後、オーナーはもう1組の常連のご夫婦客にドラムを聴かせていたが、ぼくらは部屋に引き上げてラグビーのアルゼンチン戦を観た。いやしかし、惜しい試合だったねぇ。カミさんと大盛り上がりで応援したんだけどねぇ。
3日目は予報通り、それほど強くはないが朝から雨。前の日に予定を前倒ししてこなした分、少し時間に余裕があったので、10時近くに宿を出て、まず菅平の訪問予定では唯一残っていたスポット、「唐沢の滝」に行く。ここも情報が少なく、Street Viewで調べて道路が少し膨らんで車2台ほど停められる場所があるのを確認できていたので、そこに合わせてセットしたGoogle Mapのナビどおりに車を停める。
そこから既に滝は見えていたが、100mほど歩いて近づいてみると、これは高低差はそれほどないが幅と水量がすごくて、かなり豪快な滝だ。しばらくこれを眺めてから車に戻り、上田市と合併して吸収された旧真田町まで移動する。
ここには2016年に小諸の懐古園に日帰りで紅葉狩りに来た時に、当時やっていた大河ドラマ「真田丸」の流行に乗って帰り際に寄っているのだが、その時は時間もない上に紅葉狩りメインだったこともあり、角間渓谷という所にだけ行って、真田氏の歴史館とか館跡とかには行ってなかったこともあってね。
真田氏は過去大河ドラマの主役として、85年、2016年の2回取り上げられている、そんな人や氏族は源義経、織田信長、坂本龍馬と新撰組くらいしかないことからも、世間の人気が高いことは自明だが、真田氏の場合英雄ということではなく、常に小さく弱い立場の中で、時の強者と駆け引きして局地戦ではいつも勝っていたという、判官びいきの要素が強いのが珍しいと思う。
この旧真田町も、立っている幟はみんな真田氏の家紋である六文銭が描かれているし、いろんな史跡や公園なんかが保存されていて、町ぐるみで推している、というか大事にしているのがわかる。その中でまず向かったのは、屋内ということもあり、「真田氏歴史館」だ。
ここは30畳ほどの大部屋に真田氏の歴史がわかるような解説や書簡類、鎧兜などが展示されているのだが、ぼくは『真田太平記』も読んでいるし、ある程度日本史マニアの部類に踏み込んでいる方なので、戦国時代の真田氏3代の事績は大体知っており、ここでは日本史にほぼ興味がないカミさんに、その辺の話をいろいろレクチャーする立場になる。
それから隣にある「お屋敷公園」とその中の真田氏居館跡を観る。館自体は残っていないが、建物としては真田氏が上田城に移った後に勧請したと言われる「皇大神社」が残っており、ここに参拝する。つつじの名所らしいのだが、傘をさして灌木の間を抜けて歩き回っていたら、ジーパンの裾に植物の種子--引っ付き虫--がいっぱい付いてしまった。
近くのそば屋でそば・うどんを食べ--このそば・うどんも、上にお揚げを乗せその上に丸いお麩のようなものを6つ乗せて六文銭を形どっている--、まだ雨は上がり切っていなかったが、車で少し戻ってちょっとした山を登り、「真田氏本城跡」に行く。
ここは実際に上田城に行く前の真田氏の城があったかどうかは定かではないのだが、一の廓から4段ほど、尾根の形を利用して作られた城跡はそこそこ規模が大きく、有力な豪族の城があったのだろうという所から、そのように推定されているという。ここに行った時は雲が大分下がってきていて、半分霧に覆われたような状態だったが、やがて雲が切れて下の街がきれいに眺められた。
そして最後に、なぜかこの旅は後半滝三昧になってしまったが、千曲川の支流洗馬川に巨大な岩が横たわり、この両側を2本に分かれて流れ落ちる「千古の滝」を観に行く。ここも高低差は大したことはないが、岩に分けられた水流が落ちる様はなかなか豪快だ。ここは昔すぐ脇に鉱泉が湧き浴場があったそうで、これを暖めるために大正時代に作られたという発電所のコンクリートが、崩れ落ちるままに廃墟として残っている。
それから、2016年に来た時にも行った「ふれあいさなだ館」という温泉施設に行って、変わらず500円と安い--この近辺の温泉はどこも500円で安いのよね--入浴料を払って暖まり、16時ごろにここを後にして、花園から川越辺りまで少し渋滞したが、19時前には新座駅近くの「王将」に着き餃子を食べて、家に帰って来た。
帰ってきたらこっちもすっかり秋の気温になってて驚いたが、今回は長くて暑い夏を忘れさせてくれる旅になりました。
コメント