昨日14日は娘の結婚式と披露宴があった。前にも書いた通り、入籍自体は3年前に既にしているのだが、コロナもあって行えておらず、娘本人はもういいよやらなくて、と言っていたのだが、親族からご祝儀を渡す機会はないの?と言われたこともあり、カミさんがやっといた方がいいと説得し、重い腰を上げさせた、という経緯でね。
なので当初は親族だけを呼ぶ予定だったのだが、ここ数ヶ月ほどいろいろと検討してきた--やるとなったら結構細かくきちっとやるのはぼくの遺伝でね--中で、やっぱり友達も少し呼びたいと言うことになって、今日は結局40人ほどを集めての実施となった。
カミさんは着付けのために早朝から先に出かけたが、ぼくは交渉の結果11時ごろ電車で披露宴会場である溜池の「響 風庭」というダイニングバーに着いて、貸衣装屋さんが置いといてくれたモーニングに着替える。ここで着付けをするカミさんのオフクロさん、義弟の嫁と姪っ子をはじめ、カミさん側の親兄弟たちはいったんこちらに全員集まっている。
この「響」のあるビルは、2Fの「響」以外は高級マンションになっているらしく、桜坂がある側にはロータリーがあるのだが、そちらからはオートロックになっていては入れず、アメリカ大使館側から外階段を上がって入るようになっている。だからなのか、ビルの周りは庭園になっていて、池や小川を疎林が囲み、細い散歩道がついている。
しばらくしたらその疎林の入口まで両親4人が呼び出され、本人たちのたっての希望の事前お披露目ということで、後ろを向かされてはいどうぞ、と言われ振り返ると、クリーム色と茶色の紋付き袴のダンナ君と、上は白、裾に向けて水色の地に、赤や朱色や金の花々をあしらった打掛姿の娘が並んでいた。その柄は衣装打合せの時見せてもらって知ってはいたが、うん、綺麗だね。よく似合ってる。
それからタクシーで赤坂氷川神社に向かう。社殿までの参道で写真撮影なんかをしてから控室のある参集所に行くと、車椅子のウチのオフクロや兄一家、去年ドイツで結婚した方の姪っ子--実家近くで着付けしてもらったという着物姿だった--とドイツ人のダンナ君、孫たちを含め息子一家が既に来ていた。
オフクロは兄夫妻がタクシーで迎えに行って連れてきてくれたが、オフクロが入っている老健施設では、オフクロが体調が不安だからどうしようと式への参加を迷っていた時に、看護師さんからそれはぜひ行って来なさいよ、薬の調整はするから、と勧められた経緯もあって、今日のことはなんだか施設挙げての一大イベントみたいになっており、毎週ぼくが行くたびに、いろいろ訊かれたり、こうしますからと念を押してくれたり、大変な騒ぎになっていた。結局昨日は1日、体調はよさそうでよかった。
それから隣の広間のようなところへ移って親族紹介。ダンナ君の方はご両親とお姉さん夫妻の4人だけで、こっちは19人(かな?)もおり、圧迫面接みたいになってしまった。19人の名前を全部言うのもボケてきた頭にはなかなか難儀だったが、なんとかこなして、社殿に移動する。
全員席に着くと、本人たちは楼門の向こうから朱傘をさしかけてもらってしずしずとやって来る。笛と篳篥(ひちりき)の雅楽が鳴り、祝詞の奏上や三献の儀、誓詞の奉読、指輪の交換、玉串奉奠などが粛々と行われていく。我々の時も一応神前式だったけど、こういうちゃんとした神社でやる結婚式っていうのもとても趣深いものですな。
式が終わって社殿の前で写真撮影があり、タクシーでまた「響」に戻る。しかし昨日は天気がよくて本当によかった。一番奥の披露宴会場は最初カーテンが下りていたが、これを一気に開くと外の庭の風景の中から本人たちが登場すると言う演出で披露宴が始まる。
乾杯の音頭はなんと娘夫婦もかわいがっている孫1号が取る。この日に向けて練習はしてきたとのことだったが、息子に伴われてひな壇の横でマイクを向けられ、緊張したのかほんの小さな声で「カンパイ」と言う。
孫1号は朝から鼻水が出たうえ、口内炎が痛くてあまり機嫌がよくなく、ポテトやハンバーグの箱入りお子様ランチもほとんど食べなかったが、イチゴで達磨の絵を描いたウェディングケーキを見たり、外のウッドデッキに出ての座席ごとや親族ごとの写真撮影でちょこちょこ走り回ったりしていると元気が出てきて、ぼくとカミさんが挨拶がてら手を引いて各テーブルを回っていったら、姪っ子の式の時同様にお姉さんたちに愛想を振りまいていた。
ちなみに孫1号は、昨日何が楽しかった?って息子が訊いたら「じぃじとばぁばとお散歩」と言っているそうで、それはとっても嬉しい限り!
そのウェディングケーキは、まず娘夫婦が互いに食べさせ--ダンナ君には巨大な塊を口に押し込んでいた--、次にそれぞれの母親、それから4月が誕生日と言う参加者が呼ばれて、カミさんのオフクロさんである義母や孫2号--はケーキは食べられないが--に本人たちがケーキを食べさせ、さらに姪っ子夫妻のドイツ人のダンナ君が4月生まれだと言うので、姪っ子がケーキを食べさせていた。
ぼくはこの日はさすがに泣いちゃうかなと恐れていたが、最初の本人たちの紹介ビデオなんかはなんともなかったものの、途中ダンナ君からのサプライズで、娘への感謝を伝えるビデオが流され、ぼくらも含めた両親や兄弟、親しい友達などにあらかじめそっと渡されたバラとひまわりを集めて花束にし娘に渡したときには、娘は泣いており、ぼくもかなりヤバかった。
誰かが前に出てのスピーチとか余興のようなものはなく、全体的に本人たちがお互いや来てくれた人やいろんな人に感謝の気持ちを伝えたいという演出が、企画には参加していないものの手前味噌になってしまうが、なかなかよい披露宴だった。終わった後に今回の式を取り仕切ったウエディングプランナーの方からご挨拶を受けたが、彼も今回の2人の気持ちや思いには大変に感銘を受けたと言う趣旨のことを言っていた。
披露宴の最後はぼくら両親2組が会場入口のところに並び、それぞれの両親に感謝の気持ちを言ってくれるのだが、娘が読んだ手紙の、「そんな("心配性で過保護な"カミさんに対して)反抗的な私の味方をいつもしてくれていたお父さん。直接言葉では言わないけど、そっと味方でいてくれて嬉しかったよ」という一節には、ホントにヤバかったがなんとか涙は堪えた。
ダンナ君の両親の方はもうオイオイ泣いていたな。お母様が泣くことは普段ないそうで、ダンナ君は式をやってよかったと言っていた。娘の手紙は、もらってきて手元にあるけど、これは過去いくつかあった思い出と同様、この先読むたびに涙がこみあげてくることになるだろう。記念写真とかがたくさん並べてあるリビングの出窓に飾っておくことにして、さっきフォトフレームを発注した。
そして最後にそれぞれの両親に、彼らが生まれた時の体重と同じに作ったクマのぬいぐるみをプレゼントしてくれて、披露宴はお開きになった。息子の結婚式の時にも同様のクマをもらったが、家に持って帰ってきて並べてみると、重さは息子のの方が重いのに、娘のの方が少しおデブだった。
入籍はもう3年も前にしてることだし、それから普通に、娘夫婦として接してきており、去年は一緒にドイツまで旅行したりしているので、昨日の式でいまさら何が変わるわけでもないのだけど、今はなんとなく気が抜けたような感覚があるのは不思議だなぁ。
来週はそんな気分を吹き飛ばすべく月曜から兵庫一人旅に行く予定なので、次回のこのブログは旅先で書けたらで、火曜か水曜日ごろになる予定です。
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