結局旅行中はこのブログ、書けなかったねぇ。けっこう毎日夜遅くまで外にいて、朝も早かったのでね。いやぁとにかくドイツってとこは、大変に住みやすそうで、美しいところでした。てことで何から書こうかってことなんですが、いつも通り基本時系列で書いて行きますかね。
もともと去年の暮あたりから、姪っ子が、もう2年ほど前にアメリカの大学で知り合ったドイツ人のダンナ君と結婚はしていたのだけど、コロナの影響で式的なものができていなかったのを、今年の夏ごろにドイツでやると、年明けには招待メールも送ってきていて、まぁこういう機会でもないとドイツになんて一生行くことはないだろうから、行こうかってことでエントリーはしていた。
4月ごろになって、例によってこの手のことを自分でやるのが苦手なカミさんが、娘に「お父さんが何もしてくれない~」と訴え始めたので、具体的な計画を立てた。行きたい場所を挙げてもらい、どれも名高い観光地ばかりだったので、それらにはドイツ語はもとより英語もかなり怪しい我々のこと、6年前にタイに行った時もお世話になったVeltraというサイトで調べて、日本語のガイドのつくツアーで行くことにし、Expediaで航空券とホテルを予約する。
お盆休みピークということもあり、日本人相手のツアーは大忙しで、13日にかかると取れないことがわかり、何度か予定を組みかえて、そのたびにホテルの予約をキャンセルして取り直したり、結構大変だったんだけどね。しかもそれを一人旅に行った先の信楽の車の中の、脆弱な通信環境でやったりして。
後で聞いてわかったが、フランクフルトの現地でこの手の日本語ツアーを受けているのは、ぼくらのガイドをしてくれたYさんというおばさん--ドイツ人と結婚した日本人で、もう30年くらいこっちに住んでるそうだ--の会社しかないらしく、ウチは車2台しかないですからね、と言っていた。
当初その時期の航空運賃が高すぎ、腰が引けていた娘も、カタール航空とか中華航空だったらそこそこ安く行けることがわかり、夫婦で参加することになった。まぁ結局彼らの旅行費用は出してやっちゃったんだけどね。いつまで経っても娘には甘いバカ親で。だけど中華航空が残り4席でギリギリ取れてよかった。
10日の14時ごろ、トランクが4つ積める娘夫婦の車で出かけ、これもギリギリで取った成田空港の近くの駐車場に停めて、空港で姪っ子のダンナ君の家族へのちょっとした土産を買ったりしてから、18:20の台北行に乗る。台北のトランジットで予定よりも1時間ほど長く待たされたが、台北までは3時間ほど、台北からフランクフルトへは14時間ほどの空の旅。ヨーロッパに行くのは新婚旅行の時以来だから36年ぶりだが、やっぱ遠いし、エコノミーではほとんど寝られない。ロシアの上空を飛べないことはわかっていたが、けっこうカスピ海とか黒海とか、紛争地帯ギリギリの上を飛ぶのね。
予定より遅れ、現地時間の11日朝8時半ごろにフランクフルトの空港でガイドのYさんに会えたが、もともと予定より少し遅れていたのが、ここでいきなり、Yさんが空港の駐車場の出口のゲートバーに、車をバックさせたときにぶつけて壊してしまい、これで1時間近く足止めされる。お詫びに最後、姪っ子のダンナ君の実家の庭での前夜パーティーに行くのに、そこまで車で送ってもらったのでいいんですけどね。
この日フランクフルトはめちゃくちゃいい天気だったが、空港の建物を出た瞬間感じたのは「涼しい!」。Yさんに言わせると年に何日あるかくらいの一番暑い日だとのことだったが、気温にすると25,6度くらいかな?真昼でも最高28度~行っても30度ほどだそうだ。日差しはかなり強く、肌が灼ける感じはあるものの、湿度が低いのでとても爽やか。さすが樺太と同じくらいの緯度。それでも海流の温度が高いので、冬でも0度を切ることはほとんどないらしい。これは過ごしやすい!
ついでに言うと、ドイツは屋内はほぼ禁煙で喫煙室なんてものもないが、ユーロ圏では珍しくスモーカーに優しいようで、屋外はどこでもタバコが吸え、ゴミ箱と一体化した灰皿があちこちに設置されている。これはスモーカーにはありがたい。そういう意味でもぼくには過ごしやすい。
ドイツのアウトバーンってのは、噂には聞いていたが、速度無制限の区間ってのはそれほど多いわけではなく、けっこう80kmとか100kmとかの標識が立っている。でも無制限区間では、追い越し車線をすごいスピードでかっ飛ばしていく車がある。ただ直前に事故っちゃったので、Yさんは今日は少し自重すると言っていた。この日は日帰り、14日からはロマンチック街道を行く泊りがけのツアーで、たまたま同じYさんが同じ車でガイドをしてくれたが、泊りがけの方はドライバーとしてドイツ人の旦那さんを連れてきていて、その旦那さんは150kmくらいを普通に出していた。
アウトバーン網はめちゃめちゃ充実していて、料金所なんて余計なもん--但し大型トラックは有料らしい。特殊なバーコードをスキャンして、後で請求書が送られてくるんだそうで--や入口出口の過剰な設備はないし、なんか普通の道路なのかアウトバーンなのかほとんど区別がつかない。さすが自動車産業トップの国、車で長距離移動することについては、渋滞がほとんどなかったことも含めて、極めてスムーズだ。
そのY女史が運転するメルセデスの8人乗りのバンに乗り、まず最初に行ったのはライン川沿いの町リューデスハイムだ。ここでワイナリーを見学したり、有名な観光スポットである「つぐみ横丁」を見たりしたが、もうその歴史ある美しい、かわいい街並みにやられた、って感じ。基本、観光名所だけをつまみ食いしたからかもしれないが、ドイツはどこに行ってもこの街並みや建物の佇まいが素晴らしかった。
ライン川沿いを車で走って行くと、ワインの名所だけに、背後の山というか丘は一面のブドウ畑で、川の両岸のそこここに古い城が建っている。途中ライン川を簡易フェリーに乗って渡り、対岸のバッハラッハという街--ここの街並みもホントにきれい--に寄ったり、船が多く座礁したことで有名なローレライの崖を見たり、ラインフェルス城という城からライン川の絶景を見たりしながら、またアウトバーンに乗ってケルンに向かう。
ケルンはドイツ第4の都市で、人口はフランクフルトより多いそうだが、ここで有名なのはなんと言っても大聖堂だ。実際に聖堂前の広場に行くと、その大きさ、偉容には圧倒される。2本の尖塔の高さは157mあり、これはサグラダファミリアの、現在建築が終わっているどの塔よりも高いそうだ。但しサグラダファミリアの建築計画で最も高い塔が建つと、10mほど下回ってしまうようだが。
この大聖堂は1200年代に建築が始まり、その後宗教的、政治的ないろんな事情に揉まれて長いこと建築が頓挫し、完成するまでに600年ほどかかったと言う。そのため中に入ると、この部分は初期に作られ、ここは19世紀に、というように、時代によって描かれたものやステンドグラスのデザインや建築技法などが、ぱっと見にはわからないが異なっているという。いやいや、しかし内部も広大かつ荘厳な、ゴシック様式の素晴らしい巨大建築だ。
それからケルンを後にして、姪っ子の結婚パーティーが行われる、フランクフルトから西へ30kmほどの場所にあるヴィースバーデンに向かう。この街は連合軍が大戦後の占領本部を置くために、計画的に爆撃を行わなかったということで、これまた古い建物が多く残った美しい街並みなのだが、それはまた別途書きますね。
いったんこの日と翌日の宿、「アディナアパートメントホテル」にチェックインし、そこそこの服に着替えて、車で15分ほどの郊外にある姪っ子のダンナ君の実家に、冒頭に書いた通りYさんに送ってもらって向かう。きれいな住宅街に広い庭を備えたこの家で行われていたガーデンパーティーに合流し、ダンナ君のご両親に紹介され、兄夫婦の結婚式以来約30年ぶりに会う--当時はまだ幼児だった--兄嫁の親戚とかに会う。
この時点で20時過ぎとなり--とは言え夏のドイツは陽が長く、夏時間ってこともありまだ夕焼けが残っていた--、パーティーの始まりから3時間ほど遅刻してしまっていたが、ドイツのパーティーって、酒と、その肴に具だくさんの大型パンのサンドイッチなんかをつまみながら、特にイベントがあるでもなくダラダラと延々と続くってことで、22時過ぎに翌朝の朝食用にサンドイッチを少し頂いて、兄夫婦らと2連バスに乗って帰って来た。この週はヴィースバーデンはワイン祭かなんかをやっていて、バスは全て無料。バス停から10分弱歩いたが、街は夜遅いのにけっこうな人出があった。
長くなるのと形容語彙不足でかなり端折って書いてますが、それでも1回目は初日だけで終わってしまったな。あと何回かかるかわかりませんが、ドイツ旅の続きは追々書いて行きますね。
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