これあんまり書いたことなかったけど、ぼくは男性としてはたぶん、平均よりもかなり肩こり持ちなんじゃないかと思う。なんか常態化してるので、あんまりもんで欲しいとも思わないんだけど、たまにもんでもらうとめちゃくちゃ気持ちいい。
んでこれも、治っちゃってからこのブログ始めたんで書いてなかったんだけど、さきおととしから一昨年にかけて、結構大変な五十肩を患って、腕ががんばっても肩の高さくらいまでしか上がらなくなってしまった。今日はその闘病でもないけど、治療記?を書いてみようかと。
原因はたぶん、防音室の55インチリアプロの前に置いた安物のリクライニングチェアのひじ掛の高さが、その外にある、植物を置くような、木のすのこ状の天 板と、開くと斜めに交差する足がついた50cm四方くらいの折りたたみテーブルに置いた、灰皿とかグラスとかを使う時に、微妙に肩に負荷がかかる感じだっ たことだと思う。
何だか見る見る動かなくなって、普通にしてる分には大丈夫なんだけど、大きく動かそうとすると痛みがあり、腕の可動範囲がだいぶ狭くなってしまった。元々肩は柔らかい方で、右腕を上にしても下にしても、左腕を逆の方向から曲げて背中で手を結ぶことは、両方ともできていたのに、まったくできなくなってしまい、背中を洗う時も左手1本でがんばるしかなくなってしまった。
今でも右が下の方はできないんだけど、右が上ならできるところまで回復した。ここまで来るには、けっこう大変だった。
おかしいなと思い始めてから数か月放っておいたんだけど、さすがにヤバそうだったのでさきおととしの3月頃にまず新橋のリハビリ治療的なことを行う整形外科に行った。40代になったら、四十肩ではなく五十肩というと言われ、ショックだった。
ちょっと痛くても肩を動かした方がいいとのことで、週1度20分くらいのわりとハードなマッサージと、家に帰ってからも太目のゴムチューブ(冒頭の写真)を買ってきて、右方向、左方向にリズミカルに引く運動をやったりした。防音室の椅子に固定するだけでなく、キッチンとダイニングの間のカウンターの板にも固定して運動できるように、ドイトで小型万力を買ってきたりもした。
でも忙しくてだんだんマッサージには行けなくなってきて、夏ごろから半年くらいまた放っておいたら、いつまで経っても良くならない。ある時元部下で会社を辞めて鍼灸師の資格を取り、筑波大の鍼灸師の養成学校みたいなところに入ったやつが、ウチに来いというので、受診料も安かったので、行ってみることにした。
学生のころ浪人した受験の直前の時期に、根つめ過ぎてある朝首が全く回らなくなったことがあった。母の行きつけの西日暮里にあった鍼灸院に何度か通ったんだけど、そこのやり方は、全身に刺した鍼に電流を流して、筋肉がピクピク動く状態で、数十分置いておく。これでびっくりするほどあっという間に直ったことがあって、そこにもう一度行きたかったんだけど、もう25年も前の話でそのおばさん先生はとっくの昔に医院を閉じたという。
茗荷谷にある筑波大のその施設は、全身ではないんだけど、同じように筋肉ピンポイントで鍼を刺し、電流を流すのを、1回に3か所、1時間ほどやってくれる。学生---と言っても全員鍼灸師の資格は持っているんだけど---たちは、全身の筋肉を図解で網羅した教科書を片手に、ソウボウ筋がどうのとか、なんちゃら筋、かんちゃら筋に鍼を刺すにはどういう体位の場合どこからどう刺すかとか、そういうのを先生に教わって実地で身につけていく。
ここには五十肩に詳しいT先生という方がいて、五十肩の進行に合わせて、今は膠着期だからとか、なんとか期だからとか、そういう進捗度合いに合わせて、毎週1回、治療を続けてくれた。指導のために学生に鍼を打たせるときとかは、ちょっと怖くはあったけど、その元部下も含めてみんな慎重にやってくれて、一昨年のGWから去年の2月くらいまでにかけて時間はかかったけど、ほぼ回復させてくれた。
防音室の椅子も、5,000円ほどのたたき売りのリクライニングチェアはやめて、2万円台の皮の1人掛けリクライニングソファをニトリで買ってきた。ちなみに筑波大のこの施設の料金は、初診の時が確か4,000円、その後は1回1,500円と、保険のきかないこの手のものとしては格安だ。
しかしこういうのを経験すると、今回は幸いほぼ完治したからいいようなもんの、ほんとに直らなくて持病化するってことが、この歳になると本当に起こるんだなということが、身にしみて理解できる。これがまぁ、「老い」の始まりですな。
去年一年間で、老眼もかなり進んじゃったし、集中力が続かなくなった気がするし、まぁいっかで終わらせているものが結構あるような気がする。そんなに太ってはいないものの、足を投げ出して床に前屈の姿勢で座ると、腹に3段くらいのたるみができるようになっちゃった。
で、それらのことを仕方ないこととして受け入れている自分がいて、さらにたとえば10年先には、その受け入れ方もだんだん「仕方ない」から「あたりまえ」に変わって行くんだろうなということが容易に想像できる自分もいる。
いやいや、まだ「老い」なんて言っちゃだめだよね。まだ集中力は失ってないからね。記憶力はだいぶやばくなってきたけど。
あと約13年、父はがんばって働かねばね。
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