「こめ」と打って変換すると、「※」になって、ああそうかと思った。※だって「こめじるし」であって、昔はもっと数の多かった米屋さんの店先の看板には、必ずこのマークがあったよね。そこから転じて、注意書きなんかの記号として使われているのは、考えてみれば日本ならではのことなのだろうね。
米ってのはことほど左様に日本人の生活には溶け込んでしまっている食物で、いまだに法律でこれだけ特別扱いされているものは他にない。もう十何年か前に深刻なコメ不足になったのを憶えてますか?あの時食べたタイ米のおいしくなかったこと!
歴史上、食べ物の名前のついた事件というのはそれほどないと思うけど、「米騒動」は起きても「麦騒動」とか「肉騒動」は起きないよね。米の取れ高が国の実力であり大名のステータスになっていたわけだしね。
そもそも「ごはん」という言葉は「食事」という意味と「米」という意味を持っているわけで、英語では「meal」がこれに近いのかもしれないけど、こちらの他義はトウモロコシや麦の粗挽き粉のことを言うってので、もう明らかに歴史的文化が異なることがわかる。いくら1人当たり消費量がピーク(昭和37年--ぼくらが生まれた頃なんだね)の半分ほどになってしまったと言っても、やっぱり日本人には欠くことのできない食物であることに変わりはない。
最近の日本人離れしたルックスのオシャレなタレントやミュージシャン--例えばExileの一部メンバーみたいな--が、一番好きな食べ物は米だ、とか言ってると、なんだか、ああ、こいつもわれらの同胞だったんだ、と言うような気持ちになるもんね。
そしておいらも米は大好き。特に我が家の米の炊きたては、いつもホントにおいしいと思う。これって米がいいのか、炊飯器がいいのか?多分その両方なんだろうな。
我が家の炊飯器は、忘れもしない、おととしの12月15日に「健康」が20年ぶりの復活ライブを行った日になぜか、うちの家族が新宿のビックカメラで買ってきた象印のIH炊飯ジャーだ。このマシンが来てから特に美味くなったのかどうか、よく憶えてないんだけど、こいつで--ぼくの好みで--やや水を多めにして炊くと、確かにすごくおいしい。
そして我が家でいつも食べている米は、ロヂャースで買ってくるこの会津産コシヒカリだ。以前は魚沼産はちょっと高いので、新潟産の品を買ってたんだけど、この会津喜多方産限定、特A日本一と銘打った米は、本当にうまいと思う。しかも値段も安い。今日は新米が特売になっており、いつもよりさらに安い、5Kg1698円だ。
だけど残念なことに、ぼくが我が家のこの米を食うのは、土日だけなんですよ。以前は平日、遅くに帰ってきても、米もしっかり食べていたのだけど、寄る年波で、それをやると、遅くなった日は特に、胃がもたれるようになってきてしまいましてねぇ。
しかも一時体重がみるみる増えちゃった時期があって、食う量を減らす、しかも遅い方の食事を、というので、泣く泣く夕食の米を辞めてみたのだな。そしたら、残念ながら体重は留まり、体調はすこぶるよくなり、それ以来、矛盾していると我ながら思うのだけど、好きな米を土日だけの楽しみに追いやってしまった。
ならおかずを辞めて米だけ食えばよさそうなもんなんだけど、それはそれでちょっと寂しい気もするし、食事を用意してくれるカミさんに--ただでさえ突然「今日メシいらない」と電話するのがぼくの日常のなかで一、二を争う恐怖だったりして、"伝家の宝刀"と称し月に1度くらいしか使えない大技となっている状況のなか--申し訳なくて到底そんな申し出はできず。
もっともそういうMっぽいと言うか倒錯した自分が、ちょっとけなげでかわいかったりもする。
しかしロヂャース新座店め、今日行ったら売り場の配置換えが行われており、わけあってちょいと急いでたのに、どこに何が売ってるのかすっかりわからなくなってしまった。今日は2Fに行かなくて済むから30分で済むぞ、と思ってたのに、雑貨類を全て2Fに集めやがって。確かに前より一見さんにはわかりやすくなったんだろうけども、超お得意様のおいらに断りなく、勝手に配置換えするなっつーの。
いやだけどやっぱ、1週間ぶりに食べた我が家の米は、やっぱ美味かったなぁ。食が細くなってきて、茶碗一杯か、おかわりしてもほんの軽くなのだけど、それだけに貴重な一杯だ。食べ物が美味いと、食べ慣れたものであっても、すごく幸せな気分になれるよね。
明日もこれが食えるのが楽しみです。いくら小さくても楽しみがある人生はいいよね。
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