春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明りて...って昔古文で習ったよね。「枕草子」の冒頭ね。清少納言は、四季折々によさがあるよって言っていて、よく季節で言うといつが好き?って問いがあるけども、ぼくもそれぞれの季節がそれぞれに好きな清少納言派だ。温帯に生まれてよかった、と思う。
四季それぞれと言っても、好きな時期ってもんがある。当時は旧暦だったから、毎年3月と言っても、季節感が同じでなかったはずで、そう考えると太陽暦の現代は、3月なら3月で毎年同じだから、春だったら何月が好き?という問いが成立する。これはこれで古代にはなかった価値観なんだろうなと思うと、これまた歴史というものの魅力に身が震える思いがする。
好きな月っていつだろうと考えると、2月、5月、8月、そして自分の生まれた11月だな。
2月はこないだも書いたけど、沈丁花が咲き、猫にさかりがつき、ひな祭りの準備と、梅のつぼみと...っていう、平均気温は最も寒かったりするのに、春への期待感が一心に凝縮される。そっか。冬が好きなわけじゃなくて、これってやっぱ春を待望してるのかな。
5月も同じかもな。春の花の美しさというのじゃなくて、新緑のあざやかさ、梅雨に入る前の、夏至は6月下旬だから、そう考えると8月と同じ日差しが、暑くなりきらない空気の中で、その新緑を透かして感じられる、その生命の力が漲る様が好きなのだとすると、これは春というよりは夏への期待なのかもしれない。
8月は実は思いのほかセンシティブな月だと思う。暑さに辟易する時期が印象深いけれど、梅雨の長さにもよるけど平均気温だけで言うと7月の方が高いことが多いってほど、真夏って言うのは儚く短いもので、お盆を過ぎると寂しく秋の気配が忍び寄る。
中旬にはもうくらげが発生して海では泳げなくなるし、台風の季節で土用波への注意が必要で、海水浴のシーズンって言うのは実際、わずか2週間くらいしかない。
だけど8月に期待するのは、やっぱしまずは真夏の暑さと日差しなんだな。でもお盆の時期にしか休めないと、高原で歩いたりしたときの気持ちよさは、ちょっと傾いてきた太陽の角度に感じる一抹の寂しさが伴ったときに、よりその深みが増す。そういう微妙な季節感は、やっぱり温帯ならではだよね。
11月はまずは紅葉。そして紅葉ってヤツは、その後葉っぱが茶色くなって枯れていく運命をどうしても想起せざるを得ない。冷たく透明な冬の空気を、はじめて感じることができるこの秋の「熟れた」感がいい。
そう考えると、8月も11月も、季節の熟した感じが好きなのかな。ぼくは別に熟女好きではないけれども、果物は腐る直前が一番旨い。
でもこれって裏を返すと結局、次の季節への移り変わりを感じる微妙な時期が好きってことなのかな。3ヶ月おきってことは、要するに季節が変わると言われる前の月だからね。
でも夏と秋は熟すけど冬と春は熟さなくない?この辺が季節感ってヤツの微妙でセンシティブなところだよな。
いやいや、繰り返しになるけどとにかく、美しい四季のある国に生まれてよかった。熱帯や寒帯にはそれぞれの価値観があるんだろうし、そこに住んでる人にとってはそれが当たり前なんだろうけども、彼らも四季を感じられる国に移住したら、その美しさを美しいと感じてくれる気がする。
っていう、「枕草子」への"返歌"でした。
なんでこんな話になったかと言うと、こないだGWの旅の宿を予約したのだけど、場所は十数年ぶりの裏磐梯。例年伊豆に行くのだけど、こないだ下田に行っちゃったからね。今日つながったと言う中央環状と3号線の大橋ジャンクションも走ってみたくはあるものの仕方ない。
でもGWに裏磐梯は寒いかなぁ、なにせ5月の平均気温11度台だそうで、それってこっちの2月並じゃん。って思ったとこからでした。でも小学校の修学旅行で行った裏磐梯は、確か5月だったよな。
ちょいと不安だけど、行って来ますです。って、まだ先の話だけどね。
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