この1週間は、不正入試問題で世の中が揺れた。しかしまぁ確かに相手は京大だし、エポックメイキングではあると思うけれども、その受験生が判明したって言うニュース速報が出たの?そこまで騒ぐようなことか?
「ネット時代」なんて言葉は使いたくもないし、エポックメイキングってのは「時代を画す」ということだから、これまた大げさな表現だよね。今日の日経の一面に、「ネットの現実直視の時」というコラムが載っていたんだけど、それによると、日本人の1日のメディア接触時間は2010年で5.8時間。テレビが占める比率は5割を切り、ネットが3割に迫った、と。30代前半のある夫婦は「引っ越し後や旅行中にネットがつながらないと不安」と話す、と。
それだけネットを使うのは当たり前のことになってるし、そうでない人もまだまだ多いのだろうけども、その比率が次第に減っていくことは誰が見ても明らかで、つまり「ネット時代」というワードは、もう何年か経って振り返ると、「テレビ時代」とか「クルマ時代」というのと同じように陳腐な言葉になるだろうからね。
また、ある東大の教授は「今の若者にはネットで調べれば分かることをわざわざ記憶するなんてナンセンスと考える気質がある」と指摘する。若いころからネットがあった35歳を境目に「上の世代と下の世代で感覚が違う」とみる、とも書いてある。
この『世代論』的な物言いにはカチンと来るし、「・・・考える気質がある」なんて言い方してること自体、その教授の方の感覚がそもそも"上の世代" 過ぎるんじゃないの?と思う。だってその通りじゃん。ネットで調べればわかることをわざわざ記憶するのは、どう考えてもナンセンスでしょ。
同記事はさらに、「考えるより先に検索し、自分で調べる前に掲示板に問いかける。そんな風潮は世代や国籍を問わず広がる。」と述べているが、実は問題はここにあるのでは?と思う。つまり「考えるより先に検索」することと、「自分で調べる前に掲示板に問いかける」ことは違うのに、これを一緒くたに語っていると言うことだ。
自分でこの手の質問サイトを使うことはめったにないけども、検索で引っかかってたどり着くことはままある。そういう時に時々感じるのだけど、どうしてちょっと自分で検索すればわかることを、なんでもかんでも訊くかねぇ、と。
つまりそういった、ネットリテラシーと言うか、他力本願ではなく、どうやって調べれば本当に自分が欲しい情報にたどり着けるか、そういう能力を高めること、そのことが教育の基礎的なカリキュラムに組み込まれるべきだってことじゃないの?
そして、ネットリテラシーを生かすための、必要な基礎知識、基礎能力って何?っていうのを、もっと追求すべきだよね。どういうことまでを知識やスキルとして持っていれば、あとはネットで調べる、でいいのか、ってことを分析して、そこまでのことを教える、って方向に、教育体系そのものを切り替えていくことはできないんだろうか?ぼくは教育界の人間ではないので、無責任に発言するけれども。
例えば日本史だったら、織田信長は何をして、どういう影響を社会に与えた人物なのか。宗教にしろ、経済にしろ、戦争の仕方にしろ、旧弊を打破して、新しい時代を呼び込もうとしたこと、そのためのいくつかの事跡、それらはそれぞれどういう歴史的意味があったのか。それを教えて、どの事跡は何年に行われたか、桶狭間は、姉川は、長篠はどこにあったのか、なんてことは、調べればいいじゃん、みたいなさ。
いわゆる教養と知識の違いってことじゃない?これって。科目によっては難しいかもしれないけどさ。
試験のやり方だって、根本的に変えていかなきゃいけないんじゃないかな?逆に全員にPCを用意して、あるいは携帯やスマートフォンが使いたい人はそれでもOK、みたいな形で、自由にそれらを使って答を出せばいいよ、っていう試験にできないのかな?本質的なその教養のレベルを問うような問題の出し方を工夫するような。
信長の例で言えば、「織田信長は日本史上の革命児だと言われるが、どういう点が革命的であったと思うか書け」みたいな。そうすれば、その"教養"がなくても調べて答えは出せるだろうけども、明らかに"教養持ち"より時間がかかることになるじゃん?
仮にそのネットリテラシーに超長けていて、"教養持ち"ではないのに"教養持ち"と同じスピードで答が出せたとしても、それは社会に出てから同じアウトプットができるってことなんだから、それはそれでいいじゃん。「おいらはネットリテラシー力で勝負するぜ」っていう選択肢があったってかまわない。
電波妨害装置ウン千万の導入を検討している学校もあるってニュースもあったけど、バッカじゃないの?いつでもネットやソフトウェアの機能を使って、答えを求めることができる日常の状態から、意図的に遠ざけて測れる能力って、通常は必要のない特殊能力でしかないじゃない。
もっともカンニングの問題は、クリアが難しいけどね。与えられたネット環境以外を使用禁止にして、その環境からはその手の質問サイトにはアクセスできないようにする?問題そのものをPC上で出題して、外部に送っても閲覧できないような仕掛けをする?うーん、画像コピーは防ぎようがないか。
て言うか外に訊いてたら逆に時間がかかって無駄なような試験問題の作り方って、工夫の余地ないのかな?つーかそもそも、区別は難しいかもしれないけど、入試だと思ったら訊かれても答えない社会になるといいやね。そういう社会の成熟が期待されますね。
上記日経コラムの末尾はこうだった。「世界をのみ込むネットという文明の利器は、社会を混乱させる凶器にもなり得る。(中略)入試投稿も、ネットの動きに社会の仕組みか追いついていないことを示した。想定を上回るネットの力を直視し続け、それに現実を合わせていく。そこから出発するしかない」。まったくその通り。
そのためにどこまで根本的に発想を変え、またその新しいやり方が可能となるように、各種の問題をクリアできるかだよね。教育界の重鎮方のネットやPCのリテラシーレベルを上げることが、まず喫緊の課題なのでは?
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さて、今日は2週連続で「健康」の土曜夜練習が行われた。マキゾエのアホは急に出張が入って欠席となったが、先週を受けて見直した今週の曲順は、なかなか悪くないんじゃないの?さあ、泣いても笑っても、練習はあと1回。仕上げられるんでしょうか?
今日のテーマは写真が難しいので、関係ないけどこの練習の写真を貼っときます。
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