10月5日火曜日の午前に、入院していた父が亡くなった。腰を痛め、肺炎も患っていたが、死因は何かと言われれば、老衰ということだろう。93年と半年ほどの人生だった。大往生と言えると思う。
8月の頭に尻餅をついて立てなくなり、前にちょっと書いたがいろんな経緯があってそれから入院と言うことになり、本来なら今週の6日水曜日に退院する予定になっていた。そのため、実家ではベッドを1Fの和室に移し、各種手すりを設置し、流動食を箱で買い、酸素吸入や痰吸引の機械を借りるなど準備を整え、さらにケアマネさんが時々来てくれたり、隣に兄夫婦がいるとしても、オフクロ1人では大変だというので、兄が老人介護施設の調査なんかも進めていたのだが、まさにその前日に亡くなったと言うことになる。
5日の朝、兄から電話があり、病院から連絡があって急変し危篤状態だと言うので、取り急ぎ自宅から実家近くの大塚にある病院に向かったが、残念ながらぼくが着いた時には、もう亡くなっていて清拭をしているところだった。カミさんは後楽園にある職場に行っていたので、ぼくからの連絡で駆けつけ、ギリギリ間に合ったらしい。最期は特に苦しむようなこともなく、眠るように息を引き取ったという。
清拭が終わった親父に、入院中は会えなかったので約3ヶ月ぶりに会ったが、だいぶ痩せて小さくなってしまっていたな。もうずいぶん前から近々亡くなるだろうとは覚悟していたので、特に涙が出たりということはない。
その日は会社で会議が2つと、夜にはブーランの学校でレコーディングの予定が入っていたのだが、それらはごめんなさいと連絡してキャンセルさせてもらう。遺体はオフクロと兄で相談して実家に戻さなくていいと言うことにしたので、兄が手配した葬儀屋さんの車に同乗して、落合斎場の安置室に収めるのを見届けてから実家に戻る。
それから葬儀屋さんとの打ち合わせをし、通夜は行わず告別式は10日の日曜日と言うことになった。親父の昔所属していた会社やら、保険会社やらその他もろもろの必要な連絡とかはおフクロと兄に任せて、ぼくは兄から仰せつかった、告別式でループで流しておきたいという、親父の生涯をなぞったスライドショー作成のため、実家にある古いアルバムを引っ張り出して、親父の写りがいい写真を探していく。
これがなかなか大変な作業で、というのはそもそも、我が家でもそうだが、親父は基本撮影者であることが多いので、写っている写真自体が少ない中から、さらに稀なよく写ってるものを見つけなきゃいけないからなんだけど、午後からまた職場に行き夕方に戻って来たカミさんにも手伝ってもらって、いい写真を見つけたら剥がし、付箋を貼って、と進めて行ったが、30枚弱の写真を集めるのに、最終的には夜10時半くらいまでかかってしまった。おおむね2004年ごろ以降の写真はデジタルなので、USBメモリにコピーして持ち帰る。
冒頭の写真は、フライングになるが公開してしまうけども、その写真集めで見つけた親父の70歳の誕生日に4歳の時のウチの娘と撮った写真だ。撮ったのは多分ぼくだが、ぼく自身も記憶になかった1枚で、この親父のめったに見せない蕩けるような笑顔と、娘の無邪気さに、初めて泣けてきた。このブログは家族の写真はぼかしを掛けるルールにしているが、故人だし娘はもう大人になってるし、もうここは良しとしてしまおう。
水曜日は持ち帰った写真をスキャナーで読み込み、データで持ち帰った写真と、我が家のストック写真からもよさげなのを探し、必要に応じてトリミング等を行い、パワポにレイアウトして貼って行く作業で、ほぼ丸1日かかった。故人を偲ぶという意味では、忌引きの趣旨に一番合っているとも言える作業だ。
できたものを夕方兄に共有したら、木曜日の朝になって、これはなかなかよくできてるから、やっぱりこれを元に親父の人生をなぞる話を俺がする、ということになり、それにあたって写真集めで不足していた、親父とオフクロの結婚の時の写真とか、その他十数枚を追加することになり、さらに数時間かけてスライドショーを更新する。最終的にスライド34枚、写真68枚の結構大きなものになった。
今日は実家に行って遺言公正証書を作ってもらった税理士の方と打合せし相続の相談をしたり、親父がかつて所属していた会社の方に連絡したら、予定外の人数が告別式にお見えになりそうなので、その対応をどうしようとか、ぼく自身はそんなに忙しいわけではなく兄に頼りきりではあるが、なんだかんだバタバタしている。
オフクロは表面的には特に落ち込んだりする様子はなくおおむねテキパキしているが、なにしろ親父とオフクロは、夫唱婦随型の昭和のおしどり夫婦と言うか、今の時代の仲よしと言うのとはちょっとイメージが違うが、精神的にはかなり親父に寄りかかって生きてきた人なので、時折打ち合わせの時などに、しばらく下を向いて発言しない時間があったりするのが、ちょっと心配だ。
うちのカミさんは、最近知ったのだが、そんな親父とオフクロの様子が気に入ってぼくとの結婚を決意したらしく--その割には我が家の関係は親父&オフクロとは全然違うのがフシギなのだが--、他にも夫婦とも友人のT夫妻は、うちの親父とオフクロの関係が理想だというので、ただの友人の親なのに仲人を頼んだりした、そういう夫婦だったからね。
上記の写真集め作業で、古ぼけた赤い表紙の、通常のアルバムよりひと回り小さなアルバムが見つかった。開いてみると、両親が結婚する3年ほど前、多分出会って4年くらいのころに親父が作ったもので、1ページごとに、若き日のオフクロの小さなポートレート1枚と、その周りに写真を撮った時の状況や思いやなんかを、親父が好きだったリルケのドイツ語の詩とかを交えて小さな文字でびっしり綴ったもので、癖字なので読みづらいが、読んでみると赤面ものの内容だ。
こういう文章書き好きはぼくに遺伝してるんだけど、オフクロに、これ告別式で展示しておこうよ、と言ったら、乙女のように、いや、これは自分のお棺に入れて一緒に焼いてもらうまで取っとく、と言っていた。
まぁ息子の立場から見れば父親としての親父にはいろいろと言いたいことはあったし、その辺の見解は兄と同様のようなのだけども、背中を見せるということでは、いかにも昭和の親父として、あるべき姿だったと言うことはできるのかもしれない。
昨年暮れに生まれた初めての曾孫であるウチの孫とは、コロナの影響でまだ会えておらず、落ち着いてきたので今月24日に連れて行くから、ということになっていたのだが、ついに会えずじまいで亡くなってしまった。本人も楽しみにしていた様子だったのに、残念なことだ。7月に娘と結婚したダンナ君ともやはり会えなかった。
あさっての告別式は、海外在住の甥っ子と姪っ子は無理だが、ウチの息子と娘は参加して、娘には受付をやってもらうことになった。ちゃんとした喪服を持っていないというので、明日カミさんと買いに行くらしい。
ちなみに告別式は原則親族だけで行う予定ですし、お香典の類はいっさいお断りしておりますので、私の直接のお知り合いの皆さまも、特にお気遣いいただかなくて結構です。よろしくお願いします。
今日はありがとう。
甥っ子と姪っ子もZOOMで参加してくれました。
投稿情報: タコ兄 | 2021/10/11 00:01