娘の結婚にまつわる話は、これまであまり書かなかったのだけど、以前そのうち書きますねと書いたことと、式はやらないことにした--って書いたら、そうと決めたわけではないんじゃないの?ってカミさんに言われたけど--のだが、その代わりに先週から今週にかけて沖縄宮古島に、結婚記念ビデオ撮影旅行に行って来たってこともあったので、まぁ差しさわりのない範囲で書いておきますかね。今週は七夕もあったしね。
コロナ禍だし式もやらないし、ってことで、我々はまだダンナ君のご両親にご挨拶もできていないのだけど、結果として娘が選んだダンナ君は、コミュニケーション能力の高いなかなかいいヤツで、昨年暮れに初めて会ったカミさんの両親にも、今年正月に彼らだけで訪ねて行ったウチの実家のオフクロと兄夫婦にも、親しんでもらったようでよかった。
宮古島では、ウェディングドレスを着て、いろんな島の名所で、写真とビデオをドローンなんかもふんだんに使って撮りまくったようで、最終的に編集されたものが納品されるのはまだちょっと先のようだけど、素材を部分的に見せてもらった限りでは、なかなか素敵な仕上がりになりそうだった。台風が来ていたのでちょっと心配したが、先島諸島にはあまり影響はなかったようだ。納品されたらその写真やビデオはデータでくれることになっているが、取り急ぎスマホで見せてもらったものを貼っておきますね。
宮古島は、一昨年の4月にカミさんと行こうとしていて、予約も全部取り終わっていたのに、コロナになってしまって泣く泣くキャンセルしたんだよね。いいなぁ。ぼくらもいつか必ず行くぞぉ。
ぼくは2人兄弟の次男で、子供のころから弟か妹が欲しいと思っていたし、自分の子供が生まれた時は、こんなにかわいいもんなんだってのに自分でもびっくりしたものだったが、2人目が娘だったときには、よく男親にとって「長女は最大の恋人」なんて言うけど、ぼく自身もまさにそういう感覚で、我が家は息子は母親派、娘は父親派みたいに育った。いや別に息子と娘はぜんぜん仲よしだし、特に派閥的なものがあるわけではないのだけどね。
よく憶えているのは、娘が2歳でしゃべれるようになったばかりのころに、ウチの実家で兄嫁に、「○○、パパだーいちゅきだから、パパとお風呂に入るの~」と言っていた場面で、そういう父親にとってはたまらんシチュエーションが、娘との間にはたびたびあった。
その後娘とは中2の時まで一緒にお風呂に入っていたが、それをやめたのも、別に本人が嫌がったわけではなく、カミさんに、あんたたちそろそろいい加減にしたら?と言われたからで、お父さんウザいとか、近くに寄らないでとか、そういうことになったことは一度もなかった。ぼくの部屋に入って「タバコくさ」とは言ってたけどね。
そんな娘が女子高から共学の大学に入り、最初の彼氏ができたあたりから、奴は父親を引き剥がすいろんな権謀術数を用い始める。遅いので心配していたら、電話でサラッと「今日は彼氏んち泊まるー」って言ってきたりとかね。
いや、心配するのはぼくがというよりはどっちかって言うとカミさんがなんだけどね。ウチの実家は割合放任主義の一方、カミさんの実家はかなり心配性の家なので。20歳を過ぎて連絡なく帰りが遅いとき--これも奴の作戦の1つだったのだと思うけど--など、ぼくはもう成人なんだからいいんじゃね?と思ってても、カミさんに言われて深夜にチャリで近所の居酒屋とかファミレスに探しに出たりしたことも何度かあった。
娘は幼児教育系の学部に通っていて、幼保一体の流れの中で、保育士と幼稚園教諭の両方の資格を取ったのだが、これは前に書いたけど、就活する時も、「ちゃんと就職するから口挾まないで。お父さんに何か言われると、多分マジ頭来るから」と言われた。まぁカミさんには日々の小言をウザいながらも言われ慣れている一方、ぼくはめったにマジ意見することはなかったからってのもあるんだろうけどね。あまつさえいったん就職したその上場企業の運営する保育園も2年後には辞めて、昔からの夢だったらしいTDLのショップ店員に転職--バイトだけど--しちゃったんだけどね。
ダンナ君と出会ったのは多分大学3年の時のバイト先の喫茶系チェーン店でのことで、彼は先輩のバイトとして勤めていた。どうやら娘がほぼ一目惚れに近い形でぞっこんになってしまったらしく、娘は大学卒業まではウチにいたが、社会人になって間もなく、我が家を出てダンナ君と同棲し始めた。
この時も奴は何か宣言するでもなく、引っ越し荷物をまとめるでもなく、ほとんど着の身着のままでヌルっと出て行き、既成事実を積み上げる作戦に出た。最初は隣の和光市のアパートで、その後神奈川に行き--この時は練馬の保育園まで2時間以上かけて通っていた--、下赤塚に行きと何度か引っ越し、カミさんに実家に近い方が何かと便利なんじゃない?と言われたこともあり、殊にウチの車を使いたいと言うこともあって、今の、我が家からチャリで5分ほどの朝霞のメゾネットタイプのアパートに落ち着いた。
一昨年の暮れに、初めてダンナ君を連れてウチに来ると言うことになって、こりゃ結婚させてくれって話だろうなと予想はしており、前日茨城に行って初めて孫に会った帰りの高速で、カミさんとその許可条件について話していた。どんな彼氏かはわからないけども、それまでいろいろと積み上げられた奴の戦術もあり、ぼく自身ももはやNoだって言う気も--まぁ「婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立」するものですしね--なかったのだけど、いざ会ってみると、なかなかそういう話を切り出さない。
どうやらダンナ君は娘から、「お父さん私のこと大好きだから、もしかしたら大変かも」的なことを言われ、相当ビビッていたらしく、結局最初に来た日には何もなく、その後もう一度来た時に、娘から「結婚させてください」と言ってきた。
なら条件がある、2人ともバイトで時給生活ってのはあまりに不安定で子育てもしづらくなるから、2人どっちかでもいいから定職に就け、ということを伝え、その後春になって、ダンナ君が板橋の某内装業の会社にまずはハウスクリーニング要員として就職し、約束の条件は満たしたうえで、これも前に書いたが去年の7月に入籍した。
てなことで、今週はネタが枯渇したので、重い腰を上げて娘の結婚までの経緯を書いてみました。まぁここには書いてないこともいろいろあるんですけどね。まずはおめでたいってことと、娘とダンナ君の会話を聞いているととても相性がよさそうで--正月にウチの実家に行った後、オフクロが、仲よさそうでいいじゃない、と言っていた--、それはまぁ結構なことだってことで。
どこのお父様も、こうしてなんだかんだで精神的に娘離れさせられて、娘を嫁に出すんですかね。奴の長期戦略に慣らされてか、これは強がりではなく、今となってはそれほど寂しいとか喪失感とか、そういう感覚はないんですけどね。近くには住んでることだし。
10日後にはもう29歳になるんだから、そろそろ孫--女の子希望--を作る検討をしておくれ。超甘やかして、超じじっ子にしてやるんだからね~。
いやだけど安倍さんの事件、びっくりしたね。この日本でああいうことが起きるんだ。何を書いても月並みなことにしかなりませんし、必ずしも彼の政治的信条には共感できない部分も多かったけれど、謹んでお悔やみ申し上げます。
今週はこの他、来月行く予定の旅の新幹線の「事前受付登録」を行き・帰りともやったんだけど、またコロナ感染者が増えてきちゃって、どうなるんですかね。暑さは多少和らいだようだけど、皆様もお体ご自愛くださいね。
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