兵庫旅行3日目はいちばん雨に祟られた日になったが、朝のうちは兵庫北部豊岡市はどんよりとした曇りではあるが雨は降っていなかった。そんな中、まず向かうのは「但馬の小京都」と言われる出石(いずし)の街だ。
車を大手前駐車場に停め、まず出石城址を見に行く。建物は残っていないが、櫓の一部が復元されており、たいして登るわけではないが、一番上の位置からは街並みの景観が美しい。
街中に降り、この街のシンボルのようになっている時計台「辰鼓楼」をはじめ、街のあちこちに散らばっている古い建物を見て歩く。この街は特に街並み保存されているわけではないようだが、全体的にも茶色の木造建築が多いなか、古い酒蔵や、江戸時代の居宅、明治時代の旧役所のなどがところどころに建っており、なかなか風情がある。
ここは幕末蛤御門の変に敗れた長州藩の桂小五郎が潜伏していたことでも有名で、街のあちこちにいろいろと姿を変えつつ点々と居所を変えていた小五郎の足跡が残っている。
この街では「家老屋敷」の中に江戸時代の資料なんかを展示してあるってことで、これを見学しようと思っていたのだが、たまたま不定休の日に当たってしまい、予定を3~40分巻いて、コンビニでおにぎりを買い、次の目的地、養父市にある天滝に向かう。この移動の途中で、しとしとではあるが雨が降って来た。
雨の中前日に続き山登りか?とちょっと躊躇したが、思い切って行くことにして、防水ヤッケを着て出発する。沢沿いを登っていくので前日ほど勾配はきつくはないが、気温17度と涼しいのに、たちまち汗をかいてヤッケを脱ぎ、傘を差して歩いて行く。ここの時間表示は正確で、途中いくつかの小さな滝を眺めながら1.2Km、40分ほど登ると、突然巨大な滝が現われた。
日本の滝百選にも選ばれているこの天滝は、写真ではわかりにくいが落差98mと華厳の滝をしのぐ大きさで、途中岩に当たって落ちていくので華厳の滝ほどの豪快さはないが、向かい側の尾根の、滝の正面2~30mくらいの位置から眺められるので、ものすごい迫力だ。ここは前に情報番組かなんかで見て、一度来てみたかったのよね。これはタオルハンカチ2枚をぐしょぐしょにしても来る価値はあったな。
だけど元来た道を戻っていたら、前日の登りで酷使したためか、登山用ではない普通の街歩き用の合成皮革の茶靴が、本来水深4cmに浸かっても浸水しないハズなのに、右だけ水が入り、一歩歩くごとにぐちょっ、ぐちょっと音がするようになっちまった。まだ買ってそんなに経ってないのに、やっぱり安物はダメだね。
靴の中の水分をタオルで吸って靴下を履き替え、車の中でおにぎりを食べながら、次の目的地竹田城址に向かう。この日のもともとの予定は宿に着くのが17:30過ぎになると言うぼくにしては珍しい詰め込み方だったが、この時点で1時間ほど巻いており、ちょうどいい感じになってきた。
竹田城址は雲海が湧く天空の城と言うので有名になったが、この時期雲海は出ないし、個人的にはそれほど興味はなかったのだけど、まぁメジャーな場所なので行っとこうかというので予定に組み込んだ。ただ有名になり来訪者が増えた分、ここにアプローチするには、地元朝来(あさぎ)市が組んだすごくシステマチックな運営に乗っかる必要がある。
まず車は山腹の「山城の郷」という所までしか入れず、ここから歩いても行けはするのだがかなり大変なので、タクシーか「天空バス」に乗って城址の下の車寄せまで行き、そこからさらに20分弱歩いてやっと入口に到達できる。でこの「天空バス」が、1時間に1本くらいしか来ないのよ。巻いたおかげで、ずぶ濡れのアンダーシャツやワイシャツを着替えたりしても、14:15分のバスに間に合ったが、遅れたら巻きを一気に吐き出すところだった。
ここは建物は残っておらず、石垣だけが天守から本丸、二の丸、三の丸と組まれており、一方通行の観覧ルートを歩いて行くしかないのだが、天守台の規模は小さいものの、全体は山城としてはかなり大規模だ。山城の遺構でこれだけの規模のものはぼくはこれまで見たことがなかったので、雲海は出なくても一応来た甲斐はあったかな。
帰りはバスを待ってもよいのだが、バスルートもこれまた一方通行のため、行きは10分程の道のりを、帰りは竹田駅とかまでぐるっと回るので25分もかかる。歩いても下りは15分なので、じゃあ歩こうと、これは森の中の舗装路の下り道なので、気楽に降りて行った。
この日の宿は、朝来市と姫路市の中間から少し山の方に入った神河町というところにある「ホテルモンテローザ」だ。温泉ではないが大風呂を備え、洋室と、洋食コースの軽めの食事が選べる宿で、風呂は外来客も受け入れているようだったが、風呂で上がって髪を乾かしているおっさんとすれ違ったほかは、宿泊客らしき人には一人も会わなかった。
もしかして貸切だったのかな?その割に従業員の方は結構いたようだったので、ちょっと申し訳なかったな。でもまぁ少し建物が古い感じではあったけどね。ここでは靴やタオルハンカチ、防水ヤッケ、ジーパンと、あらゆるものを干したりタオルで水を吸ったりして乾かした。
夜遅くまで降り続いていた雨は、4日目にはやっと上がり、この日はまっすぐ姫路城に向かって播但連絡道路を走り、10時前には姫路城の大手門駐車場に着く。
大手門をくぐり三の丸の大広場に入ると・・・見えた!姫路城の天守だ。いやいやこれは、見とれるほどの美しさだ。このメインイベントの日に、いい天気になってよかった!入場口から「菱の門」をくぐって中に入る。(冒頭の写真が正面からのもの。右の写真は裏側からのもの)
姫路城の見学ルートは、いろんなサイトに情報があるけど、あるサイトにあった左回りのルートは、入ってみると行けないことがわかる。なんかルールが変わったのかな?なので右回りのルートを行くことにし、千姫が豊臣氏がほろんだ後に本田忠刻に再嫁して来たときに、親父さんである本田忠政が拡張して作ったと言われる西の丸から、長局を通り天守閣に近づいていく。
この城が実際に戦場になったことはないが、天守閣に至る道はかなり複雑で、いくつかの門をくぐり曲輪を通って、くねくねと曲がりくねりながら入口にたどり着く。これまで観た国宝5城の中で、例えば昨年行った彦根城が外観に装飾が多くケレン味たっぷりなのに較べ、この天守は一番優美さを感じるが、特に装飾があるわけでもなく、質実剛健と言うか、防御に徹して造ったら結果こうなった、というのが素晴らしい。
中に入っても地下層から2層目くらいまでは本当に広い。後で兵庫県歴史博物館というところで「日本の城大百科」という展示があって、国宝5城ほかいろんな城の天守の大きさを、同じ縮尺の模型で比較しているのを見たが、姫路城が江戸城を除いては圧倒的に大きいことがわかる。
こういう有名スポットは、外国人観光客を中心に平日でも観覧者が多いが、去年行った犬山城のように内部で行列ができるようなことはなく、6層もある一番上まで比較的スムーズに登っていける。最上層には外廊下はないが、窓からはかなり遠くまで見える。いやいや、ここはやっぱ一生に一度は来ておいた方がいいね。天守を出てすぐに広がる本丸曲輪でも、自撮りも含めてたくさんの写真を撮った。
この日はこのあと城を出て、城の周りを右回りに一周しながら途中にある庭園や博物館に行ったのだが、もう長くなってるのでこれ以降はまた別途書きますね。
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