会津旅行の4日目は、まず会津若松の北隣の喜多方市にある雄国湿原に向かう。
申し遅れましたが、って感じなのだが、今回の旅は湿原巡りの旅でもあって、というのはもともとカミさんとともに湿原好きではあるが、調べてみるとこの会津地方は湿原が多くてね。2日目に行った2つの湿原が雨だったのは残念だったが、3日目以外の全日程で湿原に行く行程が組んであった。
この雄国湿原は、磐梯山の続きの西麓、標高1,000mほどの場所にあって、この旅で行った5つの湿原の中で、尾瀬大江湿原は別格として、アプローチ路の長さや斜度、たまたま天気がよかったからということもあるが雄国沼という大きな沼の脇にあるのでその空間の広がり共に、一番秘境感と開放感がある場所だった。
喜多方市の中心部に行く手前で右に折れて、延々とワインディングロードを登って行くのだけど、頂上の金沢峠に着いた時には、車のモーター--モーターで走る車なので--から、なんか金属が焦げるような臭いがしていた。登りの途中で行き交う車は1台もなかったが、着いてみると十数台の駐車スペース全てが埋まるほどの車が来ている。振り返ると喜多方郊外の田園風景が遥か下に見える。
ここから階段の山道を10分程まっすぐ下りて行くと、雄国沼と湿原の境目をぐるっと樹脂製の木道で巡れるようになっている。この時期特に目立って咲く花はなかったが、左に大きな沼、右に遠くまで続く湿原のあるこの景色の広がりは素晴らしい。帰りは沼に沿って右に折れる道を行き、美しい広葉樹の森の中「陽の当たる葉の裏写真」をたくさん撮った。ところどころに白やピンクの山桜(?)が咲いている。
元来た道を戻って、途中「恋人坂」という看板が立つ田んぼの中の一本道を下って行ったのだが、何だろうと思っていたら、この日の夕方の地元局のワイドショーで取り上げていて、田植えが終わったばかりのこの時期、水面が目立つ下りの棚田の広がりに、正面から夕陽が当たるとものすごく美しい景色になって、恋人たちがうっとり見惚れるところからこの名がついたそうで、今でも多くの若者が集まってくるという。
ここから会津若松の方向に戻り、途中から磐越道に乗って、西会津の柳津(やないづ)町に行く。まず「すずや食堂」というところでまたソースかつ丼を食べたが、ここのはご飯の上に薄く卵焼きを敷いてその上にカツを載せたもので、前日の「とん亭」と同じ食べログ3.5点だったが、残念ながら前日の方が美味かったな。
ここには「圓藏寺」と言う平安初期に開創されたと伝わる古刹があり、ぼくの丑年、カミさんの寅年生まれの守り本尊と言われる虚空蔵菩薩を祀ってある。江戸時代初期に大地震で倒壊した虚空蔵堂(本堂)の再建のため、その木材を運ぶのに、どこからともなく現れた赤牛の群れが大いに活躍した、そのためこの地方一帯に「赤べこ」が広まったという、赤べこ発祥の地なのだそうだ。
境内には「撫で牛」の像が、石造りのものと金属製のもの--後者は後に寄贈されたものらしい--とあり、運気がよくなるというので両方を撫でてきた。ここから少し歩くと、国の重要文化財で室町時代に建てられたという「奥之院弁天堂」があり、小さいが細かな造作がよく造られた、歴史の重みを感じさせる建物だった。
それから磐越道に戻り、西会津町の大山祇(おおやまずみ)神社に行く。ここも奈良時代に勧請されたと言われる古社で、水源・水利、長寿、良縁・安産などの守護神と崇められている。ここは駐車場のすぐ近くに「遥拝殿」というお参り用の社が建っていて、ここにお参りして嫁に厄除けの、娘に子宝のお守りを買ったのだが、ここの「ご本社」は4kmほど山道を登った奥にあるという。
お守りの霊験をあらたかにするためにも、ご本社まで行っておくかと割と軽い気持ちで参道に入ったのだが、これがとんでもなく大変で。基本ご本社周辺に行き来するための砂利の車道で、最初の方はそれほどのことはないのだが、「不動滝」「弥作滝」という2つの滝を過ぎたあたりから、とにかく斜度30度ほどはあろうと思われる坂をひたすら登って行くことになる。
途中「福島遊歩道50選」に入っているという杉並木の参道や200段の石段などもあるのだが、そんな山道に入る気はせず、砂利坂を大汗をかいて一歩一歩足を運んで行くと、登り始めから1時間15分ほどで「ご本社」に到達。後で調べたら「遥拝殿」と「ご本社」の標高差は300mほどあるそうで、そりゃ大変だわ。「ご本社」と言っても人がいるわけでもなく、奈良時代の建物と言われているらしく荘厳ではあるが、特に深く有難味を感じるわけでもない。
まぁこれで娘が孫を生んでくれるなら結構なことだと、一休みしてから元来た道を戻る。帰りは45分程で降りてきたから、やっぱすごい坂だったんだなぁ。周りの森はとてもきれいだったんだけどね。もしここに行く人がいたら、ある程度覚悟して行って下さいね。
この日の宿は西会津町の第三セクターが運営する「ロータス・イン」。野球場や体育館やプールのある運動公園の中にあり、元は温泉で営業していたが、温泉の温度が下がってしまって、今は沸かし湯になっているという。入浴料が優遇されているらしく地元のおじい、おばあの憩いの場になっているようで、温泉じゃなくなってるのに結構な人が集まっていた。
風呂に併設された宿泊施設は立派な作りで、1人なのになかなか埋まらないらしい3ベッドの部屋に泊めてくれたが、11部屋のうちこの日泊まっていたのは3組ほどのようだったので、食事とかはまぁまぁで12,000円を切る価格の割には、営業的には苦労しているっぽかったなぁ。部屋もユニットバスも広くて、この旅で初めて洗面袋を思い切り広げられ、個人的には快適だったけどね。
また雨になった最終日はまず県境を越え、最後の湿原、新潟の阿賀町にある「たきがしら湿原」に向かう。道幅はある程度あるし距離もそれほどではないが結構なうねうね道を登って行くと着くここは、元は田んぼが開かれていた場所だったのを、村人が放棄して移転してしまったので、人工的に湿原にしたとのことで、広さはそれほどではないが、木道が整備されていて歩きやすい。
ここではあやめと、多分ニッコウキスゲが、まだ花期には少し早いようだが咲いていたのを見られてよかった。そんなうねうね道なのに、ぼくが着いた後にそこそこ大型の観光バスがやってきて、見ると「自然を歩いて体感する会」かなんかのツアーのようだ。平日の田舎の一人旅では、会うのはほとんど老人のみだが、このツアーの客もほとんどお年寄りばかりだったな。
ちなみに檜枝岐村の旅館で、ぼくともう1組泊まっていたのが少なくとも80代と思われる多分老夫婦で、おばあさんの方はもう腰が90度くらい曲がっちゃってるのに、乗っている車が真っ赤なトヨタの2シーターのスポーツカーだったのにはびっくりしたな。
それから同じ阿賀町の三川にある国の重要文化財「平等寺薬師堂」と、その近くにあるこれも重要文化財の「将軍杉」を見に行く。「薬師堂」は室町時代に建てられたと伝わる小さなお堂で、造作に特徴的なものは感じないが、分厚い茅葺の屋根が印象的。内部は見られなかったが、戦国時代にここに逃げ込んだ将兵たちの落書きが残っているという。
ここからすぐのところにある「将軍杉」は、その周りを板道で周れるようになっており、推定樹齢1,400年、幹回り19.3mで、これは屋久島の縄文杉を抜いて日本一だと言うが、樹齢で言うと縄文杉の方が上だし、屋久島にはこんな杉があちこちにごろごろあるからなぁ。確かに立派で見応えはあるけど、圧倒される度で言えばずっと格下の感じがしたなぁ。
車で少し戻って「ほっとハウス」というラーメン屋さんで「牡蠣あんかけラーメン」を食べたが、食べログの点は3点そこそこなのに、このラーメンは美味かった。なんか食べログの点も投稿数が少ないからか、こういう田舎のお店ではあんまり信用できないね。
それから磐越道を新潟市内に向かい、信濃川河口の「ホテル日航新潟」の最上部にある「Befcoばかうけ展望台」に行く。このころには雨が上がって、31Fの展望台からは、けっこう遠くまで見渡すことができた。信濃川の水が雨で茶色く濁っているのと、「新潟手ぬぐい」の展示会をやっていて天井から色とりどりの手ぬぐいがたくさんぶら下げられているのが印象的だった。
てことで会津旅もこれでおしまい。それから時々雨が降り、平日のためか随所で車線規制をして工事をしている関越道を、渋滞もなく一路地元まで戻ってきて、「びっくりドンキー」でチーズハンバーグを食べ8時過ぎに家に帰り着いた。11月の納車からまだ1,000kmも走っていなかった日産Kicksは、この旅で一気に2,000km近くまで走行距離を伸ばしました。
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