3日ほど前に年末調整のフォーマットを渡された。もうそんな季節なんだなぁ。この手のものを書くのってほんとに面倒で嫌いなんだけど、いやなことは先に済ませたい性質なので、わざわざ1週間で最も幸せな気分に浸れる金曜日の夜の風呂上りに、いろんな証明書を探しながら書いていて、カミさんにあれないかこれないかとうるさく言ったら、なんでこんな夜中にそんなことしなきゃならんのかとキレられた。おいらもやりたくてやってるんじゃないっちゅーの。
しかも最近老眼がますます進み、このブログはさすがに裸眼で書いてるけど、この手のフォーマットを書く時はメガネがないとしんどい。特に旅先で宿帳っつーか宿泊票を書かされる時が一番困る。持ち歩いてはいるものの、わざわざ取りだすのは面倒だし恥ずかしいし。なので最近はカミさんに書いてもらうことにして いる。
そういえば前にマキゾエが、「健康」のライブのMCで、最近やっちゃったうかつなことって言うんで、奥さんの続柄の欄に「妻」って書こうとして、間違って「毒」って書いちゃったって言うエピソードを話していたなぁ。
そしてこの手のフォーマットでよくあるのが「出身地」欄。これがいつも困るんだよね。出身地って言うのは、生まれた場所って意味なの?育った場所って意味なの?育った場所がいろいろ変わった人は、なんて答えればいいの?
前にも何度か書いたけど、ぼくは転勤族だったオヤジが北九州市の当時の八幡区にいた時に生まれ、幼稚園を卒業するまでいて、それから静岡のド田舎、御前崎のそばの今の地名で大東町と言うところに行き、2年生の時に三鷹市の東京天文台のそばに引っ越し、4年生の時に渋谷の南平台に引っ越し、と、転々とした。
だけどオヤジもオフクロも東京の人間だったから、家では東京弁だったし、転校して口さがないガキどもに田舎者だと言われても、自分でピンとこなかった。田舎と言っても、杉並区の善福寺と文京区大塚では、まぁそりゃ祖父・祖母の思い出とか、その家に行った時のニオイとか、そう言うのはよく憶えているけど、東京って言うのはそうは言えローカル性はなく均一な文化の土地だし、それは果たして田舎と言えるのか?
そういう人間は、出身地っていったいどこって言えばいいんだろう?
Yahoo辞書の大辞林によると、出身って言うのは「その土地・身分などの生まれであること。その学校・団体などから出ていること。」ってことで、やっぱ生まれた場所なんだ、って思ってたら、国土交通省が『主要都市圏の出身地調査』ってのを行った際の定義では、「15歳くらいまでで最も長く住んでいた場所」としていたそうで。つまり法的なちゃんとした定義はなく、「15歳までに一定以上の年数を過ごした場所の中で、最も意味合い(納得度・思い入れ)の強い場所」くらいの意味ってことでいいらしい。
と言われても困るよなぁ。単純に最も長く住んだ場所と言うと九州の6年4ヶ月になるけど、なにせその半分くらいは物ごころついてなかったからなぁ。九州、静岡、三鷹、渋谷でもっとも思い入れの強い土地ってどこだ?小4から中2まで4年半ほど住んだ渋谷なのか?その後オフクロの実家の庭に建てた家に引っ越したのだけど、中2から結婚する25歳まで住んだその--つまり一番長くいた--大塚なのか?
でも教育ママだったオフクロの方針に従い、中2で引っ越しても住民票は移さず、当時文京区が所属した第4学区ではなく、渋谷・新宿・世田谷・目黒などの第2学区のままで受験して都立青山高校に行ったぼくは、大学も渋谷だったし、精神的にはやっぱ渋谷文化圏で人間形成したんだよね。いまだに形成しきれてないものの。
仕方がないので出身地と言われると、「東京(生まれは九州)」みたいな中途半端な書き方になってしまう。
なのでカミさんの両親の出身地、福井に行くようになって、あぁ、これが田舎ってもんなんだなぁ、と、根なし草が初めて根の下ろし先を得たような喜びを感じたんだろうな。だけど今のこの国では、そういう根なし草の比率だって結構高いんじゃないのかなぁ?1割2割はいるんじゃないの?
結婚して練馬、和光、朝霞と居を変え、もう20年も住んですっかり埼玉県民になったぼくにとっては、故郷であるはずの渋谷は、もはやすっかり近寄りがたい場所になってしまった。
嫌な思い出でもあれば、近寄りがたくなっちゃった田舎って言うのも、映画なんかのモチーフとしてはよくあるけど、渋谷の場合は、なにせ若者文化の中心地だからね。もう長いこと。街が勝手に進化して、出身地だと思っているぼくのような人間を置き去りにしていく。
まぁもはやオヤジなのでね。仕方ないのかな。スペイン坂なんて言っても、昔は歯医者1軒しかない、知る人ぞ知る公園通りへの近道だったんだよ、なんてノスタルジーを語るようになっちゃね。
なんだか寂しい話が多いっすね最近。
コメント