今週の月曜日はワタクシの51回目の誕生日でございました。Facebook友達の皆様からびっくりするほどたくさんのメッセージをいただいて、まことにありがたい限りでございます。
んでそのFacebookに書いたメッセージ--うちの家族はいったい覚えててくれてるんでしょうか的な--の後日譚を含め、誕生日前後にあったいろんなことどもを書いておきますです。
まず先週の土曜日、ずいぶん時間がかかって、その間ずっとカミさんがどこかの学会だかの事務局をやって持って帰ってきた「ご使用はご遠慮ください」貼紙が貼られていた1Fと3Fのトイレの水漏れが、やっと直った。
それぞれ2重になっているタンクの中のほうのプラスチックタンクから水が漏っていたということで、こいつを交換したんだけど、1Fの方はさらに、漏った水が長年便器の後ろ側の床を浸し続けていたことに気付かず、床板が腐ってしまったので、これを切って新しいものと差し替える大工仕事まで伴う、結構な大工事だ。
何種類かの見積もりが出てきたんだけど、1Fのトイレはほとんどぼくしか使わないので、金かけてもしょうがないと、もう製造中止になった我が家の床板に代わり、似た板を50cm四方くらい入れてもらうことにした。
それでも、便器本体を一度完全にはずして、また取り付けるために、それだけで3万円も取られ、床板とタンクの部品ともろもろ合わせて11万円ちょっと。しかも1Fは金かけて直すなら今後の掃除はやってよねとカミさんに言われてしまい、仕方ないのでロヂャースで「サンポール」と掃除用具を新たに買ってきた。
でもやっぱ2Fにしかないのと比べて便利だわ。しかも1Fは少し木の香りがして、なかなか結構なことで。
さて、誕生日。帰路、朝霞駅から電話して、「ケーキは自分で買っていくんだっけ?」って訊いたら、買ってあるってことで、ここで初めて、忘れられてなかったってことがわかった。
だけど最近バイトやら飲み会やらで帰りの遅い娘は、帰って来やしないので、仕方なくカミさんと2人でケーキを食べ、12時ちょうどくらいにやっと帰ってきて、1,2分過ぎてしまってから、「おめでとう、間に合わなかったけど」だって。
我が家では子供たちがある程度大きくなってきてから、誕生日プレゼントっていうのは特にルールがあるわけではなく、本人の気持ちに任されている。ぼくが過去何年か、カミさんの誕生日にちょっとしたものを買って来た以外には、親が子供たちから何かをもらうということは、娘が中学生の時に1度だけ、ぼくがハンカチをもらったほか、一切なかった。
なので今回も特に期待はしてなかったんだけど、最近バイトで稼ぎまくって--でも遊びで使いまくって結局いつもピーピー言ってる--いる娘が、翌日にブックカバーを買ってきてくれた。
ぼくがいつも文庫本に布のカバーを掛けて持ち歩いていることくらいは知ってたかもしれないけど、それがだいぶ汚れてきて、そろそろ買い換えようかと思っていたことまでは知らなかったらしく、これは以心伝心、さすがわが娘!の贈り物だった。
このカバー、マジックテープを貼り換えることで、いろんなサイズの本に掛けられるようになっている。文庫本に掛けてると、小さいのでちょっとダブついちゃうんだけど、ときどき新書サイズやコミックなんかを持ってく時には、確かに困っていたし、こういう工夫とか仕掛けのあるものが好きな父の心理もよくわかっている。
でもこの商品説明の紙に、「大きさを変えれます」と完全にら抜き言葉で書いてあったのには驚いた。話し言葉ならまだしも、書き言葉でら抜きって、さすがにあまり見ないよねぇ。
こうして日本語が変わっていくんだなぁ、と、妙に感心してしまった。以前に作ってそのまま寝かされた状態になっている「ら抜き」をテーマにした「健康」の新曲、ちゃんと完成させなきゃなぁ。
そんな誕生日がらみのことどもも収まってきたおとといの夜、福井に行っていたカミさんの両親から、おばあちゃんが亡くなったという連絡が来た。93歳だから大往生と言っていい。
このおばあちゃんは、20歳で義母を生み、義母がカミさんを生んだのが23歳だったから、43歳でおばあちゃんになり、そしてうちの息子が生まれてひいおばあちゃんになった時にはまだ69歳、下手をすればやしゃごの顔を拝めるかというところだったのだけど、さすがにそれは無理だったようだ。
誕生日の皆さまからのメッセージの返信に、50歳が51歳になったところで、2%しか増えないわけで、ありがたみも薄れていきますわ、って書いたけど、こうして身近で死に触れると、歳を取って行っても一応健康に暮らせていることのありがたさってのを痛感しますわな。誕生日って、だんだんとそういう、命の重みを感じる日になっていくんだね。
ということで今この文章は、カミさんと福井に向かうN700系新幹線の中で書いております。こうしてぼくの第2の故郷になってくれた福井との縁も、だんだん薄まっていくってのは、なんだかさみしい話だなぁ。
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