我々「健康」のいまや代表曲と言ってよい、"タンタン塩"でおなじみの「ベジタリアンの煩悩」は、もちろん中年肥満をテーマにしたものなのだが、そのAメロのラップに、「自己管理能力 出世に響くと アメリカでもねーのにくだらねぇ」って歌詞が出てくる。
アメリカのおデブさんは、まーぁ時にとんでもないボリューム感の方がいらっしゃって、あんだけ自己管理能力だなんだ言われてさえ、そういうある種自己主張を貫いて生きようという心持に至ることが可能な育てられ方をする社会性に、さすが自由の国と感心することしきりなんだけども、トランプ大統領への数々の拒否反応は、結局そういう自由度に制約がかかるってことに、生理的に恐れを感じる、あの国独特の国民性の表れなのかもしれないね。
トランプ支持は比較的高年齢層の方に多いと言う事実も、ブレグジットを決めた投票とよく似てるんだけど、日本でも票を取るために後期高齢者に不利な政策はなるべく避けようとしているという状況を思うに、やっぱ天皇陛下引退の議論と同様、高齢者に選挙権を同じ分量与え続けるってことは、いかがなものなのかと感じますわね。
政治ってのは国の将来を決めることを担うものだからね。将来とは関係の薄い方には、次第にフェードアウトしていただくのが正しいよね。ぼくもそういう年代に近づきつつあるけど、引退すれば社会とのつながりは薄れていくからね。もちろん実現しようと思ったらいろいろと難しい問題の山積なんだろうけども。
さて、のっけから話が逸れましたが、ぼくは毎朝、朝霞駅から1駅東上線に乗って、和光市駅で副都心線の始発を待つ列に並ぶんだけど、週に1度くらいいつも乗る電車に1本遅れちまった時に、次の始発を待つ列に、かなりの確率でそういうけっこうなボリューム感の方が1人--真冬でもTシャツ1枚の。仮にMr.Dと名付けますが--、並んでるんですね。
んでこのMr.Dが席に座ると、大体1.5人分--はちょっと言いすぎかもしれないけど少なくとも1.3人分くらい--の場所を占めてしまう。
ふくよかな方にもいろいろいらっしゃって、今の会社のある人は、いわゆるおデブさんではなく、学生時代にラグビーをやってたとかで、ガタイがよい、という表現が近いんだけど、この人は自分が席に座ると場所を取っちゃうので、座らないようにしていると言っていた。
Mr.Dも、まったく厚顔不遜ということではなく、最近の車両は7人掛けの場合は2席目と3席目の間に、3人掛けの場合は1席目と2席目の間に、手すりを立てて、詰めて座ることを促すようになってるのがあるけど、その車両が来た場合には、Mr.Dは3人掛けの1席目に、窮屈そうに座ることが多い。
なのでこんなご提案をするのは、申し訳なくはあるんだけども、やっぱさ、電車を動かすエネルギーって、重さにリンクしてかかるわけじゃない?なら料金は体重別にすべきじゃない?郵便みたいにさ。もちろん電車自体の重みの比率がかなり高いはずだから、40kgの人と80kgの人が乗ったからって、エネルギーがリニアに倍必要なわけはないと思うけどもね。
年齢別と言うか就学先別の料金にも、もちろん社会的根拠はあるんだけど、例えば同じ6年生でも完全に大人のような体格の子もいれば、ぼくがそうだったように、朝礼の時の列ではいつも前から数番目というチビ助もいる。それが同じ半額でいいのかな、と思ったことありません?
あと巨大な荷物を持って乗る人ね。ぼくもバンドのリハの時はかなり重いハードケースを転がして電車に乗るけど、旅行で大きなスーツケースを持ってたり、山登りでデカいザックを担いでたり、あれって重さもそうだけど場所も取るし、料金を多く払っても不思議ないじゃん?
昔は駅員さんが切符を切ってたから、体重に連動した料金なんて設定しようがなかったけど、今は自動改札だから、改札の下に体重計設置して、連動して測るなんて、やろうと思えばできるんじゃん?もちろん相当な投資が要るとは思うし、プライバシー保護だなんだ、解決すべき問題は多いとは思うけどね。料金段階の境目付近の体重の人は、時と場合によって料金が変わってややこしいとかね。でもICカードで料金払う前提なら、場合によって料金が変わることには、対応可能だよね。
で、具体的に考えてみたんだけど、まず20歳以上の平均体重は、冒頭の表(文部科学省調査)によると、女子が大体50~53kg、男性が大体65~69kgなので、この前後、例えば40kgから80kgの料金は今の大人料金と同じにする。80kg--を境目にする根拠は特にないので議論が必要だけど--を超える人は例えば1.5倍の料金にする。
そんで今の小学校未満無料、中学校以上大人料金、ってのに近づけるために、20kgを越える平均年齢が女子6歳2ヶ月、男子5歳11ヶ月、40kgを越える平均年齢が女子11歳6ヶ月、男子11歳8ヶ月っていうデータから、これらはおおむね小学校進学、中学校進学の年齢に近いので、20kg以下なら無料、20kgを超えて40kg以下なら半額、ってすれば、それなりに納得感ない?
健康増進を促進したいなら、腹囲測ってメタボだよ、って脅迫するだけじゃなく、実害があった方が効くんじゃない?80kgを超えた人は「5割増し」とか言われるようになって、そこを目指してダイエットするのがあたり前になるみたいなさ。
ベビーカーも荷物とみなされると、無料のはずの20kg以下の子供は、親の体重と合わせて80kg超えたら1.5倍?とかって問題もあるかもだけどね。
また少し話が逸れるけど、ベビーカーもさ、なんか最近、子育て世代を擁護しすぎな感じがするんですよね。電車の中でベビーカーに子供を乗せたままってのが、当然みたいになってるじゃない?まぁ空いてればそれもアリだとは思うけど、混んできてもママ友同士、ベビーカー並べてぺちゃくちゃおしゃべりしてる、なんて場面もよく見るよね。
副都心線は多くの駅で渋谷に向かって右側のドアが開くので、左側のドアの前にベビーカーを並べておしゃべり開始。んでだんだん混んできて、氷川台駅に着くと、左側のドアが開くんだけど、もう結構乗客が多くて避けようもないから、そのドアからの乗り降りは、2台のベビーカーの横の狭いスペースからせざるを得なくなる、みたいなね。
ウチの子供がチビのころは、ベビーカーは電車の中では可能な限り畳んだけどなぁ。座れるときは子供は膝に乗せて、ベビーカーは畳んで膝の前か、ドア脇ならドアと座席の間のスペースに置くか、とにかくタダで乗せてもらってるんだから、なるべく邪魔にならないように、っていう気持ちが強かったけどなぁ。
昔と違ってネットと言う媒体があるから、よけい目立つだけなのかもしれないけど、子育て大変なんですぅ、わかってください、みたいなアピールと、それをシェアしたり、リツイートしたりする向きも多すぎる気がするんだよね。大変なんです、って、知ってるよ。ぼくらも君たちの世代を育ててきたんだから。
って書こうと思ってた昨日の帰りの電車で、ベビーカーをきちっと畳んで子供を抱っこしてるお母さんの隣の席に座ることになった。そのお母さんの席がドア脇だったので、ぼくの方にちょっかい出したりしないように、体を捻って席の端にある壁側に子供がいるようにしている。こういう気遣いができるお母さんに遭うと、なんかホッとするよね。1歳になったかならずかくらいの男の子だったけど、そういう位置取りだからお母さんの肩越しに顔がよく見えて、これがまたかわいいんだよね。
さてさて「健康」は今度の金曜のリハで、こないだ作ったぼくのとマキゾエのと、新曲2曲にチャレンジすることになり、今日はそのドラム譜面作りのための作業に時間を費やした。FB上では、ここはどう弾けばいい?とかコード何?とか、あと歌詞の詰めなんかのやりとりが盛んにおこなわれている。
明日は今日作った譜面を叩けるように個人練習だ。新曲は生むのも演奏するのも大変--「健康」の場合は歌詞作りが特に--だけども、少しずつでも増やしていかないと、聴く方も演る方も飽きてきちゃうからね。がんばります。
※表は「Paroday」さんからお借りしました。問題があったらご連絡ください。
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