GW後半は、ずいぶん前から企画はあったものの断念していた熊野三大社と熊野古道歩きの旅だ。今年は息子も娘もパスだというので、なら少し遠出かつやや歴史的なもの、世界遺産系で行こうかということでね。
こないだ息子と娘がそろった時に、いいなー、そんな遠く行くんだ、というので、だってお前ら、そういう歴史的なものとか興味ないじゃん、って言ったら、そんなことはない、私だって西日本にはもっと行ってみたい、と娘に憤慨された。そうか、じゃ次は考えるよ。
3日の朝、予定よりちょっと遅れて7時20分ごろ出て、最近お気に入りの県道126号経由で圏央道の狭山日高インターに出、厚木から東名、新東名、伊勢湾岸道、東名阪道、伊勢道というルートで行ったんだけど、ここ2,3年、NEXCOの渋滞予測より混み気味の傾向があるんだよね。
予定していたより、圏央道八王子JCT手前とか、豊田南付近とか、四日市から亀山JCTとか、渋滞が激しくて、最後に宿にたどり着く道がなかなか難しかったこともあり、予定よりだいぶ遅く、到着は夜7時半ごろになってしまった。
1日目の宿は「わたらせ温泉 ホテルささゆり」。わたらせ温泉と言うのは、このホテル系列の、やまゆり、ひめゆり、ささゆりだけの1軒というか3軒宿で、「やまゆり」の傍らにある露天風呂は、西日本一の広さ、また4つある貸し切り露天家族風呂は、日本一の広さらしい。「ささゆり」からは川を吊り橋で渡って行く--ために「ささゆり」への車でのアプローチ道が超複雑で迷いまくった--んだけど、両方入ってみたけど確かに、露天だけで5つの風呂があったり、家族風呂なのに10m四方くらいの広さがあったり、大したものだ。
しかもここは、食事は普通の旅館メシで今一つながら、なかなかのホスピタリティだったな。翌日歩く熊野古道の、○○王子と呼ばれるいくつかある支社の任意の場所に送ってくれ、最後に熊野本宮大社から車を取りに宿に戻るのにまた迎えに来てくれたり(入らなかったけどその際温泉に入ることも可)、水のペットボトルとちらし寿司のお弁当をタダで用意してくれたり。じゃらんで口コミ高得点を取るだけのことはある。
翌日はその送迎マイクロバスで「発心門(ほっしんもん)王子」というところまで連れて行ってもらい、そこから本宮大社まで約2時間、熊野古道を歩く。古道と言っても、今は舗装されていたり普通に民家や畑の脇を通ったり、石畳の場所もありはしたけど、一般的なハイキングコースよりはよっぽど歩きやすい。
「伏拝(ふしおがみ)王子」というところでは、和泉式部が熊野参詣に来て、いよいよ明日は本宮に、というタイミングで当時不浄なものとされていた生理になってしまい、これでは参詣できないという悲しみを詠んだ歌の碑が立っている。結局熊野権現が夢に現れ、「神だって塵にまみれているんだから、生理なんて気にしなくていいよ」という返歌をくれて参詣できた、ってエピソードなんだけど、「月の障り」というワードが、何かで月が隠れてしまうという意味かと思ってスマホで調べたら、もろに生理のことを言っているんだとわかり、平安当時のこの手のおおらかさに、カミさんと感心することしきりだ。
カミさんがスマホで音声検索しようとして、たびたび噛んでしまって「あれ?」ってなるのが笑える。
この日は日本全国で唯一、この和歌山県南部だけが天気が悪いという、誰の行いが悪かったのか残念な状況で、いつもの「陽の当たる葉の裏」写真はまったく撮れなかったのだけど、歩き終わるまでは何とか天気が持ってくれた。下りが多く、年寄りの悲しさで翌日にふくらはぎ痛になった。
最後に着いた熊野本宮大社は、GW中日で人が多かったけど、さすがの荘厳な佇まいで、御社殿(冒頭の写真は拝殿。御社殿は撮影禁止)は4つに分かれていて、それぞれ天照大神とか、この大社の主祭神スサノオノミコトとかが祭られている。この全部に二礼二拍一礼でお参りをして、ウチのバンドの運気アップに「健康守」を買う。このお守りを入れてくれた袋には、「日本第一大霊験所」と書いてある。さすが日本全国3000社の熊野神社の総本山、自信満々だ。
それから洪水で流される前はこちらにお社があった--創建は飛鳥時代の西暦615年と言うから古い--という、巨大鳥居がある大斎原(おおゆのはら)まで、途中田んぼの中でお弁当を頂いたりしながら10分ほど歩いてお参りし、迎えに来てもらって、それから新宮川沿いを車で下り、新宮市にある三大大社の2つ目、熊野速玉(はやたま)大社に向かう。
この時には雨がかなり激しくなっていたのだけど、傘をさしてお参りする。速玉大社は本宮大社とは違って、全体に鮮やかな朱色で塗られていて、その朱が雨でいっそう鮮やかに映える。こちらも4つの御社殿すべてにお参りして2日目の宿のある那智勝浦に向かう。ここでちょっとしたトラブルが。
紀伊半島東岸は、伊勢神宮近辺に向かう伊勢道の途中から、紀勢自動車道というのが別れ、片側1車線ながら志摩半島の南の尾鷲というところまで伸びていて、そこでいわゆる公式の高速道路は終わりなんだけど、その後も尾鷲市から三重県にある熊野市、熊野市から和歌山の新宮市の間は切れるんだけど、新宮市から那智勝浦町まではまた、1車線高速道同等の規格の自動車専用道路が断続的に繋がっている。これらは無料だからありがたい。
この道路は今も盛んに延伸工事をしていて、ナビでは那智勝浦で終点、ってなっていたので、それを信用して那智勝浦インターって表示を無視して進んでいったら、これが今はさらにその5kmほど先のかつてクジラ漁で有名だった太地町まで伸びていて、ここまで降りられずに連れて行かれると言う。ま、タダだからいいんだけどね。降りてすぐUターン。しかしよくもまぁこんなトンネルだらけの道を、こんなにどんどん作るもんだ。日本の土木技術はすげぇ。
この日の宿、那智勝浦の美しい入り江に面した「かつうら御苑」と言うところは、これはまぁ普通の旅館だったな。改装で新しく見せてはいたけど、建物自体はかなり古い感じ。温泉は広くていいんだけど、滝見の湯って名目で、露天風呂から有名な那智の滝が見えるって言うんだけど、方角的にかなり無理があるんじゃね?バイキングの食事は悪くなかったけどね。さすがマグロで有名な漁港だけあって、刺身も寿司も美味い。
3日目は3つ目の大社、那智勝浦大社に向かう。ここは山の上にあって、ふもとから熊野古道を登っていくのが定番なのだけど、10時前に着いた時には、ふもとの広大な駐車場がなんと既に満車だ。なんだよー、ってことで、車で登って、大社の参道の下の駐車場になんとか停めて、そこから約450段の階段を登っていく。
那智勝浦大社は、本宮大社ほど荘厳な感じはなく、速玉大社ほど鮮やかではないけども朱色に塗られていた。ここにも社殿がいくつかあるんだけど、ここは個別にはお参りできないようになっており、その代わりなのか境内に平重盛が植えたという大クスノキがあって、胎内くぐりできるようになっていたので、それをやり、息子と娘の健康と幸せを祈念したお札を納めた。
この大社はイザナミの尊の他に、近くにある、一段の滝としては落差日本一という大滝、那智の滝を御神体としていて、大社に併設された青岸渡寺の境内を通って滝つぼ近くまで20分ほど歩いていくと、これはなかなかの迫力だ。この時点で、前日のふくらはぎ痛に加え、 この日の階段上りが足にそこそこ来ていて、こりゃあふもとから登ってくるのは無理だったねと。1kmちょっとの距離ではあるものの、石段の登りが延々と続く道なのでね。
それから車で熊野まで戻って、海岸の名勝、鬼が城に向かう。ここも駐車場がいっぱいで入れなかったけど、途中の道に停めさせてもらって、「鬼が城センター」というところで飯を食い、岩の海岸線にしつらえられた細い遊歩道を、全部ではなかったけど途中まで歩いてみる。波が岩にはじけて白く泡立つ。ここでこの旅で初めて日差しが出てきたので、少しだけ葉の裏写真が撮れた。
そして最後に、尾鷲にある、温泉ではないけど海洋深層水を汲んだという「夢古道おわせ」という施設で風呂に入って、16時過ぎに出発。帰りも鈴鹿あたりでかなりの渋滞に捕まって、一旦下道を走ったりしながら、行きよりは早く、ほぼ予定通り1時前には家に帰ってきた。
走行距離計約1,200km。いやぁ、いくらクルーズコントロールで楽になったとはいえ、やっぱこの長距離は疲れるわ。今日はぼくもカミさんもまだ疲れが残っていて、明日も出かけようかと言っていたのは、やめることにしました。天気はイマイチだったけど、歴史と荘厳な空気に触れた、記憶に残る旅でした。
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