昼過ぎに遠野に着き、この日の宿、「あえりあ遠野」の駐車場に車を停める。ここは遠野市の中心部にあり、その近くには鍋倉城址のある小山になった公園や、遠野観光の重要スポットであるいくつかの博物館なんかがある。
そもそも遠野と言うのは、日本の民俗学の祖、柳田國男先生が、日本全国を巡る中、地元の民話収集家、佐々木喜善という人物によって語られた、この地に伝わる数々の伝承を、取りまとめて出版した「遠野物語」によって有名になり、その後数々の注釈本や関連出版物が書かれ、水木しげるによって漫画化も行われた、物語の郷だ。
119話の説話から成る「遠野物語」は、原本は文語体で書かれており、ちょいと読むのが大変なので、口語訳の文庫本を購入して、2ヶ月ほど前に読んでおいた。その後カミさんに渡して読んどけよ、って言っといたのに、案の定事前には半分くらいしか読んでなくて、行きの新幹線の中で開いたけどすぐ寝ちゃって、あっという間に着いちゃったので、結局そのままだ。
「遠野物語」は1話1話は短くて、数行のものもあれば長くても数ページで、神隠しとかザシキワラシとか、この地方のいろんな山々とか猿や狼などの動物とか、各種の神様なんかが出てくる。河童も数話に出てくるが、この河童がいたずらしたという場所が街はずれにあったりして、街全体を河童で盛り上げている。
宿の近くのラーメン屋で飯を食い、まず宿の目の前にある「遠野市立博物館」に行って、市内の有料施設に5つまで入れるお得な共通券を買う。「遠野市立博物館」には、マルチスクリーンで物語の世界を見せるシアターや、遠野の歴史がわかる展示がされている。
次に3分ほど歩いて、古い街並みのようにしつらえた街の中心部に近い、「とおの物語の館」に行く。ここは柳田國男先生が遠野に来た時には泊まったという旅館のあった場所で、その旅館の建物には柳田先生に関係する展示や、別棟には「遠野物語」の説話にからめた展示、さらに向かい側には「遠野座」という100名ほどのキャパのホールがあり、ここでは土地の語り部のおばあさんが、定期的に昔話を聴かせてくれる。
完全に地元の方言で語られるこの昔話は、必ず「昔あったずもな」で始まり「どんどはれ」で終わるのだが、まーぁ何を言ってるんだか、半分くらいしかわからない。でもすっごく暖かいと言うか、怖さも含めて伝わってくるんだよね。こうしてこの地の子供たちは、土地の爺さま、婆さま方から、これらの話を綿々と受け継いできたんだろうなぁ。
それから「とおの物語の館」とセット料金になっている「遠野城下町資料館」で、この地を治めていた武士たちの歴史を見て、来内(らいない--アイヌ語で"死の谷"という意味らしい--)川の川沿いの、雰囲気ある遊歩道を通って、宿に帰る。
宿にも語り用のホールがあって、18時から30分、おばあさんが語ってくれるという。風呂に入って--岩手中東部は温泉がないのが残念なんだよね--この昔話を聴き、18:30から郷土料理の夕食にしてもらう。この宿は市が50%出資した第三セクターが運営してるらしいんだけど、前日の「浄土ヶ浜パークホテル」の半額以下の料金で、まぁ確かに細かなところで行き届かないところはあるとは言え、きれいだし飯も悪くないし、お得感のある宿だったな。
隣の席に座った、まだいくつかの単語くらいしか話せない1歳半くらいの女の子があまりに機嫌よくかわいくて、手を振りあったりしていたら、ドーン、ドーンと始まった。お盆のこの日はたまたま、年に一度の「遠野納涼花火まつり」が行われるのだ。
売店で河童の形のボトルに入った地酒「遠野カッパ」を買って、部屋に戻って、照明を消し、大窓の傍に椅子を並べる。宿の後ろの鍋倉城址の公園に登らないと見えないかなぁと思っていたら、501号室からなら直接見えますよ、って言われててね。この街は高い建物が7階建てのこの宿くらいしかないので、確かにこれなら、我が家の屋根に上がって見る朝霞の彩夏祭よりは、障害物に悩まされずに花火を観ることができる。
打ち上げの仕掛けの数が限られているらしく、 結構休み休みで、派手な連発とかはなかったけど、部屋の中から遮るものなく観るこの花火は、なかなか見応えあったな。写真が難しいことはいずこの花火も同じで、2時間に渡って格闘したけども、多少見られるのはこの写真くらいしかなかったんですけどね。
翌日は車に乗って、まず河童がよくいたずらしたというその「カッパ渕」から見に行く。何の変哲もない、護岸されていない田舎の小川なのだけど、 210円の「カッパ捕獲許可証」を持っていれば、ここでキュウリ1本を餌に、釣り竿を垂らしていいという、なかなか洒落の効いたシステムを運営している。
「カッパ渕」の近くには「伝承園」という、ここ南部地方の曲がり屋や、納屋、せっちんなど、農家のかつての生活様式を再現した施設がある。この中の御蚕神堂という建物の中には、壁一面に「オシラサマ」が展示されている(冒頭の写真ね)。
「オシラサマ」とは、ある娘が馬と恋をし、怒った父親にその馬を殺されたのだが、その馬の皮に包まれて天に跳び神になった娘が、後に父親の夢に出てきて、お詫びに蚕を育て繭から糸を取るやり方を伝えたという説話に基づく、養蚕の神様で、馬と娘(以外のもあるんだけど)の一対の木の突起に、絹の布に穴をあけたものを通した姿をしている。その布に願い事を書くことで、それが叶うと言う。
カミさんが100円を賽銭箱に入れて、「家族みんなが健康で元気に過ごせますように」って--出ないペンで結構苦労して--書いたオレンジ色の布を、色合いを考えて1体のオシラサマに挿してきた。
それから今度は車に乗って、近くの「たかむろ水光園」に行く。遠野市の形に作った池があり、ここでもまた、農家の暮らしに欠かせなかったいろんな道具や器具の展示を見る。
また車で移動して、次は「卯子酉(うねどり)様」に行く。ここは「遠野物語」にはないのだけど、さらに説話を集めた「遠野物語拾遺」にある話で、かつて付近一帯が大きな淵で、その「淵の主」が、男女の縁を祈願すると叶えてくれたということで、祠の前にある木の枝に赤い布を結びつけると、縁が結ばれると言う。
ここではまたカミさんが、同じように100円を賽銭箱に入れて、今度は「二人仲良く日本全国旅ができますように」と赤い布に書いて、木に縛られた縄の間隙に結び付けてきた。
このころには雨が本降りになってきたが、次にこの近くにある、お地蔵様を掘った岩が多数並ぶ「五百羅漢」まで歩いていく。埼玉寄居の「鐘撞堂山」そばの少林寺の五百羅漢みたいに、一体一体がお地蔵様の形をしているわけではなく、自然石に掘ってあるので、 ここが五百羅漢だよ、っていう案内板にも、最初は気づかなくて、どこだどこだ?と結構な登りの森の山道を探してしまう。
最後はこの「卯子酉様」「五百羅漢」の駐車場から車で5分くらいのところにある道の駅、「遠野風の丘」に行ってまず飯を食う。ジンギスカンカレーがなかなか美味い。ここのおみやげ屋さんは大したことなくて、普通のおみやげ用箱菓子類の種類が豊富な他は、特に他に売ってないものが売ってたりはしないのだけど、カミさんがここで、会社の皆さんへのおみやげを買う。
車に乗り、できたばかりの無料の自動車専用道路、釜石自動車道に乗って、花巻に向かう。花巻の「マルカン百貨店」が、経営不振で廃業してしまったのだけど、その最上階にあった食堂を、無くすのは惜しいと言うことで、地元のベンチャー経営者が、クラウドファンディングによって今年の2月に復活させたというニュースを、何かの番組で見ていて、その名物、巨大ソフトクリームを、食べてみたかったんだよね。
ところがそのマルカンビル--なんかすごくノスタルジックな4F建てくらいのこじんまりした、いかにも田舎の百貨店って感じのビルなんだけどね--の駐車場は、他に車が1台もいない。あれ?って思って表玄関まで行ってみたら、なんと水曜はお休みだという。なんだよー。しょうがないのでなぜか無料で済んだ駐車場を出て、盛岡まで東北道を行く。ガソリンを満タンにするのにちょっと回り道したけど、予定より1時間くらい早く、車を返す。
時間に余裕があったので、駅ビルの雑貨屋さんで、カミさんがなくしたかもと言う安物の腕時計とか、髪止めとかマニキュアとかを買うのに付き合わされてから、天ぷらそばを食べ、帰りの18:50発、やまびこ32号に乗る。帰りの新幹線を早めようかと、みどりの窓口に行ってみたら、まったくチケットに空きはなかったので、15日がピークと言われていた帰省ラッシュが、この日もまだ続いてたんだなぁ。1ヶ月前に北朝霞駅で並んで切符取っといてよかった。
帰りもまたあっという間に、20:40には大宮に着いて、埼京線→武蔵野線→東上線と乗り継いで、21:40頃には家に帰ってきた。車の旅と違って温泉に浸かってきたわけじゃないから、しかも埼玉もこの日はかなり涼しいし、久々に家でもシャワーではなく風呂を沸かして、翌日から仕事のカミさんと順番に入った。
ちょっと天気が悪かったのが残念だったけど、いつもの我が家のパターンとは少し違って、自然だけでなく伝承とか展示とか花火とか、いろいろと盛りだくさんで思い出に残る、初めての岩手中東部への旅でした。
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